《セメレ》つづき
セメレのつづき。この公演は Canadian Opera Company によるもので、引っ越し公演なのだろうと思う。
劇場は古めかしいが立派なものだった。1つ残念だったのは、バロックオペラなので、ハープシコードが出てくるのだが、アンプで増幅し、スピーカーから音を出しているのだが、その音を大きくしすぎていて、歌手の声を圧倒してしまうことがあった。
Zhhang Huan の演出は、中国のお寺を解体したものを持ってきて組み立てたのだが、オペラの序曲の部分でその過程をヴィデオで流していた。また、第一幕の終わりにチベットの歌(当然だが原曲にはない)をチベット人らしき人が発声もベルカントとはまったく別の民謡風の歌いかたで歌ったのには激しい違和感を感じた。なぜ、原曲にないものが挿入されねばならないのか理解に苦しんだ。
また、ハッピーエンドで終わるはずのところの結末部分が観られない、その部分の音楽が聴けないのは個人的には残念だった。オペラセリアとしてある秩序が回復されて終わるというすっきりした形にならないのはすっきりしない。演出家がオペラに不慣れだと自らプログラムに記していたが、作品の書かれた時代の様式観を踏まえない場合、往々にしてロマンティックな、ロマン派的な芸術観をあてはめて考えがちである。それがバロックオペラにふさわしいかどうかという問題である。
また、最後の最後に流れたのは、これまたヘンデルの作曲とは無関係の「インターナショナル」(革命歌、労働歌)であった。まわりのアメリカ人はどうも「インターナショナル」を聴いたことのない人が多いのではないかと思えたが、確認したわけではないので断言はできない。
歌手は、タイトルロールの Jane Archibald の切れのある歌唱が光っていた。
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