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2016年1月27日 (水)

カッチーニ作曲《エウリディーチェ》

カッチーニ作曲のオペラ《エウリディーチェ》を観た(川口、リリアホール)。 リリアホールははじめてである。川口は、埼玉県だが東京の赤羽から1駅。つまり荒川をわたれば川口であり、リリアホールは駅から地上に降りることもなくホールにたどりつける。ホールは大きくはなく、こうした小さな編成のオーケストラにはうってつけだ。客席のまわりの壁もすべて木におおわれ、正面には立派なパイプオルガンが備え付けられている。

カッチーニの 《エウリディーチェ》はオペラ史の本、教科書に必ず出てくる。フィレンツェでオペラが誕生した際にいくつかの作品の上演があったわけだが、これが楽譜が残存しているものとしてはもっとも古いのである。オペラの最初の傑作とされるのはモンテヴェルディの《オルフェオ》であるが、モンテヴェルディがこのフィレンツェの諸作に大いに刺激をうけたことは言うまでもない。 オペラ史の教科書では見るものの、実際の上演は今回が日本初。大変貴重な機会である。
上演した団体はアントネッロといい、すでにモンテヴェルディの残存するオペラを3つとも上演している。無料で配布されるパンフレットは大変充実していて、歌手陣の紹介の他に、演出の家田淳氏の演出ノート、アントネッロを率いる濱田芳通氏による演奏ノートがあり、後者には《エウリディーチェ》のオリジナル楽譜に、濱田氏の考えによりカッチーニの歌曲集から数曲を付け加えたこと、あるいは他の場面にはマリーニやカヴァリエーリなどの曲が挿入されていることが細かく記されている。
この追加は、《エウリディーチェ》がいわゆるレチタール・カンタンドというレチタティーヴォが少しエスプレッシーヴォになって(音楽的表情が加えられて)いるので、多少アリア的な要素、あるいは前奏曲や間奏曲的な要素を付加して、観客にサーヴィスをしてくれているのだと思う。
舞台は、ステージの上に小編成のオケがいて、その周りおよび二階部分(パイプオルガンの奏者がいるはずのあたり)を歌手が演技の場として用いる。セミステージで、大々的な装置はないが、そのことは気にならないし、おそらくは1600年ごろの上演でもそうだったのではないだろうか。
周知のごとく、《エウリディーチェ》(台本はオペラ史上最初のリブレッティスタ、リヌッチーニによるもの)は、ストーリーはギリシア神話がもとになっている。オルフェオとエウリディーチェのカップルがいて、結ばれた喜びもつかのま、エウリディーチェが毒蛇にかまれて死に、それを嘆いたオルフェオは黄泉の国にいって、黄泉の国の王プルートに嘆願してエウリディーチェをとりかえす。そこからがオペラではいくつかのバージョンがあって、本来の神話では、地上に出るまでオルフェオはエウリディーチェを振り返ってはいけないと言われるのだが、途中で振り返って、再びエウリディーチェは黄泉の国に引き戻され、オルフェオは一人さみしく地上にかえり、バッコスの巫女に引き裂かれるという悲劇的結末。しかし、オペラ誕生時、オペラが作曲されるのはパトロンの貴族の祝事によせてのことが多く、実際、カッチーニの《エウリディーチェ》も、フィレンツェのマリア・デ・メディチとフランスのアンリ4世の結婚を記念してのものだったから、結末はハッピーエンドに変えられて、オルフェオの愛の力で、エウリディーチェをとりもどせてよかった、という結末になっている。
今回の演出では、羊飼い・妖精たちが個々に名前を与えられて、それぞれカップルになっているという想定。リヌッチーニのオリジナルのリブレットでは、ダフネ以外は第一のニンフ、第二のニンフとなっており、羊飼いもアミンタなどの名はなくて、第一、第二、第三の羊飼いとなっているのである。
演奏は、上質なものであった。多少の調子の良し悪しはあるものの、歌手はレチタール・カンタンドとはこういうものだったのだとわれわれを一時タイムマシンにのせてくれたのだった。イタリア語の発音もしっかりしていた。
残念だったのは、ハープとチェンバロを担当するはずだった西山まりえ氏が出演できなかったことだ。オルフェオが竪琴をかきならす時にハープの音がするはずだったのだと思う。また、チェンバロがいないと、リズムがともすればシャキッとしない瞬間があるのだということも判った。
という過酷な条件のなかで、アントネッロと歌手陣は、十二分に観客を楽しませてくれたと思う。感謝、感謝である。会場は満員であった。東京圏にいると日々の満員電車や人混みのストレスもあるが、こういう稀有な催しに出会える幸せもあるということか。


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2016年1月17日 (日)

《Written on Skin》

《Written on Skin》をBDで観た。

21世紀に作曲、制作されたオペラである。初演はフランスのエクサンプロヴァンスだが、BD(ブルーレイディスク)はイギリスのロイヤルオペラでのもの。
作曲者ジョージ・ベンジャミンが指揮をしている。リブレットはマーティン・クリンプ。ただしクリンプはリブレットと呼ばずにテクストと呼んでいる。また、このオペラは3幕構成なのだが、第一幕(Act 1)とは言わずに Part 1, Part2, Part3 と呼ばれ、場に関しては通常とおなじくscene という語が用いられている。
ストーリーは中心部分は三角関係である。夫婦がいて、少年がやってきて、やがて妻と関係が出来てしまう。ただし、これが中世フランスのトロヴァドゥール(吟遊詩人)の物語に基づいているところが一工夫あるところだ、夫はプロテクター(保護者)と呼ばれていて、妻は最初は従順なのだが、少年の存在により何かが動きだし、セクシュアルに解放されてしまい、そのことが悲劇を招く。妻に愛人の心臓を食べさせるというグロテスクな場面は、おそらく元になった話にあるものだろうし、少し時代がくだってボッカッチョの《デカメロン》でもこういった場面は出てくる。
夫は、聖書にもとづいたイラスト入りの本の制作を少年に依頼して、自らの家に住まわせているうちに彼と妻が接近してしまうのである。
音楽は、アルバン・ベルク以降の前衛的な音楽がこなれた感じで場面、場面にふさわしく響く。
舞台は、上下二段に分かれ、上の部分は現代、下の段(1階部分)は向かって左が現代(衣装の着替えるところが客席から見える)、右が中世風の場であり、現代というフレームと隣接して中世の世界の劇が展開している。
そこで、女性が単に男に従順である存在から、セクシュアルに解放され、解放されると同時に悲劇的結末を迎えるという様々な解釈を引き寄せるストーリー展開になっている。
1時間40分ほどなので、1本の映画を観るくらいの時間であり、上記のような通俗性とメタストーリー性を兼ね備えているので、飽きずに最後まで見通せる。いや、後半、終盤にかけて引き込まれていく。
友人にその存在を教えられて観たのだが、いくつかの賞も取り、ここ数年では評判のオペラであるようだ。
脚本やプロダクションまでふくめて良く出来たお芝居になっていると思った。

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