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2014年10月28日 (火)

ジョルダーノ作曲《戯れ言の饗宴》

2014年10月25日(土) 2014年10月26日(日)
ジネーブラ 福田 玲子 翠 千賀
ジャンネット 松村 英行 上原 正敏
ネーリ 羽山 晃生 村田 孝高
ガブリエッロ 西塚 巧 北嶋 信也
トルナクインチ 森田 学 鹿野 章人
リザベッタ 羽山 弘子 岩崎由美恵
ラルドミーネ 勝倉小百合 北村 典子
フィアメッタ 前坂 美希 森川 泉
チンティア 菅原みずほ 末広貴美子
トリンカ 石川 誠二 横山 慎吾
ドットーレ 白井 和之 笠井 仁
ファツィオ 加藤 史幸 保坂 真悟
ラーポ 島田 道生 高橋 拓真
カランドラ 小林 涼 小林 涼

東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団


ウンベルト・ジョルダーノ作曲の《戯れ言の饗宴》を観た(初台、新国立劇場中劇場)。初台の新国立劇場にはオペラ劇場と呼ばれる大劇場と、今回の中劇場、そのほかに小劇場がある。
中劇場は、階段状になっていて、大きすぎず、舞台もよく見える。ヨーロッパには馬蹄形で小さ目の歌劇場が地方都市にはよく見られるが、形こそ違うもの、この中劇場は規模的にはなかなか好ましいと思う。劇場が大きくなれば、その分、歌手も声をはりあげなければならないし、演技も大ぶりでないと遠くからは何をやっているかわからないといったことになりがちだが、この規模だと、舞台と観客席のコミュニケーションがとてもうまくいきやすいように思う。
さて、演目の≪戯れ言の饗宴≫であるが、なかなかどろどろした脚本(リブレット)である。
15世紀のフィレンツェ、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコのいたころのフィレンツェが舞台。周知のように、ルネサンス期のフィレンツェは芸術の花ひらく都であったが、同時に暗殺や毒殺あり、サボナローラの悔い改めよという宗教的な動きがあり、決して平穏な時代ではない。
このオペラもある美女をめぐって3人の男が愛憎劇をくりひろげ、ジャンネットの奸計にひっかかり、人違いをして兄ネーリが弟ガブリエッロを殺してしまい、そのことに気付いたネーリは気がふれるというすさまじい話である。
あらすじだけ聞くとうんざりしてしまうかもしれないが、復讐だけの芝居ではなく、ジネーヴラという女性とネーリやジャンネットとの関係も見どころ、聞かせどころがある。
ジネーヴラは、第二幕では、恋人のネーリだと思っていたのが、実はネーリの衣装を着て彼女の寝室にしのびこんだジャンネットだったと判明するのだが、ジャンネットの熱い濃厚な愛の告白をうけるうちに、ジネーヴラの心はとけていき、二人は口づけを交わすといった場面がある。この場面は、ジャンネットの口説き文句もかなりセクシュアルであり、オペラのリブレットでここまではっきりと性愛を描いたものはイタリア・オペラには珍しいと思う。
口説くほうのジャンネット(松村英行)も口説かれるジネーヴラ(福田玲子)も歌唱力と同時に演技力がもとめられるわけで、テノールの松村(敬称略します、以下同様)はここだけでなく、表情にとんだ力強い歌唱をきかせていた。福田は、歌はよいのだが、演技としてはさらに妖しい女を演じてもよかったのかもしれない。
前後するが、第一幕はこのジャンネットとネーリ、ガブリエッロを仲直りさせようというトルナクインチ(森田学)がでてくるのだが、今回の舞台は装置は比較的簡素(しかし工夫がこらされている)なのだが、衣装はなかなか立派だった。森田もくるぶしに届くガウンのような衣装をまといきわめて正確な発音で、バスの低い声でわれわれをイタリアの世界にいざなってくれた。
今回の舞台は演出の馬場紀雄のコンセプトなのか、たとえばジャンネットの腹心ファツィオを演じる加藤史幸も、声の表情が端正なだけでなく、舞台での動きも動くときはさっと動き、必要でないときには余計な動きをしないというのが好ましかった。舞台に出ている全員がちょこまか動いていたのでは、どこにフォーカスをあててよいかわからないし、落ち着きがない。
今回の舞台は、その点、とてもよく出来ていて、自然にその場面を動かしている人物にこちらの意識が集中できた。それによって、衣装の良さともあいまって品位が感じられた。ストーリーはどろどろした復讐劇かもしれないが一方でルネサンス華やかなりしフィレンツェが舞台という両面が感じられるのがよかった。
ジョルダーノの曲は、20世紀の20年代に書かれたものと思うとずいぶん聞きやすいものである。
東京オペラプロデュースのおかげで、2010年にはジョルダーノの≪マダム・サン・ジェーヌ≫を見ることができたし、今回は≪戯れ言の饗宴≫。ジョルダーノといえば≪アンドレア・シェニエ≫と≪フェドーラ≫だけだった時代とくらべるとジョルダーノへの理解も進んだし、その世界の広がりが感じられる。感謝のほかはない。

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2014年10月19日 (日)

歌舞伎

歌舞伎座で十七世中村勘三郎、十八世中村勘三郎の追善の芝居を観た(東銀座、歌舞伎座)

恥ずかしながら、歌舞伎座が新しくなってはじめて入った。きれいになったのは当然だが、二階席も見やすい。足元も十分余裕があり快適である。休憩時間のお弁当もおいしい。ご飯がすくなく、野菜などが多いので眠くならないというところも気が利いていてうれしい。
肝心の芝居だが、夜の部を観た。寺子屋(菅原伝授手習鑑)、吉野山(道行初音旅)、鰯売恋曳網(売るも恋も旧字体です)。
寺子屋は、菅丞相(菅原道真)と藤原時平の対立が背景にある。菅丞相の息子をあずかった夫婦を勘九郎と七之助が演じている。菅丞相にご恩がありながら、時平についた憎き敵松王丸を仁左衛門。菅丞相の子、菅秀才の首を出せと言われ、その日寺子屋に入門した見知らぬ子を身代わりに殺してしまう。首実検をする松王丸。事が終わったあとで、松王丸は身代わりになったのは自分の子だと明かす。子の母千代は玉三郎という豪華な顔ぶれ。
歌舞伎や文楽では、主君のために、自分の子を身代わりにする話が多いなあと思う。その部分はややわだかまりが残るものの、心打たれるのも事実。演技として気がついたのは、歌舞伎や文楽では、動きが様式にのっとっていてきれいに決まるが、動かぬときはぴたっと動かぬことだ。けっしてのべつまくなしチョコチョコ動き回ることはない。最近のオペラの演出では、歌ってるときでさえ動き回っていることが少なくないが、いかがなものかと思う。文楽では三人の人形遣いがしっかりひかえていながら動かない時間、別の登場人物の話に耳を傾けている時間は結構ある。それでよいのだ。歌舞伎でもそうで、ストップモーションもきれいに決まっているのである。動くことだけが演技ではない、と思う。
吉野山は、静御前と佐藤忠信(実はキツネの源九郎)の道行。踊りがあって目を楽しませる芝居。静御前は藤十郎。忠信が梅玉。忠信は人間の心持ちの時と、キツネの心持ちが交錯する。キツネが強く出ているときには手つきが丸くなってくるし、身のこなしも飛び跳ねたりする。
最後は三島由紀夫の新作歌舞伎(といっても初演は昭和29年だが)で、鰯売りが大名にばけて傾城のところへ行くという話。人情味たっぷりのコメディ。初演は17世勘三郎と歌右衛門。近年は18世勘三郎と玉三郎が演じた。今回は勘九郎と七之助である。
つくづく三島という人は器用で巧い。様式感があり、笑わせどころも心得ている。盛り上がるところはもりあがるし、全体もきれいにまとまる。今少し生きていたら、きっとオペラのリブレットも書いたであろうと思わずにはいられない。
勘九郎と七之助は、それぞれにいい味を出していた。獅童が博労(馬引き)の役でコミカルな味を出していた。比較するのも気の毒ながら、歌舞伎の役者と、オペラで歌手が演じている演技では、様式感の決まり方が異次元のレベルだと思った。人の心は不思議なものだ。日常そのものをリアルに追求するよりも、ある様式の型やリズムにのせられた方がむしろその心情の真実を感じることがある。音楽というものもそうだ。たんに泣き喚いたり、怒鳴ったりするのでは、悲しみや怒りを音楽として伝えることはできない。歌舞伎を見て、あらためて、リアルと様式の関係、虚実皮膜の間に思いを馳せた。
勘九郎は姿も声も勘三郎に似ている。栄光であり宿命であろう。七之助は遊女を演じても品がある。あっぱれなる兄弟の芸であった。感服しました。

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《ポッペアの戴冠》

モンテヴェルディのオペラ《ポッペアの戴冠》を観た(初台、オペラシティコンサートホール)。

ヴァーグナーのオペラが3管編成、つまり大編成のオーケストラであったのに対し、この日のモンテヴェルディは楽器を演奏するのは8人だった。
ヴァイオリンが3人、チェロ1人、コントラバス1人、指揮者兼チェンバロ1人、リュート1人、ハープ1人である。ピリオド楽器を用いている。音量は大きくないが、ホールの響きが良いこともあって不足はまったく感じなかった。むしろ、一人一人の奏者の細かいニュアンス、弦へのアタックや、ピチカート、レガートの違いが手に取るようにわかる良さがある。
また、オケの大音量にかきけされる懸念がないので、歌手も大声を出すことに注力するのではなく、音楽の表情、場面ごとに表現すべき性格に注力できる良さがある。
なんといっても圧倒的な歌唱力をみせたのはタイトル・ロールのロベルタ・マメリ。会場の空気を完全に把握した響きで、ソット・ヴォーチェもフルボイスも自由自在。ソロでもネローネ(マルゲリータ・ロトンディ)との二重唱でも、澄み切った声、しかも場面に応じて豊かな官能性を感じさせる声なのである。
ストーリーは、古代ローマの皇帝ネロ(ネローネ)の時代。ネローネは皇妃オッタヴィアがありながら、ポッペアに夢中。ポッペアにもオットーネという恋人(夫という解説もある)がいながら、皇妃の座をねらう。
いさめる哲学者セネカには皇帝が死罪!を申し付ける。オッタヴィアがオットーネを刺客としてポッペアを亡き者にしようと企むが愛の神の妨害にあって露見する。オッタヴィアは追放、ポッペアはめでたく?皇妃になるという話だ。
全然、勧善懲悪ではないところが、のちのオペラ・セリアとは大きく異るところだ。実際の歴史では、ネローネ(ネロ)は悪行の連続の果てに非業の死をとげる。オペラでは、二人のわがままな愛が成就して終わる。しかしその最後の愛の二重唱は甘美で陶然とさせるものだ。この日の演奏も完璧なものだった。ビブラートが最小限で澄み切ったハーモニーの心地よさ。 拍手が鳴りやまなかったのも当然と言えよう。
モンテヴェルディの音楽が、ひからびた音楽ではなく、実にみずみずしい、スイングする魅力をも備えていることを感じさせてくれる演奏だった。最後の二重唱は、伴奏の音型が舟唄のようになっており、指揮者によるアレンジが魅力を一層高めているのかと思う。

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《パルシファル》

http://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/upload_files/019-DS1C_0035_l.jpgヴァーグナー作曲のオペラ《パルシファル》を観た(新国立劇場)。

ヴァーグナー自身は、オペラと呼ばず神聖祝祭劇と呼んだらしいが、イタリア・オペラの場合も、自らオペラと名乗ったのはかなり後になってからで、dramma per musica とかdramma giocosa とか名乗っており、オペラは後世の人が便宜的につけた名称である。このオペラは特別なオペラだと言う呼び名のたて方がヴァーグナーらしいといえばヴァーグナーらしいと言えるかもしれない。
第一幕はアンフォルタス王が苦しんでいる。舞台としてはグルネマンツという老騎士がそのいきさつを語る場面が長い。アンフォルタスは聖杯(十字架にはりつけになったイエスから出た血をうけた杯)を守る騎士団の長なのだが、かつてクンドリという魔性の女の誘惑にかかり、聖なる槍をうばわれ脇腹をさされ、その傷が長年癒えない。
舞台はジグザクの道が、いくつかのブロックに区切られていて、ブロックごとに上下する。道は照明によって色が変わるし、登場人物の乗ったブロックが沈むと奈落へ落ちるといった意味合いがある。アンフォルタスは永遠とも思える苦しみから解放されるために死を望むほどなのだが、救済は3人の仏僧によって暗示される。救済が原作のキリスト教的救済に限定されるのを避けたいと演出家が考えたためであろう。この舞台はすっきりしていて照明の色が変わることによって、快楽の園を表現もできてすぐれた装置であった。また、巨大な槍を象徴する装置が、時計の針のようにゆっくりと回転して出たり、引っ込んだりするのも効果的だった。
アンフォルタスの苦しみは、穢れ無き愚かな若者によって救済されるとされていて、それがパルシファル(クリスティアン・フランツ)なのだが、もう少し風采(服装を含め)をすっきりさせられなかったものか。かなり浮浪者然とした印象(失礼!)だった。クンドリの方には派手な色のドレスを着せていたし、エヴェリン・ヘルリツィウスは声がよく出ていて迫力満点だった。パルシファルも声はよく出ていた。
第二幕は、クンドリがパルシファルにキスをすると、パルシファルが自分の使命を悟るという場である。クリングゾルという敵(聖なる槍を奪っている)に聖なる槍を投げつけられるが見事空中でキャッチして奪い返す。
第三幕は、パルシファルが聖なる槍をもってアンフォルタスのところに行き、傷をいやし、パルシファルが王位を継承する。洗礼をさずけたクンドリは安らかに?息絶える。
ニーベルンゲンの指環で生臭い権力闘争(神々や巨人族や地底人たちの)を描いてきたヴァーグナーが最後に到達した、あるいは最後にもとめたのはキリスト教的救済どまんなかだったのは興味深いところでもある。
この日の公演はどの歌手も熱演であった。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮飯森泰次郎。端正でややゆっくりめの指揮であった。
皇太子殿下もご覧になっていた。

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2014年10月 7日 (火)

ローマ歌劇場の雇用をめぐる数字

ローマ歌劇場のオーケストラおよび合唱団の解雇が問題となっているが、歌劇場の雇用をめぐる数字が紹介されている(Corriere della Sera, 10月4日)。


イタリアの場合、13の代表的な劇場が基金を作っているが、ここの赤字は2013年度が3億9200万ユーロだが、国の補助は1億9000万ユーロなので埋め合わせきれない。

人件費                      3億2400万ユーロ
ミラノ・スカラ座                6590万ユーロ
ローマのオペラ座             3950万ユーロ
ナポリ・サンカルロ劇場      2160万ユーロ
バリのペトゥルツェッリ劇場 650万ユーロ

年間の上演回数
イタリア                               72,9回(平均)
ウィーン国立歌劇場                    223回
ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  209回
ロンドン・ロイヤル・オペラ・ハウス    154回

オーケストラ員の収入
ローマ・オペラ座  4万7千から6万9千ユーロ
ミラノ・スカラ座  7万3千から11万8千
フィレンツェ        6万7千から8万2千
バリ・ペトルッツェッリ 2万9千から4万2千
ナポリ・サンカルロ  4万8千から8万7千





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2014年10月 3日 (金)

ローマ歌劇場、オーケストラ、合唱団を解雇

ローマ歌劇場は、経営不能であるとして、ローマ市長イニャーツィオ・マリーノと歌劇場総裁カルロ・フオルテスは、2015年1月1日から、オーケストラ、合唱団は全員解雇されると告げた。(Corriere della Sera 10月3日)

解雇までのプロセスは75日で、そのうち45日の交渉期間がある。解雇の対象は92人のオーケストラ団員と90人の合唱団全員である。歌劇場全体の従業員は460人。
市長と総裁は、厳しいが必要な措置であるとし、それ以外の選択肢としては劇場閉鎖があったが、そうではなくて、劇場の再生を目指すとしている。

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