《ジークフリート》
ヴァーグナーのオペラ《ジークフリート》を観た(バイロイト)。
舞台は、写
真の通り、崖にマルクス、レーニン、スターリン、毛沢東が刻まれている。裏側は現代的なお店などのある広場(旧東ベルリンの広場であったらしい)。
《ジークフリート》ではタイトルロールのジークフリート役はほぼ出ずっぱりでよくスタミナが持つと感心する。アルベリヒやヴォータン、巨人族のファフナーはそれぞれ低音の魅力を聞かせていた。特にファフナーは大蛇の役だから人間を超えたものを表象する迫力が求められるわけだが、その音楽的な要請にカール・ハインツ•レーナーは見事に答えていた。
ただし、演出の関係で、彼はギャング的な人間の姿のまま、ノートゥングという剣(何十回もノートゥングのことが歌われるのに)ではなく、機関銃で撃たれて死んだ。大蛇は出てこずじまい。ワニが出てくるのだが、何のためにいるのかわからない。
社会主義の4人も何のためにずっと見下ろしているのだか。というわけで、第3幕が終わった後は激しいブーイングで、ご丁寧に、歌手には拍手の嵐なのだが、歌手が引っ込んで舞台に誰もいなくなるとブーイングが場内に響き渡るということがカーテンコールの間中続いた。よほど多くの人が演奏には満足していたが演出には不満であったのだ。調べてみると、この演出は4年目だが、演出に対する不満は最初からずっと激しいようである。
ま、評判が良くも悪くも5年間は同じプロダクションだそうなので、来年まではこのプロダクションなのだろう。
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