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2015年8月11日 (火)

《ルクレシアの陵辱》

ベンジャミン・ブリテンのオペラ《ルクレシアの陵辱》を観た(グラインドボーン)。

このストーリーの大元は古代ローマに起こった史実とされる事件。リウィウスが『ローマ建国史』に書いている。ローマはある時期までエトルリア人の王によって支配されていた。最後のエトルリア人のタルクィニウスは暴虐な王で、この話はその息子の王子タルクィニウスがルクレシア(ルくレティア)という人妻を犯してしまうという事件にもとづいている。
これをきっかけにローマ人がエトルリアの王を追放したことになっていて、そのためかこの逸話はその後、絵画の主題になったり、シェイクスピアが物語詩にしたり、ヘンデルが曲をつけたりしている。
ブリテンのこのオペラの場合はシェイクスピアを原作とせずにフランスのアンドレ・オベイの戯曲にもとづいてロナルド・ダンカンがリブレットを書いた。オベイが導入した重要なポイントは男性の合唱と女性の合唱がいることで、ただしそれぞれ一人なのである。この1人合唱は、ナレーションや登場人物の心理を説明したりする役割を果たしている。
ストーリーは男達が、戦争などに出かけていると妻が何をしているかわからないということから、ルクレシアだけは貞節だということがわかり、それに妙な刺激をうけた王子タルクィニウスが留守宅のルクレシアを訪れて泊めてもらい、犯してしまう。翌日、ルクレシアは夫を呼び寄せ、事の顛末を打ち明ける。夫はお前に罪はないといって赦すのだが、ルクレシアは自殺してしまう。
ストーリーだけ書くと非常に嫌な後味の悪い話なのであるが、このオペラがもたらす心の揺さぶりは、どこから来るのかなかなか一言では説明しがたいものがある。ルクレシアを歌ったクリスティーン・ライスの特に低声部の存在感の見事さは賞賛に値しようし、フィオナ・ショーの演出(考古学の発掘現場で、古代ローマの登場人物を掘り出しているといった枠組み)も説得力があった。特に、初演で評判の悪かったキリスト教的な説教的な文句がこの上演では説得力のあるものに響いたのだ。ブリテンとダンカンはかなり無理筋なことを書き加えたわけで、下手をすれば、そこだけが浮いてしまうだろう。しかし、それは逆に言えば、演劇としては可能性をひめた裂け目だと言えることが立証された上演だった。
また、この《ルクレシアの陵辱》は《ピーター・グライムズ》の直後に書かれたのであるが、《ピーター・グライムズ》がおおがかりなフル・オーケストラのために書かれているのに対し、こちらはわずか13人の演奏者(オケ)のために書かれている。ピアノも含まれてはいるが。13人ではあるが、劇場の音響がいいせいもあって、音量的にも音色としても不足はなかった。むしろ興奮した早いパッセージは迫力にみちていた。イタリアオペラを聴き慣れているものにとっては単調なメロディーが繰り返される時がややつらい時があるが、全体としては予想以上に素晴らしい演奏で感銘をうけた。

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