《パルシファル》
ヴァーグナー作曲のオペラ《パルシファル》を観た(新国立劇場)。
ヴァーグナー自身は、オペラと呼ばず神聖祝祭劇と呼んだらしいが、イタリア・オペラの場合も、自らオペラと名乗ったのはかなり後になってからで、dramma per musica とかdramma giocosa とか名乗っており、オペラは後世の人が便宜的につけた名称である。このオペラは特別なオペラだと言う呼び名のたて方がヴァーグナーらしいといえばヴァーグナーらしいと言えるかもしれない。
第一幕はアンフォルタス王が苦しんでいる。舞台としてはグルネマンツという老騎士がそのいきさつを語る場面が長い。アンフォルタスは聖杯(十字架にはりつけになったイエスから出た血をうけた杯)を守る騎士団の長なのだが、かつてクンドリという魔性の女の誘惑にかかり、聖なる槍をうばわれ脇腹をさされ、その傷が長年癒えない。
舞台はジグザクの道が、いくつかのブロックに区切られていて、ブロックごとに上下する。道は照明によって色が変わるし、登場人物の乗ったブロックが沈むと奈落へ落ちるといった意味合いがある。アンフォルタスは永遠とも思える苦しみから解放されるために死を望むほどなのだが、救済は3人の仏僧によって暗示される。救済が原作のキリスト教的救済に限定されるのを避けたいと演出家が考えたためであろう。この舞台はすっきりしていて照明の色が変わることによって、快楽の園を表現もできてすぐれた装置であった。また、巨大な槍を象徴する装置が、時計の針のようにゆっくりと回転して出たり、引っ込んだりするのも効果的だった。
アンフォルタスの苦しみは、穢れ無き愚かな若者によって救済されるとされていて、それがパルシファル(クリスティアン・フランツ)なのだが、もう少し風采(服装を含め)をすっきりさせられなかったものか。かなり浮浪者然とした印象(失礼!)だった。クンドリの方には派手な色のドレスを着せていたし、エヴェリン・ヘルリツィウスは声がよく出ていて迫力満点だった。パルシファルも声はよく出ていた。
第二幕は、クンドリがパルシファルにキスをすると、パルシファルが自分の使命を悟るという場である。クリングゾルという敵(聖なる槍を奪っている)に聖なる槍を投げつけられるが見事空中でキャッチして奪い返す。
第三幕は、パルシファルが聖なる槍をもってアンフォルタスのところに行き、傷をいやし、パルシファルが王位を継承する。洗礼をさずけたクンドリは安らかに?息絶える。
ニーベルンゲンの指環で生臭い権力闘争(神々や巨人族や地底人たちの)を描いてきたヴァーグナーが最後に到達した、あるいは最後にもとめたのはキリスト教的救済どまんなかだったのは興味深いところでもある。
この日の公演はどの歌手も熱演であった。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮飯森泰次郎。端正でややゆっくりめの指揮であった。
皇太子殿下もご覧になっていた。
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