《ポントの王ミトリダーテ》
モーツァルト作曲オペラ《ポントの王ミトリダーテ》を観た(ストックホルム郊外、ドロットニングホルム宮廷劇場)。
指揮デイヴィッド・スターン、演出フランシスコ・ネグリン。配役は王ミトリダーテがPeter Lodahl (テノール)。この人はやや荒い歌い方だった。王妃であり、かつ王の息子二人から言いよられるアスパジアはMiah Persson. 地元スウェーデンのソプラノ歌手だが国際的に活躍しており、安定した歌唱だった。
息子の1人ファルナーチェ(敵方ローマと通じている)はカウンタテノールのクリストフ・デュモー。もう一人の息子シファレ(実は王妃アスパジアと相思相愛)は、ソプラノ、ラファエッラ・ミラネージで様式観のある歌唱であり、めりはりのきいた演技だった。
なんといっても魅力的だったのは、モーツァルト初期の音楽をバロック音楽寄りに、しかも20数名のオーケストラ、歌手、指揮が様式をそろえて演奏していたことだ。
《フィガロの結婚》や《ドン・ジョヴァンニ》とは異なる軽やかに走り抜け、かつ、劇的な部分では容赦なく楽器のエッジをきかせるモーツァルトの音楽だった。
考えてみれば、モーツァルトとバッハやヘンデルは一世代しか違わない。
われわれは、少し前までロマン派よりの演奏でのモーツァルトに聞きならされていたのかもしれない。無論、それもゆえなきことではなく、モーツァルトはロマン派的な深い感情表現を器楽曲であれ、オペラであれ切りひらいた面がある。
しかしその一方で、今回のようにモーツァルトが14歳で書いた初期のオペラは、異なった音楽的表情と魅力を備えている。
装飾音と一体化した高音部の旋律を効く快感、ロッシーニのオペラセリアと共通する快感に満ちている音楽なのである。
演出は簡素な装置だが、劇の展開を邪魔しないし、服装も厳密なものではないが、宮廷風と言えなくもないものだった。
もともとの原作はラシーヌであり、作品はストーリー面でも、音楽面でもきわめて大きい。もっともっと上演されてよいオペラであると確信した。
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