夏時間
イタリアでは3月29日の午前2時に1時間時計の針が進められ、夏時間(l’ora legale)が始まった。期間は10月24日から25日の夜中まで。
その結果、日本との時差は7時間になった。
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イタリアでは3月29日の午前2時に1時間時計の針が進められ、夏時間(l’ora legale)が始まった。期間は10月24日から25日の夜中まで。
その結果、日本との時差は7時間になった。
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MET のオペラ・ギルドのレクチャーを聴いた(リンカーンセンターのそば)。
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マスネ作曲のオペラ《マノン》を観た(メトロポリタン歌劇場)。原作はアベ・プレヴォの小説「マノン・レスコー」で、後にプッチーニもオペラ化し《マノン・レスコー》を作ることになる。
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The MET Chamber Ensamble のコンサートを聴いた(カーネギーホール)。
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セメレのつづき。この公演は Canadian Opera Company によるもので、引っ越し公演なのだろうと思う。
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Jane Archibald as Semele. Photo: Gary Beechey |
ヘンデルの音楽劇《セメレ》を観た(ブルックリン、BAM ハワード・ギルマン・オペラハウス)。BAMというのはブルックリンの音楽学校のことである。大きなビルの中に、複数の劇場が入っている。
《セメレ》のことを音楽劇と書いたのは、劇的オラトリオとも言えるものなのだが、内容が聖書に基づくものではなく、ギリシア・ローマ神話にもとづくもので、オペラ的性格を持っているからだ。ヘンデルは、イギリスに渡ってイタリア語のリブレットによるオペラを書いていたが、次第にいろんな問題がでてきて、後半生には英語台本によるオラトリオが増え、イタリア語台本のオペラは書かなくなってしまう。
《セメレ》の分類は、ウィントン・ディーン著『ヘンデル オペラ・セリアの世界』には劇的オラトリオとされているし、ドナルド・バロウズ編著『ヘンデル』の中のルース・スミスによると、英語オラトリオには含めずに、「英語マスク、劇音楽、カンタータ、道徳的オード」というくくりの中にいれている。分類していってどこにも入りきれないものを寄せ集めたくくりなのであろう。《セメレ》は、古典的な分類基準では、どこに入れたらよいか困るしろものなのである。
また、それゆえに、コンサート形式で上演されることと、オペラのように上演されることと両方あるようだ。今回のはオペラ形式であった。分類のやっかいさとは別に、オペラとして観て、非常に面白いものだった。通常のオペラでも、モンテヴェルディの《オルフェオ》のようなものもあり、オペラの出発点からギリシア神話を取り上げていたのだから、これをオペラとして上演して、観客はそういうものとして観て不都合はない。
また、ギリシア神話の神々は人間くさいので(つまり立派なだけではないので)、堅苦しい話ではない。ジュピターが、妻ジュノーがいるのだが、人間の娘セメレに恋をする。セメレは王子アタマスと婚約しているので、その結婚式をじゃまするためジュピターは雷をおとす。実はセメレの妹イノはアタマスを恋しているという複雑な関係。ジュピターは鷲に変身して、セメレを連れ去ってしまい、セメレはジュピターの愛人となる。
第二幕。夫ジュピターがセメレのために宮殿を造ったことを知り激怒するジュノー。彼女は復讐を誓い、眠りの神ソムヌスに助けをもとめる。セメレとジュピターの会話からセメレが不死の存在にあこがれている、つまり彼女も神の仲間入りをしたいと強く願っていることがわかる。ジュピターはそれは無理だと告げるのをためらい、地上から妹イノを呼び出す。
この第二幕では、society (社会であり、社交界である)という言葉もでてきて、比喩的には神々の世界が貴族社会、セメレのいる人間界が平民の世界と受け取れるのだった。貴族の愛人となって囲われていたら、貴族同士のおつきあいに加わりたくなる、というものだろう。自分だけ一人平民で仲間はずれというのはさびしい、というわけだ。
第三幕ジュノーとイリスは、眠りの神ソムヌスを起こす。ソムヌスに依頼して、ジュピターの恋心をたかめセメレの言うことをなんでもきくようにしむける。その間ジュノーはイノに化けてセメレのところへ行き、不思議の鏡を持っていって(この場面は演出的に面白かった)鏡に映った像に惚れさせ、不死になるには、神の姿のままでいるときのジュピターと愛を交わすようにそそのかす。イノがテーベに戻ってセメレの死を報告する(今回の上演はここで終わっているが、台本ではアポッロが、セメレの灰からワインの神バッカスが生まれると告げ、皆でそれを祝して終わる)。
今回の上演では最後の場面をカットしたため悲劇的結末となっているが、本来はとってつけたようであってもめでたい祝祭的な終わり方だったのだ。
台本であるが、プログラムには、ウィリアム・コングリーブによるとある。コングリーブ(1670ー1729)は英文学史上では有名な劇作家、詩人である。いわゆる風習喜劇というのを書いて貴族社会の風俗、気取りを風刺する喜劇を書いた。このリブレット(脚本)はもともと、ジョン・エクルスという作曲家のために書かれ、エクルスは1707年に作曲したのだが、彼の生前には上演されなかった。生前どころか初演は20世紀後半の1972年になってのことだった。コングリーブは1729年に死んでいるので、ヘンデルが1743年に《セメレ》を上演したときにはこの世にいない。先にあげたルース・スミスによるとヘンデルの《セメレ》のリブレットをまとめたのはニューバラ・ハミルトンではないかと?付きで記している。そういう説があるわけだ。そして原作をコングリーブの《セメレ》とアレグザンダー・ポープ(これまた英文学史上では大詩人)の詩だとしている。つまりハミルトンがアレンジしたという考えだ。英語のウィキペディアでは、コングリーブ原作でポープ加筆としている。ヘンデルの作品に限ったことではないが、リブレットに関しては、研究がいままで不十分だったせいもあり、ヘンデルの劇作品で台本作者不明のものは少なくない。
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オッフェンバック作曲のオペラ《ホフマン物語》を観た(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場)。
このオペラはオッフェンバックが未完のままに亡くなったのと、近年になって草稿が発見されたため演奏の選択肢が増えたことにより、上演により曲の順番や構成が異なっている。
プログラムには、今回の公演は、Fritz Oeser の批評校訂版によると記されている。
これも公演によるわけだが、1幕、2幕、3幕の女性は別々の歌手によって歌われた(公演によっては1人の歌手が歌う)。1幕のオリンピア(機会じかけの人形)はオードリー・ルーナで超高音が強い声でらくらく出るようで喝采を浴びていた。2幕のアントニアはスザンナ・フィリップス。3幕のジュリエッタはエレナ・マクシモワ。指揮はレヴァイン。演出はバートレット・シャー。
プログラムによると、第三幕はカフカの世界と1920年代がドラマの参照点であるとのことだった。
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ロッシーニのオペラ《湖上の美人》を観た(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場)。
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メッセニアの神託(ヴィヴァルディのオペラ)は、今回、コンサート形式ではなく、舞台化された。
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台本:アポストロ・ゼノ(1711 年) RV 726
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ、ジェミリアーノ・ジャコメッリほか 1738 年 12 月 30 日ヴェネツィアのサン・アンジェロ劇場にて初演1742 年のカーニヴァルで、ケルントナートーア劇場にてウィーン版初演
※今回の上演はファビオ・ビオンディによる上記ウィーン版の再構成版となります
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