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2014年7月16日 (水)

エンリコ4世

エンリコ四世の場面カット画像マルコ・ベロッキオ監督の映画《エンリコ4世》を観た(渋谷、イメージフォーラム)。

この映画は主演がマルチェロ・マストロヤンニとクラウディア・カルディナーレ、監督がマルコ・ベロッキオというだけでも豪華だが、そのうえ音楽はピアソラで、撮影監督はジュゼッペ・ランチという興味をかきたてられるキャストである。
さらに、原作はイタリアのノーベル賞作家ルイージ・ピランデッロの同名の戯曲である。ピランデッロが原作となったイタリア映画といえばタビアーニ兄弟が監督した《カオス・シチリア物語》が有名だが、いずれも、不思議な世界観を示すものだ。ピランデッロはフランスや英語圏で不条理演劇というものが出てくる前に、不条理演劇を作り出してしまった人なのである。
エンリコ4世というのは、1077年のカノッサの屈辱のハインリッヒ4世(教皇グレゴリウス7世から破門を解いてもらうため3日間雪の中に立ち尽くしたあの人です) のイタリア語読みである。
しかし、原作もこの映画もいわゆる歴史劇ではない。ある人物が、カーニバルでエンリコ4世に扮している際に、落馬して頭を打ってそれ以来自分をエンリコ4世だと思い込んでしまい、周りのものもそれにあわせて演じているという状況なのである。
そこへ「エンリコ4世」の昔の恋人マティルデ・スピーナ侯爵夫人と娘のフリーダらがやってくる。それをきっかけに狂気が正気に戻って。。。あるいはどこまでが演じられた狂気なのかという問題が生じてややこしいことになる。
ちなみに、原作の戯曲は大学書林から『エンリーコ4世』という対訳本で出版されている。小林勝氏による懇切丁寧な註つきである。

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2014年7月14日 (月)

『オペラは手ごわい』

image岸純信著『オペラは手ごわい』(春秋社、2800円)を読んだ。

なかなか複雑で、かつ、独特の味わいに富んだオペラ本である。一番大きな特徴は、これまで、あまり論じられることのなかったフランスオペラを中心にとりあげ、その魅力を著者が全力で伝えようとしていることだろう。
フランスオペラという中には、フランス人作曲家がフランス語の台本に作曲したものばかりでなく、ドニゼッティやベッリー二、ヴェルディといったイタリアを代表するオペラ作曲家がパリで発表した作品も含まれる。ロッシーニ晩年の傑作《ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)》もそうだが、ドニゼッティの《連隊の娘》、ヴェルディの《ドン・カルロス》はオリジナルがフランス語台本なのである。
しかし、なんといっても、この本で熱がこもっているのはマイヤーベーアやトマやグノーといったフランスの作曲家、およびその作品を紹介する筆致だろう。著者が愛してやまない作品であるにもかかわらず、世の中での上演頻度は少ないからだ。なんとかその魅力を多くの人に伝え、上演の機会を増やしたいという熱い思いが伝わってくる。
そういう思いと深く関わっているのだろうが、この本のもう一つの特徴は、著者が、個々のオペラの上演でどの場面にどう感動したかが詳細に語られていることだ。個人的なエピソードは、案外豊富に語られていて、11歳の著者がバスの中で老人に席を譲ったところ、あなたに席を譲っていただいたのは二度目です、という驚くべき返事をもらい、実はその人が旧華族であったということなのだが、この話は、ヴェルディの《椿姫(ラ・トラヴィアータ)》の貴族たちを語る際に出てくる。彼の個人的な経験が、オペラを観るさいにどう活かされているのかがうかがえる仕組みの叙述である。
もう一つ著者には執念といえる楽譜へのこだわりがある。たしかに、オペラであれ、文学作品であれ、本格的に調べたり研究対象にしようとすれば、版(エディション)の違いに無関心でいるわけにはいかない。そのことへの認識が共有されるようになったからこそ、重要な作曲家の批評校訂版(クリティカル・エディション)が出版されるようになったわけだ。そういう意味で、岸氏の楽譜へのこだわりは批評の王道なのである。
しかしながら、先に述べた個人的な経験や歌手とのインタビューのエピソードが惜しげもなく紹介されるので、学術書にともすればありがちな無味乾燥とは無縁の書である。むしろ、著者の静かな情熱に圧倒される思いがするのは私ばかりではあるまい。
《カルメン》、《タイス》などのように既に観たオペラもあったが、まったく一度も観たことのないオペラもあり、しかもその魅力を詳細に語ってくれ、こちらの好奇心と探求心を大いに刺激される一冊であった。

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2014年7月10日 (木)

《ホフマン物語》

オッフェンバック作曲のオペラ《ホフマン物語》を観た(渋谷オーチャードホール)。

大野和士指揮のリヨン歌劇場の引っ越し公演である。
いくつかのDVDを観ていったのだが、このオペラでおそらく最も重要なことの1つは、オッフェンバックが未完成のままに死んでしまったために、このオペラには決定版がなく、プロダクションによってかなり中身が違うということだ。
ストーリーは呑んだくれの詩人ホフマンが出てきて、過去の3人の女性との恋愛を語るという枠組みである。そもそもプロダクションによって3人の出てくる順番が異なる。人形のオランピアのあとに歌手アントニア、娼婦ジュリエッタが出てくるのだが、アントニアとジュリエッタの順番が逆の場合もある。
今回はアリアでない部分の台詞がレチタティーヴォでなくまったく普通の台詞の部分が多かったが、上演によってはレチタティーヴォになっているのもある。
人形のオランピアはただの人形ではなくオートマトン(自動人形)なのでつまりロボットなのであるが、昔とちがって、この人形が人のように動いたりそれが人間の男をとりこにしたりするというのはもうそこまで来ているという感じがする。
今回のプロダクションではこの3人はすべてチョーフィが歌っているが、プロダクションによっては別々の3人の歌手が歌い演じることもある。
なんといってもアントニアをどう演じさせるか、また歌手がどう演じるかが最大の見どころに思える。チョーフィの場合は、高音を発するところでは空中高く浮かび上がり、音が下がると床にもどってくるという演出だった。またセグウェイとおぼしきものにのってなめらかに地上を移動する。
音楽的にも、演出の面白さという点でも、このオペラはミュージカルに近いのだということを認識した。
この日の演出は、モダンで、色がグレーに近いというか薄い色で、ヴェネツィアといっても派手な色は皆無なのだった。ゴージャスではなくて、知的な演出であり、そこが好みの別れるところであろう。
リヨンのオケは、ときたま合唱とずれかかっていたものの、全体としては非常に柔らかで美しい音を奏でており、夢の世界へいざなってくれた。酔っ払い詩人になったつもりで、観客も過去の恋を思い出して甘酸っぱい思いにひたるのがこのオペラの楽しみかたなのだろうと想像した。

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