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2015年2月27日 (金)

『ピエタ』

大島真寿美著『ピエタ』(ポプラ社、1620円)を読んだ。

ヴィヴァルディのピエタ慈善院での教え子が語り手である。ヴィヴァルディの死の知らせから小説ははじまり、彼の周辺人物の交流が静かに語りつむがれる。
叙情的な味わいに富んではいるのだが、ヴィヴァルディの音楽生活はほとんど浮かびあがってこない。ないものねだりなのかもしれないが、せっかく語り手をヴィヴァルディの教え子に選んでいるのであるから、もう少し音楽活動が描かれているとよかったと思うのは僕だけではないだろう。
ヴィヴァルディの生涯を語るときには必ずアンナ・ジローという歌手とその異母姉がいつもそばにいた(旅行にも同伴した)ということが書かれ、彼女との関係をどう考えるかというのが1つのテーマになるのだが、作者は、ここをすりぬけ、クラウディアというコルティジャーナ(高級娼婦)を登場させている。
エミーリアのようなピエタ慈善院に来る子どもの来歴が描かれたり、エミーリアと貴族の娘の交流がこまやかに描かれたりする。
歴史に舞台を借りてはいるが、身分や立場の異なる女性間の交流を描いた物語として読むべき小説なのかもしれない。

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ロッシーニ《結婚手形》、《なりゆき泥棒》

ロッシーニのオペラ《結婚手形》、《なりゆき泥棒》を観た(新国立劇場)

新国立劇場オペラ研修所の公演である。《結婚手形》も《なりゆき泥棒》も一幕もののオペラである。結論から言えば、どちらの上演も、若手の歌手たちの演奏水準が非常に高く、上演頻度が高くないがロッシーニの楽しいオペラ(楽しいだけではないが、その点は後で触れます)を大いに楽しめた。
主要な歌手は、研修所の15期生、16期生、17期生で、賛助出演で12−14期生の先輩歌手が出演している。
オーケストラは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団で、指揮は河原忠之(以下、敬称略)。この方は、伴奏ピアニストとしての活躍を見ることが多いかもしれない。
演出・演技指導は久恒秀典。装置は長田佳代子。舞台はおおきな円形のディスクが舞台の中央部分を占めていて、そこで主にドラマが展開するが、円形からはずれた左端には大きなドアがある。すっきりしていてモダンであるが、決してチープでない舞台および衣装で好感が持てた。
《結婚手形》は、舞台がロンドンで、そこへカナダの商人が婚活にやってくるという話。カナダの商人スルックは取引先に花嫁の調達を依頼するのだが、依頼されたほうは自分の娘を嫁がせようとする。しかし娘には恋人がいて。。。というストーリー。スルックが二人の愛に気づくと、納得して、男を自分の遺産相続人にするなどという、いかにもありそうもないご都合主義的な部分もあるが、めでたしめでたしで終わる。若手歌手たちは、それぞれイタリア語の発音もしっかりしていたし、ロッシーニの様式を踏まえた歌唱で聞いていて気持ちがよい。これで、ロッシーニ・クレシェンドをもう少し聞かせてくれたらと言ったら欲張りすぎだろうか。
《なりゆき泥棒》は、原作がスクリーブのせいもあるのか、《結婚手形》の台本より、台本(リブレット)の出来がよいと思う。《結婚手形》は1810年、ロッシーニ18歳の時の作品で、彼の最初の劇場作品である。《なりゆき泥棒》は2年後の作品だが、その間にロッシーニは5作もオペラを書いて、あきらかにオペラ作曲家としての成熟をみせている。
歌手では、テノールのアルベルト伯爵を歌った小堀勇介、クラリーナとエルネスティーナを歌ったメゾソプラノの藤井麻美が印象的だった。他の歌手も先に述べたように、レチタティーヴォもアリアもイタリア語がしっかり発音されていたし、演技も観客にとってわかりやすく好演であった。

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2015年2月22日 (日)

《リゴレット》

二期会公演の《リゴレット》を観た(東京文化会館)。

指揮はバッティストーニで、歌手は日本人中心のキャスト。バッティストーニの《リゴレット》は前にマチェラータで観て感銘を受けたのだが、彼の指揮はそこからさらに掘りが深くなっている。
オーケストラの各パーツが音色、リズムをくっきりとさせながらも、全体がばらばらになることはない。3重唱や4重唱のときもそうなのだが、内容が異なる2つのグループが別々に対話が進行していくときも、全体として音楽は複雑さを内包した統一感を保持している。
演出は、オーソドックス。
《リゴレット》というのは、ストーリーは後味の悪い話で、勝手放題な公爵も罰せられずに終わるわけだが、こういう不条理なものの持つエネルギーを音として解き放ったところにヴェルディの偉大さがあるのだと思う。

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2015年2月19日 (木)

室内オペラ《可不可》

高橋悠治「カフカ三部作」上映会&トークショウの第一日を観た(バラボリカ・ビス、東京浅草橋)。

オペラそのものを観たのではなく、オペラを記録したものの上映会に行ったのである。上映会の前後に、作曲家高橋悠治氏および演出家、出演者のトークがあった。編集者須川才蔵氏の司会。
高橋氏によると、当日上映された《室内オペラ可不可》は、高橋さんたちが『水牛通信』というミニコミ誌をやっていて、それが100号に達し、手元に100万円ほどが蓄えられていたので、室内オペラをやろうということになったらしい。1987年に演じられたもので、場所は、築地本願寺。だから普通の音楽用のホールではない。
音楽は、これまた高橋氏の話によると、カフカがユダヤ系であることにちなむものであろうが、東欧のアシュケナージの旋法を使っているのだという。
一貫したストーリーは作者が最初から拒否しており、断片を積み重ね、しかも、それに一定の意味づけ、解釈を与えることを拒否している。それではつまらないし、作品が狭いものとなってしまう。
このカフカ3部作に関しては雑誌『夜想』(2014年10月、特集カフカの読みかた )でも高橋氏と須川氏、今野氏の対談が掲載されており、興味深い。『カフカノート』という作品は、単独でみすず書房から書籍化されて出版されているのだが、これもまたカフカのノートからの断片を集めたもので、ドイツ語で上演しても、日本語で上演してもよいように、日本語の訳文はドイツ語と音の数をそろえてあるのだと、ご本人が語っている。(そのことは、当日、高橋悠治さんとお話させていただき確認したことでもあった)。
当日の会場は、最寄り駅は浅草橋で、番地は柳橋、画廊であり、上映会は50か60人で会場がいっぱいになっていた。こういう断片的なつくりは、ブレヒトらのキャバレーオペラが元になっているのだという。
高橋悠治さんの話を聞いていると、オペラはこういうもの、演劇はこういうものといった固定観念が、ほどけて、未知の方向に感覚的な探検をしたくなってくるから不思議だ。

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2015年2月14日 (土)

《アレグザンダーの響宴》つづき

ヘンデル作曲のオード《アレグザンダーの響宴》のつづき。

この公演ではプログラムが500円で売っていたが、20数ページであるが、大変充実した中身の濃いものである。
この公演はヘンデル・フェスティバル・ジャパンの第12回とのことで、指揮者の三澤寿喜氏は、フェスティバルの実行委員長でもある。また、この公演より一ヶ月前に三澤氏による「《アレグザンダーの響宴》の魅力」という講演会が池上ルーテル教会であり、筆者はそれにも参加したが、説明は詳細にして明解で、なおかつ三澤氏のヘンデルへの情熱が伝わってくる講演だった。
プログラムでも、三澤氏がこの曲の成立の由来や構成(初演や再演のこと、なぜハープ協奏曲やオルガン協奏曲が挿入されるか)、ききどころなどを詳しく解説しておられる。
プログラムには、歌詞が日本語と英語(この曲はもともとが英語で、今回の上演も英語です。ぼくは2年ほど前にザルツブルクでドイツ語版の上演を聞いたことがありますので、ドイツ語圏で上演する場合にはそういう選択肢もあるということなのかと思います)が対訳で掲載されているが、訳注があるだけでなく、訳者赤井勝哉氏による詩人ドライデンや台本作者ハミルトンについての詳細な解説がある。詩人ドライデンは、英文学史では超大物(17
こういう構成になっていると、訳文だけをさっと読みたい人はそうすればよいし、より詳しく原作者、リブレッティスタのことを知りたい人は解説も読めばよいので、様々な読者にたいして大変親切である。
海外から招聘されるオペラ公演のプログラムの中には(むろんすべてではないが)、立派なアート紙に印刷され、出演者のカラー写真は掲載されているのだけれど、楽曲についてはあらすじプラスアルファくらいで、深い記事が皆無でがっかりすることがある。
今回のプログラムには、伊藤美恵氏(公演でのハープ奏者)による、「バロック・ハープについて」という解説がある。1ページであるが、当日の演奏で用いられたバロック・ハープ(氏所蔵のもの)の写真が掲載されており、ハープの前面に女性(女神?)が彫刻されていることがわかる。さらに重要なのは、当日僕も気がついたのだが、このハープにはペダルやレバーがないのが何故なのかがこの解説を読むとわかる。
16世紀までハープは全音階で、半音を弾くには指で弦をおさえて弦の長さを調節して出していたのだ。それがおそらくはスペインで全音階と半音階が1列ずつならんだ、2列の弦のハープが誕生し、さらには3列のものもイタリアで17世紀に発明された。
3列のものはトリプル・ハープというのだが、伊藤氏によると、両サイドの弦はピアノの白鍵に相当し、真ん中の列が黒鍵に相当するのだそうだ。そして、真ん中の列の音を弾くにはサイドの弦のあいだを通して指をいれてはじくのだという。
こういう説明は、専門家でなくては出来ないし、その場で演奏を観ていたのだが、この説明を読んで、筆者は目から鱗であった。
公演を通じて、プログラムを通じて、聴衆を育むという姿勢を感じた。

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2015年2月13日 (金)

ヘンデル《アレグザンダーの饗宴》

ヘンデル作曲の《アレグザンダーの饗宴》を聴いた(浜離宮朝日ホール)。

オペラではない。カンタータであるが、ヘンデル自身は、オードと呼んだようだ。その理由は、歌詞の原作がジョン・ドライデンのオードであるからだ。そのOde は 'Alexander's Feast, or, the Power of Musick. An Ode in Honour of St. Cecilia's Day' である。Musick というのは打ち間違いではなく、英語のスペリングもシェイクスピアの時代はもちろん、ドライデン(1631−1700)の時代でも現代と異なる場合があった。
そのドライデンのオードをニューバラ・ハミルトンという人が、区切りをつけ、ここは合唱、ここは独唱と割り振り、ほんの少し言葉を変え、終曲ように自分の詩を付け加えて歌詞が出来上がった。
歌手は、ソプラノ(広瀬奈緒)とテノール(辻裕久)とバス(牧野正人)および混声合唱。オペラと異なり、歌手は、状況の叙述をすることが多い。歌詞のもとになったものが、お芝居ではなくて、オード(頌歌ーほめたたえる歌)なのだから当然といえば当然なのだ。
ヘンデルの音楽は多弁で雄弁で豊穣だ。楽器による音色の変化をとてもうまく使うし、テンポの緩急も自在で、退屈することがない。今回は、歌詞にちなんだ箇所で、ハープ協奏曲とオルガン協奏曲が挿入された。もともとの《アレグザンダーの饗宴》だけでなく、途中でヘンデルの他の協奏曲を挿入するというのは、ヘンデル生前からの慣習である。
浜離宮朝日ホールは響きがよく、バロック楽器だからと言って音がやせることはない。とはいえ、バロック楽器の中でも、たとえばチェンバロと比較しても、バロック・ハープやリュートは音色の繊細な表現は言うまでもないのだが、音量という点ではかそけきものだということを改めて認識した。

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2015年2月 8日 (日)

ヴォルフ=フェラーリ《チェネレントラ(シンデレラ)》

エルマンノ・ヴォルフ=フェッラーリ作曲のオペラ《チェネレントラ(シンデレラ)》を観た(新国立劇場、中劇場)。

日本初演。世界的にも上演は珍しいものとみえて、海賊版もふくめて録音、録画が見当たらないし、You Tube などを検索しても出てこない。ヴォルフ=フェッラーりの原語は、Wolf-Ferrari なので、フェッラーリと表記するが、有名なスポーツカーのフェラーリと同じなのでヴォルフ=フェラーリの表記もありうるだろう。現に、日本で唯一のこの作曲家についての単著『ヴォルフ=フェラーリ 生涯と作品』(水曜社)を書いた永竹由幸氏も、同じ理由をあげてフェラーリの表記をあえてとっている。永竹氏が亡くなっって3年。この上演をご覧いただけないのは残念というほかない。
さて、氏の著書によると(以下、すべて情報源は永竹氏の著書による)、そもそもヴォルフ=フェラーリという名字はペンネームだったのである。父の姓がヴォルフなので、ヴォルフなのだが、はじめて楽譜を出版する際にそれでは目立たないと思い、母方の姓を加えた。後にはそれが彼の正式の姓となった。父はドイツ出身の模写画家で、ヴェネツィアに名画を模写に来ていて、ヴェネツィア人の母と知り合い結婚したのである。息子も模写画家にしようと思って、美術学校にいれられたのだが、幼少の頃よりの音楽好き(父方の祖母が相当のピアノ弾きだった)で、とうとう音楽家になる決意をする。
もっとも父親も画家にしようと思いながら、エルマンノが12歳の時にロッシーニの《セビリアの理髪師》を見せただけでなく、わざわざバイロイトまで行ってワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》、《マイスタージンガー》、《パルシファル》をみせて、息子をワーグナーの虜にしてしまったのだ。
《チェネレントラ》と言えば、ロッシーニ作曲のものが有名だが、ヴォルフ=フェッラーリも、ミラノのフィロドラマティコで繰り返し観ていた。観ているうちに、ストーリーをよりペローの原作に近いものにして、作ってみようと考えたらしい。フンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》が1897年にミラノでイタリア語でイタリア初演され評判をとったのを彼も観ており、童話を原作にしたオペラの可能性に魅力を感じたのだろう。フンパーディンクは直接的にワーグナーの弟子筋にあたる人だったが、この《チェネレントラ》もワーグナーの影響は顕著で、オーケストラが豊穣で、特に金管が分厚い。
この作品が初演されたのは1900年2月22日。言うまでもなく、1900年は19世紀最後の年であるが、ペローを19世紀の心理小説的に書き直したリブレットとなっている。王子はルビーノ(宝石のルビー)という名前なのだが、ふさぎの虫にとりつかれていてそのためパッリド(青白い)王子と呼ばれている。そのふさぎの虫を追い払うために父王と母王妃が考えて舞踏会を催すという仕組みになっているのだ。おとぎ話と小説的なものの折衷で面白いと言えば面白いし、中途半端といえば中途半端である。
1890年代には、マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》やレオンカヴァッロの《道化師》、プッチーニの《ラ・ボエーム》が初演されているのだが、《チェネレントラ》にはそれほど耳に親しみやすいメロディがない。後に、オペラ《マドンナの宝石》(間奏曲はだれでもどこかで聞いているはず)を書いた人なのだから本来は耳になじむメロディもかける人なのだろうが、おそらくはドイツオペラ、特にワーグナーの影響が強すぎたのではないだろうか。ヴェネツィアの初演は失敗におわり、2年後のブレーメンでの成功は、改訂だけのせいではなかったかもしれない。つまり観客の感性、求めるものの相違もあったかもしれないと思う。
東京オペラ・プロデュースがこういう珍しいものを上演してくれるありがたさはいくら強調しても足りないほどである。演出(太田麻衣子)も、素晴らしかった。服装はオーソドックスで、歌がなくオケだけの時間をあきさせぬ工夫が随所にみられた。

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