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2016年8月23日 (火)

《ヴァルキューレ》

クリックすると新しいウィンドウで開きますヴァーグナーのオペラ《ヴァルキューレ》を観た(バイロイト祝祭劇場)前作とは舞台が変わって、農家が舞台でジークムントとジークリンデの出会いと惹かれあいがある。回り舞台で裏側には井戸を掘るような機械がある。

第一幕では人は3人しか出てこないから、スクリーンに映すような関係もないのだが、白黒で労働者やレーニンの姿などが映る。
《ラインの黄金》ではとても効果的と感じたス
クリーンだが、《ヴァルキューレ》では写っているものがピンとこないし、
無理やり感が強かった。ヴァルキューレにレーニン、ソ連の新聞プラウダねえ。演出家にとっては何かそこに込めた思いがあるに違いないと思って良いのかもしれない(良くないのかもしれないが、それがどちらかわからないのは、見ているこちらの理解度が不足なのかもしれないが、演出家が説明不足あるいは不親切とも言えないこともないかもしれない)。
こういう演出で一番活躍の可能性が高いのは批評家、評論家、演出家(自身の)解説であろう。意地悪い見方をすれば、こういうものは、批評家にとってありがたい演出といえよう。《ヴァルキューレ》に、演出家がある自分の独善的な、勝手な、恣意的な思い入れを塗り込めて、その種明かしをする、していただく、ということに、そこはかとない、いやかなりの徒労感を覚える今日この頃である。
しかし演奏は充実していた。ジークリンデを歌ったハイディ・メルトンは体格が立派で、声も突き抜ける声で素晴らしかった。相変わらず、オケの響きは劇場の作りもあって素晴らしい。
ヴァルキューレは作品として、有名なフレーズ、聴かせどころもたっぷりあるのだが、それ以外の部分はとてつもなく冗長に感じられる。一種の我慢大会である。
レチタティーヴォを否定するとこうまで作品の進行が非効率的になるということをこれほど雄弁に証明している作品群はないだろう。ヴァーグナーの影響を受けた作曲家は自分がどれだけ危険極まりない道に足を踏み入れたか自覚があったのだろうか。もちろん、なかったのだろうけれど。。。
上演時間は4時に始まって、一幕の終わり、二幕の終わりに1時間ずつの休憩があって、終焉は9時半。念のため付け加えておくが、ヤノフスキの指揮はキビキビとしており、決してテンポは遅くない。指揮はこの日も素晴らしかった。

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