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2016年8月28日 (日)

《Il templario》 2

オペラはいうまでもなく音楽劇であるから、ストーリーの展開をたどるには、演奏会形式というのは不利であることを再確認した。舞台の上方にドイツ語字幕と英語字幕があり、英語字幕を見ていたのだが、それでも、初体験のオペラであるし、せめてセミステージだったらと思わずにはいられない。

 書き割りだけで良いし、衣装も簡素で良いから配役がわかり、今、何をしているのか、決闘しているのか、愛を語り合っているのかが、一目で分かるのは大事なことだ。
 2幕になって、指揮は少しほぐれてきた。とは言え
軽さというのではなく、彼独自のスイングがより頻繁に見られるようになってきたのだ。
 さて第二幕。レベッカはテンプル騎士団の建物に囚われの身だが、昔、ヨルダン川のほとりでヴィルフレードの手当てをしたことを思いだす。
 そこへブリアーノが現れ、レベッカを切々と口説き、一緒に逃げようというが、レベッカはそれくらいならここから身を投げるとバルコニーに出る。
 テンプル騎士団のグランド・マスター、ルカ・ボーマノワールが登場。レベッカの父イザッコは
ルカに娘の解放を願いでる。こうしてテンプル騎士団の建物に女性を連れ込んだことが発覚してしまうのだが、ブリアーノは口を割らない。
ルカは騎士団への打撃を恐れ、レベッカを魔女だと断罪する。彼女の無実を証明するために決闘が認められ、ブリアーノはレベッカ側に立って戦うつもりだったが、騎士団により騎士団側の戦士に任命されてしまう。
 チェドリーコは居城で、ヴィルフレードに対する父性愛と政治的な野心から息子を許せないという気持ちに引き裂かれている。ヴィルフレードは父に許しを乞う。ロヴェーナもそこに加わり、チェドリーコは息子を許し、ロヴェーナとの仲を認める。
 第3幕
 ヴィルフレードがレベッカの無実を証明する側の騎士として登場。舞台で見えないところで決闘がなされる。レベッカは神に命乞いをする。ヴィルフレードが勝利し、レベッカの無実が認められる。レベッカはヴィルフレードの足元に身を投げ出し、愛を告白する。しかしヴィルフレードは涙を流しつつもレベッカの愛を拒む(ロヴェーナがいるから当然といえば当然だが)。
レベッカは父の腕に倒れる。
 これでストーリーは終わりなのだ。このオペラは1840年にトリノのテアトロ・レージョで初演され、その年のうちにジェノヴァ、ミラノ、トリエステでも上演され、翌1841年にはヴェネツィア、ヴィーン、バルセローナ、ブレーシャ、ヴィチェンツァと広がり、49年ぐらいまでは方々で演奏され、1879年リヴォルノが19世紀の最後。そこから2008年までは忘れ去られていた。忘れ去られた理由の1つは、ロマンティックな愛が騎士道物語に彩られて語られていながら、レベッカの愛はまったく報いられないという点にあるのかもしれない。もっともブリアーノの思いもまったく片思いに終わっているのだが。
 しかし、その問題性が逆に現代ではいろいろな演出の可能性を喚起するかもしれない。フローレスが歌った役は出番はさほど多くないのだが、高音は大変高く、彼は切々たる所は切々と力強いところは力強く完璧に歌っていた。かつてに比較すれば、ほんのすこし声量が小さくなった気もしなくはないが、音楽性は文句無し。後半、聴かせどころのアリアも完璧に決めていた。
レベッカのマルゲーヌも憂いを含んだ顔の表情も含めて、見事にレベッカを描ききっていた。ルカ・サルシはいい声をしているので、翳りのある部分の歌の表情に一工夫あればもっと良かったのにと思えた。高レベルの贅沢な批判であります。
 繰り返しになるが、簡単な書き割りで良いし、簡素な衣装で良いので、舞台化したものを是非見たいものだと強く思った。テンプル騎士団が絡んでいるし、舞台映えすると思うのだが。
 

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