《チェネレントラ》
ロッシーニ作曲のオペラ《チェネレントラ》を観た(ライブビューイング)。
METのライブビューイングで、タイトル・ロールはジョイス・ディドナート、王子はフアン・ディエゴ・フローレスという豪華配役であるが、脇役の特ににせ王子(実は召使い)ダンディーニのピエトロ・スパニョーリと王子の家庭教師アリドーロのルカ・ピザローニは特によかった。スパニョーリは、ちょっと岡田真澄を思わせるキザな身振りがあり、前半で王子のフリをしている場面では、おおいに図にのって振る舞い、それが案外さまになっていて、見ていて愉快だ。
アリドーロはこれは演出チェーザレ・リエーヴィのアイデアなのだろうが、チェネレントラに正体を明かす、つまり、それまで乞食の格好をしていたのが、実はという場面でぼろ服を脱ぐと、白い背広を着ているのだが、背中に羽根がはえている。天使なのだ。
だから、神があなたに私をつかわせた、という歌詞が生きていくる。これはいままで観たことのないアイデアで意外だったが、いったん観てしまうとこれもありだと納得させられる。
というのも、アリドーロとチェネレントラの歌詞には、かなり生真面目(シリアス)なものが多く、善の勝利、許しの重要性といったことが前面に出てくる。チェネレントラは
オペラ・ブッファ的な場面、要素に事欠かないのであるが、その一方で、最終場面のチェネレントラの長いアリアに代表されるように、あるいは王子のアリアもそうなのだが、美徳の勝利を歌い上げるオペラ・セリア的要素にも事欠かないのだ。だからこそ、オペラ・セミセリアと呼ばれることもあるのだ。
ロッシーニの作品の中でもこれだけ、オペラ・ブッファ的要素とオペラ・セリア的要素が拮抗しているものは珍しいと思う。面白おかしく楽しめる部分と、人生のあるべき様相、理想について思いをはせる部分、両方を味わえるオペラなのだ。
歌手はディドナートの技巧は見事で聞かせるものだったが、惜しむらくは言葉がはっきりしないところがまれにではあるがあった。フローレスは高音部でも発声も発音もまったく見事だった。
メトは、スラップスティック的な笑わせ方はお手のものと言った感じだ。たとえば、脚の長さの異なった、それゆえすわると傾いてしまうソファーを小道具としてうまく使っていた。
笑えて、歌の技巧を堪能できて、人生のあるべき姿に思いを馳せることができるまったく贅沢なオペラの贅沢な上演であった。生で観た人がうらやましい。
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