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2014年8月19日 (火)

《パルミーラのアウレリアーノ》(作品として)

若き日のロッシーニと若き日のフェリーチェ・ロマーニによるオペラ・セリア《パルミーラのアウレリアーノ》はよく聞いてみると魅力に富んでいた。

前の項で記すべきだったかもしれないが、アルサーチェ(ペルシアの王子)を初演したのはジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティというカストラートだった。クラッチフィールドの講義にあったように、彼はロマン派を先取りするような独自のフィオリトゥーラ(装飾音)を付けてうたう相当の歌手だったようだ。
この作品は、あまり成功しなかったためか、いくつかの曲が《セビリアの理髪師》に再利用されている。序曲はそのままだし、《セビリアの理髪師》でアルマヴィーヴァが歌う‘Ecco ridente in cielo' やロジーナの歌う‘Io sono docile, son rispettosa'などのメロディーがあっと驚くほど違う状況で、戦争におもむく戦士の歌として歌われる。
しかしよくよく考えてみれば、ロジーナもリンドーロと結ばれるかどうかは一生をかけた戦いで、最大限に知恵を絞っているからこそ、経験も豊富で知恵もあるフィガロの一枚上手を行くことが出来たのではなかろうか。外見の違いこそあれ、自分の命運をかけた戦いという点では共通している(それがオペラセリアであれ、オペラブッファであれ)ということにも注目してよいだろう。
だからこの曲を観る、聞く楽しみの1つは《セビリアの理髪師》との比較と言わざるをえない。最初はへえ、こんなところであのメロディーがと思うからだ。しかもそのメロディーは装飾音の付き方が違っている。ヴェッルーティの項目のところで説明したように、1。ロッシーニが《パルミーラのアウレリアーノ》に書いた旋律がシンプルで 2.それにカストラート歌手のヴェッルーティがはなやかに装飾音を付けた
3。《セビリアの理髪師》を書く時点でのロッシーニはヴェッルーティの付けた装飾音を自作にかなり取り入れた ということがクラッチフィールドにより推測されている。クラッチフィールドは、今回、《パルミーラのアウレリアーノ》の校訂版を作り、それに基づいて自ら指揮をしている。研究と興行がまさに車の両輪となっている。
しかし、《パルミーラのアウレリアーノ》の楽曲の魅力は《セビリアの理髪師》との比較がメインではない。
皇帝や女王の凛とした気品にみちた歌、メゾ(ズボン役)とソプラノ(女王)の愛の二重唱、主要人物はそれぞれの複雑な思いを吐露するアリアを持っているし、また、第二幕には合唱で羊飼いたちがでてきてまさに牧歌的な曲が歌われる。実にチャーミングなメロディ、勇壮なリズム、愛の歌が次から次へと繰り広げられるのだ。
しいて難点を言えば、史実に忠実であることを重視しすぎたロマーニが、似た場面を繰り返し書いてしまったことだろうか。どこがクライマックスなのか判然としないし、最終場面もローマに忠誠を誓えばゆるそうという場面が演奏のせいか曲のせいか盛り上がりに欠けたまま終わるのである。曲によってはコンチェルタートとかで全員でもう一回り大きく歌い上げて終わることもあるので、なぜこの作品はあっさり終わるのかは一考の余地がありそうだ。
とはいえ、部分、部分は実に魅力に富んだ音楽が山盛りなので、機会があればぜひまた観てみたいと思う作品であった。

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