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2016年4月30日 (土)

《あなたたちのために》

ジュゼッペ・ガウディーノ監督の《あなたたちのために》を観た。
ナポリが舞台で、ストーリーは3人の子供(そのうち1人は聾唖者)を育て、夫が暴力をふるうという困難だらけの女性が、テレビ局で正規の職をへて、自信を回復していくというものだが、俳優から言い寄られ、事態は思わぬ方向に展開する。
普段の生活は白黒で、夢や回想シーンがどぎついカラーだったり、主人公の生活を皮肉たっぷりに歌う歌が挿入されたり、寓話的要素も濃厚。また、ナポリの海に突然黒雲(いかにもセットの雲)が登場するのが、バロック・オペラの舞台装置を想起させる。実際、音楽にもヘンデルのオペラからの曲がアレンジして使われていた。女主人公は聖女と重なったりもする。マジカルなリアリズムの不思議な味わいをもった映画。

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《フランチェスコと呼んで》

イタリア映画祭2016が4月29日から始まった(有楽町朝日ホール)。
《フランチェスコと呼んで》を観た。現在のフランチェスコ教皇のアルゼンチン時代が描かれている。彼が司祭になってからのアルゼンチンの政治は軍事独裁の時代と重なる。
主人公ベルゴリオ(ホルヘ・ベルゴリオが教皇になる前の名前、本名である)は、軍事政権に睨まれて国外に逃れようとする人を助けたりもするが、最もむずかしい決断は、解放の神学を信奉し貧しい人々の中に入って活動した神父たちの扱いだった。軍事政権側は、そういった神父はマルクス主義にかぶれた危険思想の持ち主と考えているし、教会の上層部は軍部の考えを黙認、追認している。ベルゴリオは末端の神父と上層部の意向の板ばさみになる。この辺は、解釈がデリケートなところだ。
軍事政権からの解放後、ベルゴリオは高位聖職者の地位をなげうって僻村で歩み始める。そこからまた抜擢され、ブエノスアイレスでスラムの人々に共感をよせていく。
ルケッティ監督はプロパガンダ映画は撮りたくないといい、実際、味わい深いものになっている。ルケッティは、信者ではないが、フランチェスコ教皇の人柄に心うたれていると述べている。監督によると、より長いヴァージョンがあって、来年テレビ放映される(イタリアで)そうだ。そちらも見てみたいものだ。

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《フランチェスコと呼んで》

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2016年4月29日 (金)

《偉大なるマルグリット》

映画《偉大なるマルグリット》を観た(銀座シネスイッチ)。

この映画はイタリア映画ではないのだが、主人公がさる貴族の夫人で、音痴なのだが本人にはその自覚がなく、社交界の人々を招いてリサイタルを開いている、という物語である。監督グザヴィエ・ジャノリでフランス映画。
実際には、アメリカの金持ちの夫人がモデルらしいが、映画では舞台はヨーロッパになっている。
彼女は、プロのオペラ歌手についてレッスンにはげむのだが、最後は精神に異常をきたしてしまう。
フランス的なイロニーがあり、ひねりのきいた映画であった。

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《ジークフリート》

ヴァーグナー作曲のオペラ《ジークフリート》を観た(東京文化会館)。

東京・春・音楽祭のプログラムの1つである。演奏会形式でオーケストラはNHK交響楽団。指揮はマレク・ヤノフスキ(敬称略、以下同様)。
第一幕が特に良かった。ジークフリート役のアンドレアス・シャーガー(テノール)は役に入り込んでおり、身振り手振りもまじえ熱唱。ミーメのゲルハルト・シーゲル(テノール)との掛け合いもよく、シーゲルも充実した歌唱だった。こうなると演奏会形式というのはまことに残念で、せめてセミステージという形はとれなかったのだろうかと思う。
日本には能狂言というお手本がある。舞台装置は最小限、象徴的なものでよい。ただし、歌手の服装は燕尾服やタキシードではなく、なんらかの舞台衣装にしてもらえば、それによってニーベルングの指環の世界に没入できるであろう。
この日は、田尾下哲による映像があり、これは控えめで演奏への集中をさまたげることがなく必要にして十分で良かった。オペラを理解したうえでサポートしようという姿勢が大変好ましい。
ヴァーグナーは歌手と同等かそれ以上にオーケストラがものを言う。NHK交響楽団はさすがである。演奏会形式なので、オペラなのだが、オーケストラピットではなく、ステージ上にオケはいるので音はこもらず、会場に鳴り響く。響き、音量ともに堪能した。指揮もモダンできびきびとしていてよかった。

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