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2016年3月27日 (日)

武田好著『これならわかるイタリア語文法』

武田好著『これならわかるイタリア語文法ー入門から上級まで』(NHK出版、3200円)を読んだ。

とてもわかりやすい。説明が明快であるし、例文がいかにも日常的に使われそうなものだ。基本的なものだけでなく中級以上の注意ポイントにもかゆいところに手がとどくよう。たとえば、
 Forese ce l'ha con me (たぶん私に腹を立てている)p.69
 Ci sei? (わかる?) p.71
  Bambini, togliete i gomiti dal tavolo! (子どもたち、テーブルにひじをつかないようにしなさい!)p.99
  かと思うと、オペラ(ドニゼッティの『愛の妙薬』)から
 Udite, udite, o rustici attenti non fiatate.(村の皆様、お耳を拝借、おしゃべりなさらずご注目)。p.99
  Mio padre si fa fare la barba dal barbiere. (私の父は理髪師にひげを剃ってもらいます)
 さらには、擬音語、擬態語も載っている。p215.
  新聞などを読む人にも役立つ。
 la tutela del lavoratore nelle norme vigenti (現行法における労働者の保護)
これは現在分詞 vigenti が問題になるところだが、
 norma vigente 現行法←norma che vige ancora 現在も効力ある規定
という説明があり、納得。
 現代における通常の会話や散文で文法に疑問を感じた場合にはとても便利な一冊だと思う。中級を終えた段階であまりに詳しい文法書だと(つまり歴史的な経緯、変化が詳述してあると)人によっては混乱してしまうことがあるので、情報を適度に整理してあったほうが、ああこう言う、書くのが標準なのだと教えてくれる本が便利である。
 活字が適度に大きく、行間が詰まりすぎていないのもフレンドリーで良いと思う。
 

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ブッツァーティ 『絵物語』

ディーノ・ブッツァーティ著、長野徹訳・解説『絵物語』を読んだ(東宣出版、4000円)。

タイトルから推測されるように画集である。ブッツァーティは、小説家として名高いし、これまで『タタール人の砂漠』や『七人の使者』などが訳されている。
しかし、ブッツァーティ自身は、自分にとって画業が本業であり、文章を書くことは趣味だったと言っている。
ブッツァーティの絵は、デ・キリコやジャコメッティやバルテュスなどなどを想起されるものでありつつ、独特の味わいがある。渡米後はアメリカのポップな絵の影響を受けるのだが、画風は変わっても味わいは独特である。彼は絵で物語を語ろうとしており、皮肉やエロスに充ちたミクロな物語が絵によって語られるのである。印刷も上質で、繰り返し楽しめそうな本だ。

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2016年3月14日 (月)

《ラ・ボエーム》

プッチーニ作曲の《ラ・ボエーム》を観た(たましんRISURUホール)。

立川市民オペラ公演2016ということで、僕ははじめてであったが、パンフレットによれば平成4年から立川市民オペラという活動が続いている。
ソリストは藤原歌劇団や二期会の若手で、合唱団は地元の合唱団(立川市民オペラ合唱団、立川市民オペラ2016児童合唱団)。こういうやり方で、地元の人々が単なる観客ではなく、自分たちも参加してオペラを作っていくということの意義は大きいであろうと推察する。観客も、自分の親族・友人・知人が出演していれば、いっそう気持ちが入るというものだ。そういえば、オペラも芝居も熱心に劇場に行く人には、たいてい贔屓の役者や歌手がいるものだ。この場合、親族や友人ではなくても、その役者・歌手に気持ちが入っている点は同じだと言ってよいだろう。
オーケストラは簡略なもので、ピアノとフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットである。しかし第二幕で舞台上にバンダが出てくる場面では、バンダが別にいた。
決して派手な装置ではないが、ドアや窓、門をみせて(天上や屋根がない形)、空間の仕切りをつけていて、話の進展はわかりやすい。また、第二幕、カフェ・モミュスの場面も、戸外であることを照明の色を変えて表現していた。好ましい演出。
会場のたましんRISURUホールは、昔からある市民会館や文化会館の感じ。最近、行った川口やいくつかのホールが日本がバブルあるいは税収に恵まれていた時期に建てられたものだったのだろう。そういった音楽ホールとこういう通常の市民会館の違いは、音の響きやすさにある。反射音があまりなくて、声が吸い込まれていくというと大げさなのだが、パーンと響かせることはむずかしそうだった。しかし、オーケストラが小編成なのでその分は救われていると思った。
歌手はミミの佐田山千恵(敬称略、以下同様)が演技もふくめ純朴な感じのミミ。それに対し別府美沙子のムゼッタは、動きも歌も様式的に決まる。演技にかんして言えば、のべつ幕なしに動きまわるのではなく、動くときは動き、手の動きもすぱっと動いてあとは止まるという気持ちのよいもの。ムゼッタのワルツなど、人によってはたっぷりめに歌って少しくずして歌うが、別府のムゼッタの歌は格調高い。かといって堅苦しいものではなく、こういうムゼッタも音楽的で、ベルカントでいいものだと思った。男性陣もロドルフォの笛田博昭のロドルフォは出色だった。この人、声が通るし、堂々とした身体つきで、ロマンティックな役柄にもぴったりだと思う。しいて難を言えば、声の音色の強いところは文句ないのだが、甘く歌うところの表情がさらにやわらかみを増せば鬼に金棒であろう。マルチェッロの須藤慎吾もよかった。ロドルフォとマルチェッロの掛け合いでも、互角に渡り合い、いやな癖のない気持ちのいい歌をきかせてくれた。
全体として、思った以上にと言っては失礼かもしれないが、レベルの高い上演で満足した。《ラ・ボエーム》は音楽的には第一幕が特に良く出来ている。この作品は、出来上がるまでに
リブレッティスタ(台本家)イッリカとジャコーザとさんざん揉めて、プッチーニとやりあって完成したリブレットだ。台本も練りに練ってあるし、それにふさわしい音楽がついている。ただし、それはヴェルディの時代のように、理想に燃える人物が登場するのではなく、むしろ、庶民の生活をありのままに描くというリアリズム、自然主義のものなので、主人公が何かに目覚めて成長するというような要素は乏しい。第四幕を見れば明らかだが、第一幕のメロディーがミミとロドルフォで入れ替わって歌われる。つまり、一回りして、同じところに帰ってくるのだ。《ラ・ボエーム》が書かれた時には、ヨーロッパの革命の季節は終わり、イタリアの国家統一も終わっていた。そういった政治の季節の違いをオペラも反映しているのである。

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ヤナーチェク 《イェヌーファ》

ヤナーチェク作曲のオペラ《イェヌーファ》を観た(新国立劇場)。

こちらは、先に書いた《イル・トロヴァトーレ》とは反対に、自分の中に曲が入っていない状態で、新鮮。DVDとほぼ同じメンバーが歌っており、安定感があった。シュテヴァのザンピエーリはDVDのメンバーと異なっているが、やや荒削り。指揮のトマーシュ・ハヌスはなかなか良かったと思う。この曲、オスティナートが多い。それによって登場人物の強迫観念を示しているのかもしれないし、状況の閉塞感を表現しているのかもしれない。また合唱はいかにも民俗的な表情のリズム、メロディーが出てくる。イタリアで言えばヴェリズモの時代である。文学でいえば自然主義で、醜いものであれ、貧困であれ、リアリズムで追求していく時代であったのだなあ、と納得。

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《イル・トロヴァトーレ》

ヴェルディ作曲のオペラ《イル・トロヴァトーレ》を観た(上野・東京文化会館)。

指揮はバッティストーニ。オーケストラは東京都交響楽団。バッティストーニのヴェルディは日本とイタリアで何度か聞いているので期待値はどうしても高くなってしまう。期待値が高かったということを断ったうえで言うと、都響はオペラになれていないのだな、という気がした。潜在的な演奏能力は高いと思うが、イタリア・オペラのノリがイマイチなのである。リズム感も含めて。ところどころこんなところでというミスもあった。しかし、これは評者がこの曲を様々なCDの名盤で(いや50年代、60年代の名盤のみだが)何度も何度も聞いてしまったから気がついてしまったのだと思う。こういうところが古典的な名曲のこわさだ。
演出はすっきりしていたが、個人的にはこの頃時に見られるルーナ伯爵とレオノーラ(恋人マンリーコを救うために自分の身をささげるというーーだがその時彼女は毒薬を飲んでいる)が実際に肉体関係を持つことを暗示するようにはしないほうが好ましいと筆者は考えている。このオペラの原作は、スペインのロマン主義演劇であり、リアリズムが追求されるべきものではなく、レオノーラは理想化された女性(こういう生き方が女性の理想なのか、と憤慨する向きもあるかもしれないが、そういう意味ではなくて、ある観念を具現化する存在に近づいているといったらよいだろうか)なのである。
ルーナ伯爵は上江隼人(敬称略)。近年のレオ・ヌッチのようにパルランテを多様し、表情の綾を使いわけていたのは見事だったが、もう少し控えめでもよかったのではないか。レオノーラの並河寿美は熱唱。個人的にはもう少しヴィブラートが少ないほうがレオノーラの性格にかなうのかという印象を持った。アズチェーナの清水華澄は見事だった。歌唱、存在感がアズチェーナにピッタリ。

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