《トリドのイフィジェニア》
グルック作曲のオペラ《トリドのイフィジェニー》を観た(ザルツブルク、モーツァルトハウス)。
原作は古代ギリシアのエウリピデスの戯曲。オペラは1779年にグルック作曲、ニコラ=フランソワ・ギヤールのリブレットで作られた。グルックはオペラ改革をやった人で、このオペラではレチタティーヴォがアコンパニャート(オーケストラの伴奏つき)となっており、バレエのシーンがほぼ無くなっている。
ストーリは幕があがる前までに起こったできごとを踏まえておく必要がある。トロイ戦争のあと勇将アガメムノンは妻クリタイムネストラに殺されてしまう。しかしクリタイムネストラは息子オレステに殺される。イフィジェニー(イフィゲニア)は父アガメムノンによって月の女神ディアナ(アルテミス)の生贄にされそうになるが、ぎりぎりのところでトリドに流され巫女となる。
幕があがるとイフィジェニーは家族の暗い悲劇を夢にみてうなされている。しかしこの島では難破した人間を神の生贄として殺すことになっている。そこへ2人のギリシア人が難破してやってくる。住民は生贄にするよう求める。しかしこの2人はオレストとその友人ピラデスであったのだ。
第二幕ではオレストとピラデスは囚われの身。そこへイフィジェニーがやってきて、二人は姉弟とは知らぬものの似た人があるものだと思う。イフィジェニーは故郷の様子をオレステに尋ね、オレステは父母の惨劇を伝えオレステも死んだという。イフィジェニーは悲しみ葬式をする。
第三幕、イフィジェニーはスキタイの王トアスを説得してせめて一人は救おうという。オレステと友人ピラデスは互いに自分が死ぬと言う。結局、ピラデスが故郷に手紙を届ける(助かる側)ことになる。
第4幕では、オレステは生贄にされる覚悟を決めている。イフィジェニーが刀をといでいるときに、オレステが最後にイフィジェニーの名を呼び、二人は姉弟であることを認識する。そこへ王がやってきて、一人を逃したことを怒り二人(姉弟)とも処刑すると告げる。そこへピラデスがギリシアの軍勢をひきいてやってきて王を倒し、めでたしめでたしとなる。
この日の演出では古代ギリシアには見えず、病院とか難民収容所のような場所に見えた。イフィジェニア(チェチリア・バルトリ)は、巫女のはずだが、髪を短くして、服装も作業着かなにかに見え、色も地味。スキタイの暴君トアス(ミヒャエル・クラウス)は、背広でメガネをかけて登場。オレステ(クロストファー・マルトマン)が処刑寸前までいくときには全裸であった。1対1で対応させる意図があるかどうかは不明だが、現代の難民の問題や、ISにおける処刑の問題が連想されるような舞台であった。そのせいか、カーテンコールで歌手や指揮者には惜しみない拍手がおくられたが、演出家が登場するとブーイングと拍手が激しく交錯した。
オレステとのあつい友情を示すピラデはロランド・ヴィラソンで、ところどころで歌い回しのうまさをみせつつ、全体としては様式感を保つ抑制的な歌い方をしていたのに好感が持てた。バルトリは言うまでもなく上手いのではあるが、彼女のアジリタの技巧のきかせどころがグルックにはない、グルックが拒否している、のが残念な気もした。バロック・オペラが復権してきてその華やかな技巧に聞き慣れてくると、そういうアジリタの聞かせどころがないことに一抹のさみしさを感じるものだということを経験した。
オーケストラの方は、変化に富んでいるのだから、声も平らかに歌うところばかりでなく、駆け巡るところがあってもいいのになあ、という思いである。ないものねだりか。
グルックのバロック的なところと、ウィーン古典派的なところの入り混じった独特の魅力は十分感じることができた。
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