《メリー・ウィドウ》
レハール作曲の《メリー・ウィドウ》をハイライトで観た(西国分寺、いずみホール)。
当ブログ、前項目の《あまんじゃくとうりこひめ》と同日の後半演目である。いずみホールは西国分寺の駅から徒歩2分という感じで駅前のロータリーに面している。とんがり帽子のような屋根が目印だが、ホールも両側が傾斜しており、客席数の割には天井が高い。客席は階段状に傾斜しているので、前の席のお客の頭が気になることもない。内部も左右の壁面には三角錐のへこみとでっぱりが交互にあったりして、建築としても幾何学的な美しさと、響きの美しさを両立させたホールで来た甲斐があった。
さて、レハールは、ヨーロッパの架空の某小国で、金持ちと結婚してあっという間に未亡人になったハンナが主人公(陽気な未亡人というのがタイトルの意味だ)。彼女は今パリにいるのだが、フランス人と結婚すると財産がフランスに移ってしまうので、公使のツェータはなんとかハンナが某国の人と結婚するように画策する。
そこでツェータ(加賀清孝、敬称略、以下同様)が目をつけるのが、書記官のダニロ(佐藤雄太)。ダニロは、ハンナ(前田史音)と昔、恋仲であったのだが、家柄の違いを理由に結婚できなかった。そういう経緯もあって、ダニロは、ハンナがお金持ちになったからといって求婚することにはためらいがある。
一方、パリの色男としてカミーユ(古橋郷平)がいる。彼は、ツェータの夫人ヴァランシェンヌ(二見麻衣子)を口説く一方、ハンナにも気があるそぶりを見せる。
先日見た《チャールダーシュの女王》でもそうだが、オペラッタには元カレ、元カノが出てくることが多い。1つには、ウィーンという古都で、実際に、身分違いで結婚できないというカップルが多くいて、それが何十年か経過しても相手への思いが潜在していてということがあったのだろうし、オペレッタはどこか予定調和なストーリーが多いので、今ある現実を突き破る破壊力を持った恋愛よりも、むしろノスタルジックな色合いを濃くもった関係の方がオペレッタにより親和性があるのだろう。
この上演では、カミーユ役の古橋(《チャールダーシュ》にも出演していた)にたいして、ニェーグシュ(今井学)が背が高くて小顔で。。。。と絡むところがあったが、明らかに、古橋に当て書きして、もとの台本を変えている。むろん、それが楽しいので、おおいに結構なのだ。さらには大胆に、ツェータの加賀は、自作の紹介までしていたが、これも楽しかった。会場の人にも歌わせたのである。こういったアドリブ的な演出、台本の変更でよりエンターテイメント性を高めるのがオペレッタの特権ともいえよう。
オペラの場合には、作品台本(リブレット)を変更することにはかなり抵抗がある。しかし実は、歴史的にみれば、ロッシーニやモーツァルトでも、上演の際には特定の歌手に当て書きしていたのであるし、上演する会場に応じて、結末を書き換えていたりしたのだ。
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