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2016年9月15日 (木)

《セビリアの理髪師》

ロッシーニのオペラ《セビリアの理髪師》を観た(ロイヤル・オペラ・ハウス)

指揮はヘンリク・ナナシ。キビキビした指揮だが、オケや歌手がついてこない時がある。そこから推測できるかもしれないが、二重唱、三重唱は、よく言えば、演劇性に重きを置いており、音楽的にアンサンブルの妙を聞くことはやや難しい状況だった。
アルマヴィーヴァ伯爵は、ハビエル・カマレーナ。終幕の長大なアリアも含め健闘。ロジーナはダニエラ・マックという人でこの人はとても個性的な声。普段のフレーズからものすごくビブラートがかかる。力強い声が上から下まで出ることは出るのだが。
フィガロは、ヴィート・プリアンテ。彼は歌に様式感もあって、伸びやかな声を聞かせていた。バルトロのホセ・ファルディラは、レチタティーヴォがとてもうまい。言葉もはっきり聞き取れるし、感情表現もこちらに的確に伝わる。演技もなかなかのものであった。
こちらも、重唱が今一歩。第一幕のフィナーレでも、人数が多くなっても、アンサンブルが整いつつ綱渡りする感じがスリリングなのであって、アンサンブルが成り立っていなければ、極端に言えばガチャガチャするだけだ。テンポ感、様式感がそろうことも必要だろう。フィオリトゥーラの転がし方は昔より上手くなったわけだが、アンサンブルは。。。といったところで無い物ねだりなのだろうか。

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《ノルマ》

ベッリーニのオペラ《ノルマ》を観た(ロイヤル・オペラ・ハウス)。

シーズン開幕日であるが、タキシード姿は本当に稀だ。ノーネクタイの人も結構いるという具合で、女性はワンピースが多いとはいえ、ロングドレスが多いというほどでもない。
指揮はパッパーノ。平土間からだと、彼の指揮ぶりは見えない。タイトルロールはソーニャ・ヨンチェヴァ。綺麗な発声を心がけている(ベッリーニのメロディはとりわけそれを要求していると言えるだろう)のは良いのだが、息継ぎが目立つ。誰でも息継ぎはするわけであるが、フレージングの関係で、息継ぎが気にならず、音楽の流れが途切れないと感じる場合と、ここで切れてしまうと感じる場合があって、彼女は後者の場合が時々あった。
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アダルジーザはソニア・ガナッシで、発音が聞き取りやすいし、表情付けに幅がある。ベッリーニが難しいと思うのは、シームレスなメロディがずうっと続くかと思えば、ドラマには大きな起伏があり、生死をかけた決断を登場人物はするわけで、表情に劇的な振幅が欲しいわけである。
ノルマを裏切り、アダルジーザに走るローマ人ポッリオーネは、カッレーヤ。とても上質な声である。
惜しかったのは、彼らの二重唱、三重唱で音楽から期待される盛り上がり、アンサンブルの絶妙さがそこそこにとどまったことだ。ベルカントオペラの不思議で、3連符で踊るように舞い上がっていくフレーズがある。気持ちがふわっと、あるいはカーッとなって通常の状態から、一段も二段も高ぶった状態へと移行する。そこでテンポや歌の表情がどう変わるのか、変わりつつアンサンブルがどうバランスを崩さないかが見所、聞きどころなわけだ。アンサンブルはやはり練るには時間がかかるのだろう。
演出はなかなか興味ふかいもので、異教の司祭であるノルマが取り仕切る儀式は、明らかに、スペインの復活祭の行列や、サンチャゴ・デ・コンポステッラへの巡礼者が受けるボッタフメイロ(巨大な香炉)を揺らす儀式が模されていた。森に見える装置は、十字架、磔刑像の集合なのだった。こうして聖なる儀式を司る人達なのだということは理解できるようになっていた。時代は、ポッリオーネが背広で出てくる点からも現代あるいは現代に近い時代なのだ。
久しぶりに《ノルマ》を見て、フェリーチェ・ロマー二はずいぶん凝った言い回しをしていると思った。ベッリーニがそれを要求しているのでもあろうが。また、この作品が、発展的な形でヴェルディの《トロヴァトーレ》につながっていく箇所を何度も見出した。ヴェルディを聞いた後では、ベッリーニがエレガントに聞こえてしまう傾向はあるが、しかし、熱いドラマを内包しておりそれをどう歌手、オケが表現するか、が問われる作品だと強く思った。

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2016年9月14日 (水)

イングランド銀行博物館

イングランド銀行博物館に行った(ロンドン)。

この博物館は、イングランド銀行に接するようにある。子供にも大人にも中央銀行の果たす役割の理解を助けるいろいろな仕組みがある。はっきりここで述べられているのは、イングランド銀行はインフレ2%を目指していること。日銀の黒田総裁と同じなんだなあと感慨を持ったが、ただし異なるのは、何年間でというタームを決めているわけではないことだ。
イングランド銀行が18世紀前半にできた経緯や、金本位制(だった)のことや、ビデオやアニメもあって理解を助けてくれる。また、イングランド銀行が発行してきた金貨、銀貨やお札も展示されている。
18世紀といえばヘンデルなのだが、実はヘンデルはイングランド銀行に投資していたのだ。ヘンデルの銀行との関わりも1つの展示ケースを設けて解説がしてある。思えば、ヘンデルもロンドンでオペラを作って興行していたわけだが、現在では傑作と言われているものが、必ずしも興行として当たったわけではなく、当たったり、当たらなかったりなのだ。王からは年金をもらっていたものの、老後に備えて?投資をしていたのだろう(ヘンデルには妻子がいなかった)。ヘンデルのオペラ興行のあたりはずれは、ホグウッドの書いた伝記に詳しいが、イングランド銀行への投資はある研究会の報告で知った。感謝。

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2016年9月13日 (火)

フリーメーソンのグランド・ロッジ

フリーメーソンのグランド・ロッジを訪れた(ロンドン)。

ここには図書館と博物館があり、またガイド付きツアーもあるのでそれに参加し、建物というか神殿(temple)の見学をし、細かな説明を受けた。
フリーメーソンに興味があるのは、イギリスで18世紀前半(1717年)生まれたフリーメーソンが瞬く間にヨーロッパに広がり、モーツァルト、ハイドン、皇帝ヨーゼフ2世、その他ヴィーンの多くの貴族がフリーメーソンだったことだ。
特に、モーツァルトのオペラ《魔笛》が、フリーメーソンの思想が織り込まれているというのはずっと言われていることなのだが、しかしながら、どこがどうそうなのかは、なかなか納得がいかないというか、わかったと云う感じが持てないでおり、自分にとって継続中のテーマの1つなのである。
フリーメーソンは秘密結社ということが強調され、それは間違いではないが誤解を招く面もあって、有名なメンバーがわかっているし、フリーメーソン側もそれを認めている。イギリス王室などは代々、フリーメーソンのメンバーが多い。バッキンガム・パレスにもフリーメーソンのマークの入った部屋があるくらいだ。
テンプルは立派だが、どこか教会にも似ている。キリスト像や十字架に関するものがないのが決定的な違いであろう。ただしソロモン王とか旧約聖書の人物が描かれていることは少なくないのだ。
なかなか興味ふかい場所であった。

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The Foundling Museum

The Foundling Museum を訪れた(ロンドン)。

Foundling というのは捨て子というような意味で、18世紀にトマス・コーラムという人が捨て子を引き取る施設を作ったのである。それが今は、チャリティーとなっているが、施設は博物館となっている。
18世紀には、75%の子供は5歳以下で死んでいた、というような事実から始まって、子供をめぐる状況が展示されている。
この施設の創設者はトマス・コーラムなのだが、それに手を貸した人物に、ウィリアム・ホガーズ(画家、版画家)や作曲家のヘンデル(ハンデル)がいるのだ。
この建物はもともとはFoundling Hospital と呼ばれていて、1954年まで活動を続けていたl
創建当時、ホガースは、当時の画家たちに呼びかけて、絵を寄付させ、ここがイギリスで最初のパブリックなギャラリーとなった。
ヘンデルはオルガンと、毎年当HospitalのChapel で催されたメサイアの収益金を寄贈した。
最上階にはヘンデル関係の展示もあるし、さらにはここにはGerald Coke Handel Collection というヘンデルの資料のコレクションもあって、こちらは前もって連絡する必要がある。

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2016年9月10日 (土)

ブルームズベリー

ブルームズベリーの人間関係にについてある本で読んだ(Literary London by

Eloise Millar & Sam Jordison)
この本によると、ヴァネッサ・ベル(作家ヴァージニア・ウルフの姉)は、クライブ・ベルと結婚していたが、オープン・マリッジを選択し、娘アンジェリカは17歳になってあなたのお父さんはダンカン・グラントだと言われた。
 
このアンジェリカは、デイヴィッド・ガーネットという男と結婚するのだが、デイヴィッドはダンカン・グラントの恋人だったのである。うーん、父の元カレか。
ダンカン・グラントは、ケインズ(あの経済学者)とも、デイヴィッド・ガーネットとも、ヴァネッサ・ベルとも親密だったわけである。バイセクシュアルだったわけですね。
このグループにはヴィクトリア朝の人々の伝記を書いたリットン・ストレイチーもいるわけだが、彼はケインズ、ダンカン・グラントと恋愛関係にあったという。
さらにここにはオットライン・モレルという貴族の夫人もいて、D.H.ロレンスやバートランド・ラッセルと親密だったのだ。
もともとブルームズべりー・グループのパーティはフォーマルで堅苦しかったのだが、ある日リットン・ストレイチーがヴァネッサ・ベルに、ドレスの染みは精液かいと尋ね、一瞬凍りつく沈黙の後、皆が爆笑した。これで遠慮や気兼ねが一気になくなったとヴァージニア・ウルフは書いている。そこからは、男色(者)という言葉が口に登るのも時間はかからなかった。
ウルフの小説だけを読んでいるとなかなかわからない状況である。

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2016年9月 9日 (金)

ディケンズ博物館

ディケンズ博物館を訪れた(ロンドン)。

ディケンズ博物館というのは、チャールズ・ディケンズの旧居に彼の使用した家具や手紙などを展示している施設である。ここにもオーディオガイドはある(日本語なし)。
驚いたのは、この家は一軒家ではないが、地下、地上階(日本風に言えば一階)、一階、二階、屋根裏があり全部を使っている。使用人も4人いた。これが20代で彼が手に入れた(賃貸ではあるが)家なのだ。地下は使用人が使うキッチンやワインセラー。地上階にはお客をもてなす食堂。一階に客間、書斎。二階に寝室。屋根裏は子供の寝室及び使用人の寝室。
ディケンズは決して貴族や富裕層の出身ではない。それどころか、父親は借金を払えずに、債務者監獄に入れられたのだ。その借金を返すために12歳のディケンズは働かねばならなかった。それは彼が誰にも、自分の子供にすら語らなかった屈辱的経験だった。ディケンズの祖父母は使用人だったのだ。そこから彼は独力でご主人様になったのである。
この社会階層の跳躍ぶり(少なくとも住居に関して)は、現代の日本で考えると、作家と言うよりは、売れっ子の芸能人に近いだろう。つまり、ディケンズの時代、テレビもラジオも映画もインターネットもないわけで、娯楽の中心は、芝居と小説だった。ディケンズは熱心に芝居を見る人であり、家には大きな鏡があって、執筆中にはいろんな顔つきをして登場人物を思いついたり、その人物になって、また机に向かうという書き方をしていたという。
ディケンズは妻以上に妻の妹(若くして死んでしまう)を愛しており、彼女の墓に埋葬して欲しいと彼女の死後何年も経過してからも言っているし、またもう一人の妹にも思いを寄せ、妻とは別れて、義理の妹と暮らしていたのだった。
知らなかったのは、ディケンズが著作権の確立に熱心だったこと。アメリカ旅行の際にも国際的な著作権を訴え、アメリカの聴衆に単なる欲張りと誤解を受けたりしている。

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2016年9月 7日 (水)

ミュンヘンフィル

ミュンヘンフィルの演奏会を聴いた(ベルリン)。

ベルリンフィルの書き間違いではありません。ベルリンフィルは今、ツアーに出かけていて、彼らの本拠地で、ミュンヘンフィルが客演していたのです。
曲は、ガリーナ・ウストヴォルスカヤの交響曲3番とショスタコービッチの交響曲4番。前者が1983年の作品、後者は1935・36年の作品である。ウストヴォルスカヤの作品は全く初めてだったが、なかなか面白かった。詩人の朗読と、小さなオケ(トランペット5、コントラバス5、ピアノ、大太鼓2、小太鼓1という変則的な編成)。
詩のようなものの朗読が入るのだが、朗読はアレクセイ・ペトレンコ。指揮はゲルギエフ。なんだか洋風雅楽のようだと思った。リズムがゆっくりで、メロディの数は少なく、ゆっくりと変化を伴いつつ繰り返される。この演奏はなぜか指揮者と朗読者の登場が15分以上遅れて会場はざわついた。
休憩なしで、ショスタコービッチ。ゲルギエフがバンバン鳴らす。また、そういう曲想の曲でもある。ミュンヘンフィルというのはどこまでフォルティッシモになってもうるさくない。音楽している。また、指揮者の一振りでパッと無音になる瞬間の揃い方も見事。音は柔らかいのだが、機能性の高さに驚嘆した。

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ゲメールデガレリ(絵画館)

ゲメールデガレリ(絵画館)を訪れた(ベルリン)。

ここはKulturaforum という中にあるので、やや辿り着きにくい。大通りから少し入ったところにあるのだ。しかも、すぐ近所に新ガレリーという建物(ただいま工事中)があって、道行く人に聞いてもそちらを教えてくれる人がいるので要注意である。
ゲメールデがレリーは、後でガイドブックを見るとヨーロッパ有数の美術館とあった。確かにそうなのだ。ものすごい部屋数、展示数の絵画があり、じっくり見るには半日をかける必要がある。
20世紀は対象外のようだが、中世から18世紀あたりまでドイツだけでなく、ヨーロッパの絵画が収蔵されている。今は企画展としてスペイン絵画を特集しているコーナーがあった。ムリリョ、エルグレコ、ベラスケスなど。
イタリア絵画もボッティチェッリやリッピ、クリヴェッリなどがあり、ドイツ絵画を山ほど見ると、個別の作家の違いを超えて、色使いやタッチというもののイタリア的なるものを感じる部分もある。
絵に描かれている主題でいうと、グァリーニの忠実な羊飼いという牧歌から主題をとった4つの連作があったのが、個人的には興味深かった。
ここも、じっくり時間をかけて再訪したい(チャンスがあれば)ところである。
同じ建物で、絵画ではないが、ブゾーニ展をやっていた。ブゾーニの活動の多面性がうかがえる展示だった。

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楽器博物館

楽器博物館を訪れた(ベルリン)。

鍵盤楽器(チェンバロ、ヴァージナル、ハンマーフリューゲル)をはじめとし、リュートやギター、シロフォン、弦楽器の弓などがところ狭しと並んでいる。
場所はフィルハーモニーの隣という感じである。鍵盤楽器でも18世紀のものは、箱の部分や蓋の部分に絵や装飾模様が施してあるものが多い。単に、チェンバロかピアノかだけでなく、所有者、演奏者(プロ、アマを問わず)の階層の変化もうかがわれるのだった。

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ハンブルク駅現代博物館

ハンブルク駅現代博物館に行った(ベルリン)。

ここは全く現代芸術の博物館である。元駅舎なので、ガランとして広い。現役の作家の作品もあるし、ヨーゼフ・ボイスの作品の展示もある。ベルリンに来て、壁の痕跡や、ホロコースト関係の展示などを見ると、ボイスの作品の孤独な孤絶した感じというのは、第二次大戦後、東西ドイツッガ分断され、索漠とし、冷徹な国際政治の中に置かれたドイツというコンテクストを
如実に反映していたのだと納得した。
その他、企画展もあった。
現役の作品には、当然といえば当然だが、移民の作家もいて、色使いや、造形感覚がそれこそボイスなどとは全く対照的なのだった。

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森鴎外記念館

森鴎外記念館に行った(ベルリン)

鴎外がベルリンで実際に居住した住居である。ただし鴎外は、周知のように1884年から1888年までドイツに留学したのだが、ずっとベルリンにいたのではない。
ライプツィッヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンに滞在し、ベルリンにいたのは1年ほどで(87年4月から88年7月)、ベルリンだけで3箇所に住んでいる。結構、引っ越してますね。
この記念館に住んだのは2ヶ月ほどとのこと。
書籍の他に、鴎外の子供にあてた手紙、デスマスク(レプリカ)、部屋の再現(当時の家具を揃えて、こんな感じであったろう鴎外の下宿を再現している)などがある。ここも3部屋ほどのコンパクトな記念館であった。資料の多さというよりはこの場所に意味・意義があるだろう。

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バウハウス資料館

バウハウス資料館を見た(ベルリン)

バウハウスは、20世紀前半の建築を中心とした芸術運動であるが、学校を持っていた。彼らの作品が建築は模型で、家具などは実物(レプリカの場合もある)が並んでいる。
規模としては大きくないが、オーディオガイドも整備されており、個々の作品について理解を深めることができる。椅子はスチールパイプを使ったものがここから生まれたことが分かった。また、ティーポット、ミルク入れなども製作されていて、やはりとてもモダンなデザインで、こう言ったものは資料館の売店でレプリカを売っているものもあった。ランプというか電気スタンドも売っていた。
博物館と言っても、客層がそれぞれ微妙に異なるようで、ここでは美大生あるいは建築、デザインを専門としていると思しき若者を多く見かけた。

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ユダヤ博物館

ユダヤ博物館を訪れた(ベルリン)。

建物に工夫があり、展示に行き着くまでも、移住の道とかホロコーストへの道とかユダヤ人の運命の分かれ道を追体験させるようになっている。
常設展も盛りだくさんで、古代以来のユダヤ人の歴史を学ぶことになる。僕はオーディオガイドの80番で根が尽きた(数時間経過してます)。この次の機会があったら81番からしっかり聞こう。
結婚式や女性が水につかる儀式など、ホロコースト関係だけでなく、歴史や習俗について実に懇切ていねいに説明してある。

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2016年9月 6日 (火)

ベルリオーズ 《ロミオとジュリエット》

ベルリオーズの劇音楽《ロミオとジュリエット》を観た(ベルリン・ドイチェ・オーパー)。

ドイチェ・オーパーは初めて行ったが、いかにも第二次大戦後に建てられた縦横の直線で構成された空間が支配する劇場。椅子の背が案外低いのが印象的。客席数は多くない。新国立で言えば、中劇場よりは大きく、大劇場よりは小さい。
このベルリオーズの合唱・独唱つき劇的交響曲というのは、相当に奇天烈なものであった。オリジナリティーは高いが、料理も演出も音楽も、オリジナリティーが高いということは、リスクをとって挑んだ料理、演出、作品ということが言えるだろう。
大まかに言えば、最初と最後には合唱や独唱が入り、中間は管弦楽のみで演奏される。ただし、バレエはずっと出ずっぱりで踊られている。この作品の上演が極めて珍しく、僕は初めて見たので、バレエがずっと舞台で演じられているのが原曲の指定によるのか、今回の上演の演出家たちがそう決めたことなのかはわからない。
振り付けは明らかに現代のもので、カクカクした動きの部分や、舞踏を思わせる部分、クラッシックバレエ風な部分が混在していた。バレリーナは大勢いて、大半は白人女性であったが、ジュリエット役は黒人女性であった。周りの白人女性が大柄なのに対し、ジュリエット役の人は小柄なのでとても区別はしやすかった。
前半は、独唱者(メゾソプラノ)と言っても状況を説明する語り部のような人物。後半に出てくる独唱者がロレンス神父でバリトン(バスバリトン?)。合唱はレチタティーヴォも多く、独唱者の歌もアリアというのとは異なる。
ロミオとジュリエットという非常によく知られたストーリーを持ちながら、この曲自体はよく知られていない理由もそれなりに分かった。曲の構成がオラトリオ的で、アリア的な魅力がない。ロミオもジュリエットも独唱者としては出てこない。本当にオリジナリティは高いのだが。。。

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写真博物館

写真博物館を見た(ベルリン)。

これはヴォーグなどのためにモデルや有名人の女性の写真を数多く撮影したヘルムート・ニュートン財団によって設立された博物館。
ニュートンは父がドイツ人、母はユダヤ系のアメリカ人であった。
1階は彼のプライベットな空間が再現されている。2階は彼の作品。3階は企画展。たまたま1961−68の写真展だった(写真家の名を失念)。
ニュートンは女性のヌードが有名だが、裁判の写真や有名人(例えばモナコの王女たち)もたくさん撮っているのだった。

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ヴィルヘルム皇帝記念教会

ヴィルヘルム皇帝記念教会を見た(ベルリン)。

教会のてっぺんが欠けたままで空襲の被害をそのまま見せている。隣には現代に建てられた礼拝堂があって、シャルトルで製作された青いステンドグラスが一面にはめられていて独特の美しさ。
被害を受けた塔には、写真や模型で第二次大戦前のこのあたりの姿と、空襲による被害、そして戦後の姿が展示されている。広島には原爆ドームがあるが、東京にはこう言った記念碑がないのではないか。記憶の継承は学校教育の中だけでなく、街並みの中でも必要なのではないか、ということも思った。

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サン・スーシ宮殿

サン・スーシ宮殿を訪れた(ポツダム)。

ポツダムはベルリンから電車で30分ほど。
このサン・スーシ宮殿はフリードリヒ大王の宮殿として有名なので、どんな豪華な物だろうと思ったら、案外小さいのだ。部屋数は12。廊下なども狭い(宮殿としては)。
ロココ風でヴァットーの絵(修復が進んでいないせいか、色合いがくすんでいてどれがヴァットーかわからなかった)などもあるとのこと。
メインの部屋には大王が使ったフルート(彼はフルートの曲を100曲以上作曲もした)や鍵盤楽器も展示されていた。面白いのは音楽や学芸(ヴォルテールとの交流は有名)を愛した王だが、この離宮には王妃の部屋がない。王妃は、ここには来ず、 ベルリンにいたのだ。
絵画では、最も中心的なところに魔女アルミーダが騎士リナルドを誘惑して抱き寄せている絵がかかっていた。むろん、これはイタリアの詩人の叙事詩《解放されたエルサレム》からの一場面であり、この部分はロッシーニを始め多くの作曲家がオペラ化している。
ちなみに、宮殿のそばに、絵画館があるのだが、そちらにもファン・アイクによるアルミーダとリナルドの絵があった。1600年代、1700年代の絵画は、専門家はともかく、技法的にはあまり新味がないが、オペラの主題という点からいえば、同じ題材が絵画でも、オペラでも取り上げられている、すなわち当時の聴衆、貴族に好まれていたと考えることができ、そのつながりを考察しているところである。

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ツェツィーリエンホーフ宮殿

ツェツィーリエンホーフ宮殿を訪れた(ポツダム)

ここは日本の第二次大戦の終結に縁の深い会議の開かれた場所だ。1917年に当時のドイツ帝国の皇太子のために作られた東屋のような作りで、外見は宮殿というよりイギリスあたりのティンバーハウスという感じだ。むろん部屋数は多いのだけれど。
ここにチャーチルも、トルーマンも、スターリンも来てこの部屋が会議、こちらはソ連の控え室などとオーディオガイドの説明がある(日本語あり)。途中でチャーチルは総選挙で負けてアトリーになるなど、本人たちの政治的運命も様々だ。そもそもアメリカはルーズベルトの急死でトルーマンが昇格したわけだし。
対日政策については正式の議題になっていなかったというのも意外ではあった。もっとも対日戦はアメリカの問題という意識だろう。ここで熱い討議があったのは、戦後の世界の骨格を決めるという話なので、ある程度どちらにも主張する余地のある問題の調節であった。アメリカは、単に、早期のソ連の対日参戦を求めていた。その返事と前後して原爆実験成功の知らせがトルーマンに入ったという、これがこうだったら、と思ってしまい、いや現実はこうだったのだと思い直すという場面もいくつかあった。
外には庭が広くあり、その先には川(湖?)が広がっている。舟遊びに興じる人たちも大勢いた。ここはサンスーシ宮殿からはかなり遠く、バスの運行をうまく捉えないと行くのが容易ではない。ドイツ人は大抵車で来ているから駐車場があれば問題がないのである。

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ベルリン大聖堂

ベルリン大聖堂を訪れた。

大聖堂というのは、この場合、大きな教会という意味で、現地では Dom と呼ばれているようだが、それは大きな丸屋根のドームがあるからだ。
なぜこんなことを言うかというと、イタリアの場合には、大聖堂と呼ばれている教会は、Duomo,すなわち大きな丸屋根がある場合が多く、地元でドゥオーモと呼ばれているが、同時にCattedrale つまり司教座聖堂であることが多い。
この教会は宗教改革の時期以降、宗派が変わり、建物も何度か建て替えられている。今の形は1905年と外見よりずっと新しい。ドイツやイギリスにはこうした擬古的な建築物が往々にしてある。
ベルリン大聖堂はフリードリヒ大王によりホーエンツォレルン家の墓所となった。地下(クリプタ)には王家の人々の石棺が並んでいる。
ドームは階段で登ることができ、眺めは良いが、足がヘトヘトになった。入場は有料。オーディオガイドがあるが、日本語はない。

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2016年9月 4日 (日)

ホロコースト記念碑

ホロコースト記念碑を見た(ベルリン)

ブランデンブルク門のそばで、昔は官庁や高級住宅街だったらしい。そこに縦横は同じ大きさで高さが異なる石(コンクリート)が一面に並んでいる。
手前の方はなんだか墓石みたいなのだが、奥の方に行くと高さが人の背丈より高く迷路のようでもある。
こういうものを一等地に残す、というかこの記念碑はわざわざ近年(2003−2005年)作ったわけである。

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ペルガモン博物館

ペルガモン博物館を訪れた(ベルリン)。

この博物館は、古代メソポタミアのバビロニアのイシュタール門やその他の展示物とイスラム教が生まれてからの中近東地域の展示物の二部構成。
古代の方で、浮き彫り彫刻があったが、ロッシーニのオペラ《バビロニアのチーロ》で使われている衣装、ヒゲなどを彷彿とさせるもので、ああ、こういうところから着想を得ているのだと納得。
もっともこの浮き彫りにはもともと彩色が施されていたとの事。オペラの方は全て白黒で構成された衣装だったが、これは演出の意図が、この出来事が無声映画の中の出来事であるという枠組を与えているので、当然そうなる。
枠組み自体は、読み替えだけれども、衣装は歴史的に納得のいく衣装というのは僕にとっては好感の持てるものだ。
イスラムのコーナーでは富裕な商人の館の一部屋を壁も含めて再現した部屋があったが、客人を大切にするということがここまで美と直結していたのかと驚いた。
 

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ドイツ歴史博物館

ドイツ歴史博物館を訪れた(ベルリン、この項イタリアと直接関係ありません)。

文字通り、ドイツの歴史を様々な文物を展示・解説(オーディオガイドありますが、日本語はない)しているもので、ざっと見るだけでも5時間ほどかかる。
僕の場合、20世紀は息切れがしてしまった。2日に分けていく方が良いのかもしれない。時代の区切りも日本とは異なる。例えば、1500年が大きな区切りの1つなのは、ルターによる宗教改革のためだ。宗教改革の意味、意義も説明されるが、当時の村の様子や、人々の暮らし、服装、家具、食器などの展示もあり、生活史的な観点にも抜かりはない。
時代が下ると、ナポレオンが戦争に負けた時に奪われた帽子も陳列されていた。
明治維新とほぼ同時期に、ドイツも国家統一がなされるわけだが、そのあたりのオーストリアとの攻防やドイツ皇帝の親子関係などもなかなか興味深かった。
初代皇帝がなくなった年には後継者がその年にガンのためなくなり、1年に3人の皇帝がいたことになる。また、それとビスマルク解任をめぐる話など。
1920、30年代以降になるとユダヤ人差別の問題も相当詳細に語られていたのだが、こちらのエネルギーが消耗してしまっていて、展示は面白そうだったのだが、飛ばし飛ばしになってしまった。しかしドイツ人らしく、何を持ってユダヤ人というか、半ユダヤ人というかなど定義を厳密にしていたのだった。ドイツ人の徹底性が良く出る場合と、悪く出る場合とと、このあたりからは腹にズシンとこたえる展示が多くなる。
さらに展示は第二次大戦後、東西ドイツの分裂と統一にまで至るのだった。
展示の最初の方に、ドイツの領土が時代によってどう変わるかがデジタル画面で時間を追って示される装置があったのだが、古代は民族の分布だけなのは良いとして、中世以降神聖ローマ帝国が出てくると、イタリア半島の半ばまで領土ということになっているのが、フームという感じであった。そういう立場もあるわけだ。とともに、国という名前が付いていても、名目上という性質が強い国家と実体的な支配を伴う国家がある(無論その中間段階も様々にある)のだとあらためて思った。

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ベルリン

ベルリンに来た(この項、イタリアと直接関係ありません)。

ザルツブルクから飛行機でやってくると、1時間で着いてしまう。驚きの近さ。無知を晒しているだけだが、オーストリアの端にあってむしろイタリアに近いザルツブルクから、ドイツの北にあるベルリンがこれほど近いとは。
以前にザルツブルクからバーゼル(スイス)に行った時には列車でしかもチューリッヒで乗り換えだったので遠いなあという感じを持った。
東京〜大阪だって、飛行機や新幹線で行く場合と、仮に在来線で乗りついで行ったなら体感での距離感は相当変わるだろう。
ベルリンも他のヨーロッパの大都市と同様、川が流れていてシュプレー川というのだが、聞き馴染みがなかった。テムズ川、セーヌ川、ドナウ川、テベレ川、アルノ川と比較して聞き覚えがない。むしろライン川の方がずっと聞き馴染みんでいる。不思議といえば不思議。

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