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2015年8月14日 (金)

《幸福な間違い》

ロッシーニ・オペラ・フェスティバルでロッシーニのオペラ《幸福な間違い》を観た(ロッシーニ劇場)。
このオペラはストーリーとしてはやや複雑で、幕が開く前に生じた出来事を知らないといけない。10年前に公爵夫人イザベッラは臣下のオルモンドにせまられ、拒絶すると、彼女が不貞をはたらいたと無実の罪をきせられる。彼女は船にのせられ海に流される。公爵および公爵の周囲ではイザベッラは死んだことになっていたが、実は彼女は
漂着して炭鉱長のタラボットにひろわれ、彼の姪として扱われていた。
幕があくと、イザベッラは公爵の肖像画のはいったロケットを見つめている。タラボットが訳を訊ねると、彼女は公爵に書いた手紙を見せ、なぜ自分がここに来るにいたったかを明らかにする。公爵と部下たちがやってきて、バトーネはイザベッラ(今はニーサという名を名乗っている)が公爵夫人ではないかと見抜く。イザベッラも彼が自分を陥れた男だと見抜く。
どうやって公爵夫妻がもとの鞘におさまってめでたしめでたしとなるかがストーリーの展開である。
演出はグレアム・ヴィックで20年前のものの再演とのこと。
タラボットとニーサがえらくみすぼらしい服を着ているのに対し、公爵やその部下たちは軍人としてりりしい服を着ているというコントラストはあるが、あとはごくオーソドックスな演出である。
指揮はデニス・ヴラセンコ。若手でやや力みがちだった。イザベッラはマリアンジェラ・シチリア。この役はとてもむつかしいと思う。というのも、このオペラがセミセリアでシリアスな部分とオペラ・ブッフォ的な部分がないまぜになっていて、自分の境遇を嘆いたりする叙情的な部分ではロマン派的な半音があったりするのだtが、タラボットとの絡みではオペラブッファ的な軽妙なリズム、アジリタも要求されるからだ。マリアンジェラ・シチリアは前者の部分により応えており、後者の部分においてやや不十分なところがあったかもしれない。公爵ベルトランドはヴァシリス・カヴァヤスというアテネ生まれのテノールだが、高音がややかたく、軽快感をもうすこし出せればよいのにと思うところがあった。悪役のオルモンドはジュリオ・マストロトターロはバリトンだが調子が悪かったのか声が伸びていなかった。タラボットのカルロ・レポーレはナポリ生まれのバス。レチタティーヴォにおいてもアリアでも二重唱でも、言葉も節回しもきわめて安定しているし、かつリズム感もよく安心してロッシーニの音楽世界につれていってくれる ベテランである。バトーネはダヴィデ・ルチャーノ。2012年には若手の《ランスへの旅》に出ていたことから成長株といえよう。彼はシリアスな場面も軽妙な場面もしっかり歌い分け、レポーレとならび拍手を多くもらっていたことにも納得がいった。
比較的見る機会が少ない演目なので観られただけでも幸運であった。

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