《ウェルテル》
マスネ作曲のオペラ《ウェルテル》を聴いた(ザルツブルク祝祭大劇場)。
こちらは本格的なコンサート形式で、主人公のウェルテルを歌うピョートル・ベチャワはタキシードで出てくる。シャルロッテ役のゲオルギュは第1幕、第2幕と、休憩をはさんだ第3幕、第4幕ではドレスを変えていたけれども、それとて役中のシェルロッテが着ていそうな衣装というよりは、華やかなロングドレスである。また、そもそも舞台の上にオーケストラがのっていて、その前に譜面台を立てて歌っているのだ。
同日に別の会場で演じられた《ダイドーとエネアス》の場合、オーケストラはオーケストラピットにおり、舞台の上には歌手と合唱団しかいないし、歌手もシンプルだが、舞台衣装で、合唱団もプリーツのついた大きな布をまとっていて(それには何色かあって人によって色が違う)場面によってその布を頭からかぶったり、鳥の羽のように広げたりして様々な動きを表していたし、舞台上を演技をしながら動いていたので、コンサート形式というよりは大変シンプルな舞台装置のオペラ上演ということかと思う。しかしながら、どちらもコンサート形式という名称でくくられている。日本での上演でもそうだが、コンサート形式という言葉は意味する幅が少し広すぎる気がする。簡易な舞台装置だけれど、歌手も演技をしながら歌う場合の適切な言葉があるとよいのだが。切符を買う側としては、区別をしてもらったほうがありがたい。
オーケストラはモーツァルテウムオーケストラで、指揮はアレホ・ペレス。この日の演奏ではマスネがふわっとした柔らかい響きにつつまれるのではなく、イタリアオペラ的にくっきりと、管楽器やティンパニーが鳴るところでは激しくなっていた。正直やや変わったマスネだと思って聴いていたのだが、こういう風にくっきりメリハリをつけて演奏するとマスネの管弦楽法がプッチーニとよく似ていることに気がついた。マスネは1842年生まれでプッチーニは1858年生まれ、ウェルテルの初演は1892年だから、無論プッチーニがマスネの影響を受けたのだ。この二人、小説『マノン・レスコー』をどちらもオペラ化しているし、プッチーニが相当にマスネを意識していたのは間違いないだろう。しかし通常の演奏ではマスネがふんわりとした柔らかい響きにつつまれるためプッチーニの管弦楽法との類似性に気がつきにくいのである。この日の演奏ではメロディーを弦が一斉に奏でるところなどよく似ているところが多々あった。
ベチャワは調子がよかったし熱演だった。ゲオルギュも一時期のように演技をしすぎることがなく(コンサート形式だからできないが)そのせいか声の表情もくどすぎることがなくよかった。脇の人々も好演で、こういう風に演技や演奏スタイルによるベールにつつまれない演奏に接すると、音楽やリブレットの強み、弱みがはっきりでる、特徴がはっきりわかると感じた。
そういう意味でアレホ・ペレスの一味変わったマスネを堪能した。
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