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2015年8月11日 (火)

《スペインの時計》、《子供と魔法》

ラヴェルのオペラ 《スペインの時計》と《子供と魔法》の二本立てを観た(グラインドボーン)。

《スペインの時計》は、時計屋の女房が亭主の留守の間に、恋人を連れ込もうとするという話。女房のコンセプシオンの恋人は詩人で、時間がないと言っているのに、へぼなソネットなどをつくってなかなか事をいたさなくて、彼女はじれてしまう。
そもそも時計屋には、ラバ曳きのラミロが時計をなおしてくれとやってきていたので、彼女は彼に大きな時計を二階に運んでくれと言って、恋人との愛を交わすチャンスをつくろうとしていたのだ。
次には銀行家のドン・イニゴがコンセプシオンを口説きにやってきて。。。といった具合に、かなり艶笑話的なストーリーが展開するがこれは20世紀初頭に書かれた季節はずれのオペラブッファなのである。初演は1911年のオペラコミック。
それから15年ほど経過した1925年に上演されたのが《子供と魔法》で、タイトルだけ聞くと子供のためのオペラかと思うが、音楽的にもリブレット的にもこちらのほうが一段と充実したオペラだという印象を受けた。
まず、子供が宿題をやっていて(いや、机には向かっているが全然やっていなくて)、母親にしかられる。子供は、まわりのティーポットや壁紙や辞書に八つ当たりをする。その後、夢の世界となり、椅子が口をきいて、あの子にもう座られなくてせいせいした、とか、やぶられた壁紙に描かれていた羊飼いたちが登場したりして、子供を責める。子供はついに怖くなって母親を呼んで幕。
夢の中にはいろいろなものが子供を責めるが、動物や植物も出てくる。しかしそこで傷ついたリスに手当てをしてやる。すると動物たち、植物たちは、この子にも優しい気持ちがあるんだといって態度をやわらげる場面がミソとなっている。
精神分析の出現以降であるから、当然、夢というのが深層心理、無意識の世界を想起させる。子供は、利己的な世界観から、深層世界に降りて行って、ある成長をなしとげて帰ってくるという物語とも解釈できるだろう。何より、音楽の使い方が《スペインの時計》以上に洗練されているし、むしろこちらのほうがユーモラスな響きに満ちている。
20世紀のオペラはヴェリスモで徹底的にリアリズムを追求したのちは、アレゴリカル(寓意的)なものに可能性を見出した面がある。プッチーニの《トゥーランドット》がそうである。ラヴェルの《子供と魔法》もそういうものとして捉えることができるかもしれない。
演出は、《子供と魔法》では巨大な机にむかって巨大ないすの上にちょこんとすわった子供がいるという場面からはじまり、擬人化されたティーポットなど不思議の国のアリスをおもわせる世界で大いに楽しめた。

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