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2015年3月29日 (日)

夏時間

イタリアでは3月29日の午前2時に1時間時計の針が進められ、夏時間(l’ora legale)が始まった。期間は10月24日から25日の夜中まで。

その結果、日本との時差は7時間になった。

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2015年3月27日 (金)

The Metropolitan Opera Guild のレクチャー

MET のオペラ・ギルドのレクチャーを聴いた(リンカーンセンターのそば)。

MET のオペラ・ギルドというのは1930年代の大不況の時に、メトを支えるのは富豪ばかりでなく一般市民にも広げようという考えのもとに設立された。
活動としては、生徒たちのオペラ鑑賞会、バックステージツアー、1970年代からは公立学校に芸術系の先生がいなくなってしまったので教員のトレーニング、そして一般向けのレクチャーなどである。
Evolution of French Vocal Writing (フランス声楽曲の進化)というもので、シリーズのなかの1回を聴いた。考察の対象は、フランスの作曲家もあり、ロッシーニやヴェルディのようにイタリア人だがフランス語のリブレット(脚本)に対して曲をつけオペラを書いたものも対象に含まれていた。
講師は Jane Marsh という元歌手。そこに ミトラ・マストロピエロというソプラノ歌手、アンソニー・マノリというピアニストが加わり、対象となっている時期の実際例を歌ってみせる。実演が加わるとやはりぐっと話が具体的になると感じた。
フランスのグランドオペラ(グラントペラ)の歴史をたどるもので高度な内容を噛み砕いて説明してくれていたと思う。
こうやってファンに対する働きかけ、能動的な活動を様々に繰り広げていることがわかる。メトで新演目があると、その演目の解説などもするとのこと。

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2015年3月23日 (月)

《マノン》

Diana Damrau (Manon) © Ken Howard | Metropolitan Opera

マスネ作曲のオペラ《マノン》を観た(メトロポリタン歌劇場)。原作はアベ・プレヴォの小説「マノン・レスコー」で、後にプッチーニもオペラ化し《マノン・レスコー》を作ることになる。

リブレット(脚本)はアンリ・メイヤックとフィリップ・ジル。プッチーニの《マノン・レスコー》とは異なり、第5幕の結末でマノンはアメリカへは渡らずフランスのルアーヴルの港でマノンはデグリューに抱きかかえられたまま息絶える。プッチーニでは「地獄のアメリカ」に流され、そこへデグリューもついていって、マノンはのたれ死にする。プッチーニのほうがこの場面においては原作に近い。
マスネの《マノン》では、少なくとも台本レベルではマノンが相当、性悪女として描かれている。なんといってもスキャンダラスなのは、デグリューが修道士になっているところへ行って、誘惑してしまうところだ。賭け事の場面でもデグリューをそそのかす。まあ、それをはねつけられないデグリューも意志薄弱なのであるが。。。
主演はグリゴーロとダムラウで、2人とも声がビュンビュンでるし、演技もうまい。イタリアオペラに慣れていると、きれいなアリアが2つ、3つあればなあ、という気もしたりするがそれはないものねだりというものなのだろう。
7時半からはじまって、休憩2回で終わったのは11時半だった。

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The MET Chamber Ensemble

The MET Chamber Ensamble のコンサートを聴いた(カーネギーホール)。

カーネギーホールといってもこれはJudy and Arthur Zankel Hall という中くらいのモダンな感じのホールで開かれた。
オペラではないのだが、言葉が絡む曲が多い。詩を朗読したり歌ったりする曲が多かったのだ。
最初の曲は器楽曲だった。ストラヴィンスキーの管楽器のための8重奏曲(1922-1923)で、新古典主義の傾向が顕著な曲だ。
次はチャールズ・アイヴズの「スケルツォ:歩道の上で」。これも器楽曲だが、エドガー・ヴァレーズを思わせる響き。
3曲目がエリオット・カーターの「アメリカの崇高」。これはアメリカの詩人ウォレス・スティーヴンス(1879−1955)の5つの詩に曲を付したものだが、その詩は朗読されたり、ある部分は歌われたり、あるいはその中間であったりで、言葉と音楽のコラボレーションという点では、オペラとの共通性もある。ただし、根本的に異なるのは、登場人物の対話という構成いはなっていないところである。また、音楽劇ではないので、当然であるが、舞台装置や舞台衣装はない。
休憩をはさんで、ジョン・ケイジのAtlas eclipticalis .ケイジの作品にはままあることだが、曲を構成する部分の演奏順があらかじめ決められていない曲。ただ、当日の演奏では、あまり自発性にとんだケイジらしい自由でユーモアに富んだ感じが乏しいと感じた。
最後はチャールズ・ウーリネンの It happened like this. この曲だけは作曲家により指揮された。James Tate の7つの詩が朗読されたり、歌われたりする曲なのであるが、Tate の詩はユーモアや不条理にみちている(たとえばある男がキャンディーショップにきてステーキを注文する)。それは現代音楽の不協和音や不規則なリズムと相性がいいと思った。言葉と音楽の関係についていろいろ考えさせられる音楽会であった。

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2015年3月22日 (日)

《セメレ》つづき

セメレのつづき。この公演は Canadian Opera Company によるもので、引っ越し公演なのだろうと思う。

劇場は古めかしいが立派なものだった。1つ残念だったのは、バロックオペラなので、ハープシコードが出てくるのだが、アンプで増幅し、スピーカーから音を出しているのだが、その音を大きくしすぎていて、歌手の声を圧倒してしまうことがあった。
Zhhang Huan の演出は、中国のお寺を解体したものを持ってきて組み立てたのだが、オペラの序曲の部分でその過程をヴィデオで流していた。また、第一幕の終わりにチベットの歌(当然だが原曲にはない)をチベット人らしき人が発声もベルカントとはまったく別の民謡風の歌いかたで歌ったのには激しい違和感を感じた。なぜ、原曲にないものが挿入されねばならないのか理解に苦しんだ。
また、ハッピーエンドで終わるはずのところの結末部分が観られない、その部分の音楽が聴けないのは個人的には残念だった。オペラセリアとしてある秩序が回復されて終わるというすっきりした形にならないのはすっきりしない。演出家がオペラに不慣れだと自らプログラムに記していたが、作品の書かれた時代の様式観を踏まえない場合、往々にしてロマンティックな、ロマン派的な芸術観をあてはめて考えがちである。それがバロックオペラにふさわしいかどうかという問題である。
また、最後の最後に流れたのは、これまたヘンデルの作曲とは無関係の「インターナショナル」(革命歌、労働歌)であった。まわりのアメリカ人はどうも「インターナショナル」を聴いたことのない人が多いのではないかと思えたが、確認したわけではないので断言はできない。
歌手は、タイトルロールの Jane Archibald の切れのある歌唱が光っていた。

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2015年3月19日 (木)

ヘンデル 《セメレ》

Jane Archibald as Semele. Photo: Gary Beechey

ヘンデルの音楽劇《セメレ》を観た(ブルックリン、BAM ハワード・ギルマン・オペラハウス)。BAMというのはブルックリンの音楽学校のことである。大きなビルの中に、複数の劇場が入っている。

《セメレ》のことを音楽劇と書いたのは、劇的オラトリオとも言えるものなのだが、内容が聖書に基づくものではなく、ギリシア・ローマ神話にもとづくもので、オペラ的性格を持っているからだ。ヘンデルは、イギリスに渡ってイタリア語のリブレットによるオペラを書いていたが、次第にいろんな問題がでてきて、後半生には英語台本によるオラトリオが増え、イタリア語台本のオペラは書かなくなってしまう。

《セメレ》の分類は、ウィントン・ディーン著『ヘンデル オペラ・セリアの世界』には劇的オラトリオとされているし、ドナルド・バロウズ編著『ヘンデル』の中のルース・スミスによると、英語オラトリオには含めずに、「英語マスク、劇音楽、カンタータ、道徳的オード」というくくりの中にいれている。分類していってどこにも入りきれないものを寄せ集めたくくりなのであろう。《セメレ》は、古典的な分類基準では、どこに入れたらよいか困るしろものなのである。

また、それゆえに、コンサート形式で上演されることと、オペラのように上演されることと両方あるようだ。今回のはオペラ形式であった。分類のやっかいさとは別に、オペラとして観て、非常に面白いものだった。通常のオペラでも、モンテヴェルディの《オルフェオ》のようなものもあり、オペラの出発点からギリシア神話を取り上げていたのだから、これをオペラとして上演して、観客はそういうものとして観て不都合はない。

また、ギリシア神話の神々は人間くさいので(つまり立派なだけではないので)、堅苦しい話ではない。ジュピターが、妻ジュノーがいるのだが、人間の娘セメレに恋をする。セメレは王子アタマスと婚約しているので、その結婚式をじゃまするためジュピターは雷をおとす。実はセメレの妹イノはアタマスを恋しているという複雑な関係。ジュピターは鷲に変身して、セメレを連れ去ってしまい、セメレはジュピターの愛人となる。

第二幕。夫ジュピターがセメレのために宮殿を造ったことを知り激怒するジュノー。彼女は復讐を誓い、眠りの神ソムヌスに助けをもとめる。セメレとジュピターの会話からセメレが不死の存在にあこがれている、つまり彼女も神の仲間入りをしたいと強く願っていることがわかる。ジュピターはそれは無理だと告げるのをためらい、地上から妹イノを呼び出す。

この第二幕では、society (社会であり、社交界である)という言葉もでてきて、比喩的には神々の世界が貴族社会、セメレのいる人間界が平民の世界と受け取れるのだった。貴族の愛人となって囲われていたら、貴族同士のおつきあいに加わりたくなる、というものだろう。自分だけ一人平民で仲間はずれというのはさびしい、というわけだ。

第三幕ジュノーとイリスは、眠りの神ソムヌスを起こす。ソムヌスに依頼して、ジュピターの恋心をたかめセメレの言うことをなんでもきくようにしむける。その間ジュノーはイノに化けてセメレのところへ行き、不思議の鏡を持っていって(この場面は演出的に面白かった)鏡に映った像に惚れさせ、不死になるには、神の姿のままでいるときのジュピターと愛を交わすようにそそのかす。イノがテーベに戻ってセメレの死を報告する(今回の上演はここで終わっているが、台本ではアポッロが、セメレの灰からワインの神バッカスが生まれると告げ、皆でそれを祝して終わる)。

今回の上演では最後の場面をカットしたため悲劇的結末となっているが、本来はとってつけたようであってもめでたい祝祭的な終わり方だったのだ。

台本であるが、プログラムには、ウィリアム・コングリーブによるとある。コングリーブ(1670ー1729)は英文学史上では有名な劇作家、詩人である。いわゆる風習喜劇というのを書いて貴族社会の風俗、気取りを風刺する喜劇を書いた。このリブレット(脚本)はもともと、ジョン・エクルスという作曲家のために書かれ、エクルスは1707年に作曲したのだが、彼の生前には上演されなかった。生前どころか初演は20世紀後半の1972年になってのことだった。コングリーブは1729年に死んでいるので、ヘンデルが1743年に《セメレ》を上演したときにはこの世にいない。先にあげたルース・スミスによるとヘンデルの《セメレ》のリブレットをまとめたのはニューバラ・ハミルトンではないかと?付きで記している。そういう説があるわけだ。そして原作をコングリーブの《セメレ》とアレグザンダー・ポープ(これまた英文学史上では大詩人)の詩だとしている。つまりハミルトンがアレンジしたという考えだ。英語のウィキペディアでは、コングリーブ原作でポープ加筆としている。ヘンデルの作品に限ったことではないが、リブレットに関しては、研究がいままで不十分だったせいもあり、ヘンデルの劇作品で台本作者不明のものは少なくない。

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《ホフマン物語》

オッフェンバック作曲のオペラ《ホフマン物語》を観た(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場)。

このオペラはオッフェンバックが未完のままに亡くなったのと、近年になって草稿が発見されたため演奏の選択肢が増えたことにより、上演により曲の順番や構成が異なっている。

プログラムには、今回の公演は、Fritz Oeser の批評校訂版によると記されている。

これも公演によるわけだが、1幕、2幕、3幕の女性は別々の歌手によって歌われた(公演によっては1人の歌手が歌う)。1幕のオリンピア(機会じかけの人形)はオードリー・ルーナで超高音が強い声でらくらく出るようで喝采を浴びていた。2幕のアントニアはスザンナ・フィリップス。3幕のジュリエッタはエレナ・マクシモワ。指揮はレヴァイン。演出はバートレット・シャー。

プログラムによると、第三幕はカフカの世界と1920年代がドラマの参照点であるとのことだった。

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《湖上の美人》

ロッシーニのオペラ《湖上の美人》を観た(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場)。

1階の奥を取ったら、2階席がかぶっているため音響的にはオケの音がすっきり聞こえない。視覚的には1階のほうがよく見えるが、音響的にはファミリーサークルと呼ばれる天井桟敷の安い席のほうが、声とオケのバランスがいいように思える。ただし、ファミリーサークルの場合には、歌手の姿は小さくなるので、オペラグラスが必要だ。
さて、メトで《湖上の美人》は今シーズンが初演とのこと。同一プロダクションではないが、2010年にパリのオペラ座、2011年にスカラ座、2013年にロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスと公演があったので、メトも満を持して?この演目に取り組んだのであろう。ヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)》でも思ったが、メトの演目はじょじょにバロックやロッシーニのオペラセリアを取り入れつつある。それは先行するヨーロッパでの動きを横目で確認しつつ、軌道修正をしているようにも見える。
メトやウィーンの国立歌劇場は、毎日演目を変える方式で、1シーズンの上演演目が多いし、かかえているレパートリーも多彩だ。規模もあらゆる意味で大きい。ヨーロッパの夏の音楽祭などでの上演のほうが、小回りがきくし、先端的なプログラムを取り上げやすい(その場合、必ずしもスター級の歌手を使う必要がない)。自動車でも、軽くて小さな車は小回りがきくし、バスやトラックは積載量は大きいが小回りはきかない。それぞれに特徴があるわけだ。
今回の配役はメトらしい豪華なもので、主人公エレナがジョイス・ディドナート。アジリタは絶品でした。その恋人マルコムはダニエラ・バルチェローナ。ズボン役です。ロッシーニのオペラセリアでは、お小姓ではなく、堂々とした男性の役をメゾやアルトが歌うオペラセリアはいくつもある。バルチェローナは体格も立派で堂々たる勇士。その2人の間にはいり結果的にエレナに横恋慕するのが王ジャーコモのフローレス。王ジャーコモというのはこれがもともとスコットランドの話なのでジェームスのことである。しかも芝居のうえでは身をやつしてウベルトという名で出てくるのだ。ややこしい。
指揮は、ミケーレ・マリオッティ。ロッシーニ・オペラ・フェスティバルやボローニャ歌劇場で活躍していたが最近メトでも振っている。彼の指揮はゆっくりめで、歌手にたっぷり歌わせていたが、さすがに3重唱のところでは、ディドナートがテンポをおとし加減のところをテンポをゆるめぬ日もあった。
原作はウォルター・スコットの Lady of the lake という物語詩であるが、これが出版されたのが1810年で、ロッシーニの初演は1819年だから、かなり新しい作品をとりあげたと言えよう。スコットはロマン派としてヨーロッパ中で大流行したのである。この作品の場合は、騎士たちが王党派、反王党派などに別れて闘いをくりひろげつつ、どちらもエレナに恋をする、最後には王が皆を許し、めでたし、めでたしという台本である。
メトのような大歌劇場が、ロッシーニのオペラセリアを取り上げるということが時代の変化を感じさせる公演であった。

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2015年3月 2日 (月)

メッセニアの神託(つづき)

メッセニアの神託(ヴィヴァルディのオペラ)は、今回、コンサート形式ではなく、舞台化された。

王ポリフォンテと女王メロペは、比較的王様、女王らしい衣装だが、その他の登場人物は、時代や国籍不明な感じの衣装。プリーツを使ったたっぷりとしたパンツルック。忍者風と言えばよいだろうか。人によっては刀のようなものを帯びている。
舞台は、演出家彌勒忠史の考えで、能舞台を思わせるもので、橋がかりがある。これは良い考えで、バロックオペラには退場アリア(歌い終わって退場する)がしばしばあるので、退場のための空間があるのは、まことにふさわしい。
衣装や身体的な動きは、日本的な要素がかなりあるのだが、全体として大変効果的で、複雑なストーリーを理解する助けになっていたし、演劇的に十分見応えのあるものだった。歌手たちも、あれだけ難曲つづきで、かつ、練習期間2日間+ゲネプロだったにもかかわらず、見事に演じていた。ヨーロッパでは演奏会形式で演じているので、音楽がすっかり入っているから短期間で演技を加えることができたのかもしれない。
ビオンディによると、《メッセニアの神託》当時の劇場の大きさは、神奈川県立音楽堂程度の大きさだったし、オーケストラは、観客と同じ平面におかれていた。
彌勒氏は、大変な才人で、カウンターテナーとして歌うこともあれば、フェッラーラの宮廷文化についてイタリア研究会で講師をつとめることもあれば、今回のように演出をすることもあれば、ラジオのイタリア語講座で講師をつとめることもある。まさにマルチな才能を持った異能の人である。バロック・オペラという、時代は古いが、現在逆に一番「新しい」分野の開拓者としてふさわしいとも言えよう。

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2015年3月 1日 (日)

ヴィヴァルディ《メッセニアの神託》

ヴィヴァルディのオペラ《メッセニアの神託》を観た(桜木町・神奈川県立音楽堂)。

この曲については少し説明が必要かもしれない。この曲は最晩年のヴィヴァルディが、まずヴェネツィアで上演して、その後、ウィーンにおもむき、手を加えた版を上演するつもりだったが、ヴィヴァルディがウィーンに着いてすぐに、頼りにしていたカール6世(マリア・テレジアの父)が急死し、上演が不可能になってしまう。ウィーン版は、ヴィヴァルディの死後1742年のことだった。

残念なことに、《メッセニアの神託》の楽譜は、ヴェネツィア版もウィーン版も残存していない(あるいはいまだ発見されていない)。ただし、リブレット(脚本)は残っている。また、いくつかの状況証拠から、このオペラはパスティッチョであったらしい。パスティッチョ・オペラというのは、いろいろな人の曲を寄せ集めて、まとめたオペラである。ストーリーは一貫しているのだが、作曲者はばらばらなのだ。今回の《メッセニアの神託》は、指揮者のファビオ・ビオンディが、リブレットをもとに、ヴィーン版はこうであったろうと再構成したものである。

これがどの程度、確実なものなのかは判断しようがない。ファビオ・ビオンディは、演奏の前に30分ほどプレトークをしたが、日曜日は晩年のヴィヴァルディについてだった。晩年のヴィヴァルディは、いくつかの不運が重なって、彼ほどの天才が、なんの注目をあびることもなく、客死して、墓の場所すらわからないのである。ビオンディは淡々と語っていたが、ヴィヴァルディの無念に思いをいたしているのがひしひしと感じられた。一言で言えば、ビオンディのヴィヴァルディへの愛が、このパスティッチョを再構成せしめたのではないだろうか。

演奏は、歌手もオーケストラも最高だった。
歌手は7人。彼らが録音したCDのメンバーと4人が重なっている。
ポリフォンテ(メッセニアをのっとった悪役)はテノールのマグヌス・スタヴラン。
メロペ(ポリフォンテから言い寄られているもともとのメッセニアの女王)はメゾの鞠アンヌ・キーランド。
エピーティデはメロペの息子でクレオンと名をいつわって登場するが、歌っているのはメゾのヴィヴィカ・ジュノー。
エルミーラは隣国の王女で囚われの身。メゾのマリーナ・デ・リソ。
メッセニアの宰相トラジメーデは、ソプラノのユリア・レージネヴァ。彼女は、超絶技巧の持ち主で、きわめて技巧的でむずかしいアリアを完璧に歌い、観衆の圧倒的な支持を得た。この日の歌手は7人とも水準が高かったのだが、レージネヴァは若いのだが、その超絶技巧で飛び抜けていた。
リチスコ(エルミーラの家臣)は、メゾのフランツィスカ・ゴットヴァルド。
アナッサンドロ(ポリフォンテの命令で王殺しをした)は、メゾのマルティナ・ベッリ。

オケは、キタローネ(大きなリュート)、チェンバロ、バルブやピストンのないホルンなどバロック期のオケそのものである。

ビオンディの軽快なテンポとダイナミックなリズムにのせられ、また、作風がさまざまなのでまったく飽きることがない。むろん、ノリノリの曲だけでなく、しみじみした曲もある。

ファビオ・ビオンディのきわめて有意義な実験的試みに立ち会えた歓びは深い。神奈川県立音楽堂60周年の催しにふさわしい素晴らしい公演だったと思う。

公演について  About

公演について 写真

<オペラ「メッセニアの神託」作品情報>

台本:アポストロ・ゼノ(1711 年) RV 726
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ、ジェミリアーノ・ジャコメッリほか 1738 年 12 月 30 日ヴェネツィアのサン・アンジェロ劇場にて初演1742 年のカーニヴァルで、ケルントナートーア劇場にてウィーン版初演

※今回の上演はファビオ・ビオンディによる上記ウィーン版の再構成版となります

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