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2014年6月25日 (水)

オペラ 《鹿鳴館》

rokumeikan-mainvisuel.jpg池辺晋一郎作曲のオペラ 《鹿鳴館》を観た(新国立劇場)。

2010年の初演から4年ぶりの再演とのこと。日本のオペラで、この間隔での再演は珍しいとのことである。
原作は三島由紀夫の戯曲。上演台本(リブレット)は、演出の鵜山仁によるもの。台本は、三島の言葉遣いはそのままにして、カットをほどこすことによって短くしている。たとえば、原作では、影山(朝子の現在の夫で、さまざまな出来事の黒幕)と部下の飛田の間では、薄気味の悪い話がかわされるのだが、オペラでは飛田は登場し、不気味な存在感を漂わせてはいるのだが、一切口をきかない(それはそれで効果的である)。
このオペラを新国立劇場が委嘱したのが今は亡き若杉弘で作曲家の池辺晋一郎氏ともども、若い時からの大変な芝居好き。
オペラというものは音楽劇であり、音楽が雄弁な曲もあり、脚本(リブレット)が雄弁な曲もある。このオペラでは委嘱した芸術監督も、作曲家も原作の戯曲の良さを尊重する方向で方向性がそろっていたように思われる。
そしてそれは成功したと言えるだろう。お芝居として見ても十分面白い。三島の原作は、言葉遣いの点でも、ストーリーの点でもオスカー・ワイルドの芝居(たとえば『ウィンダミア卿夫人の扇』や『理想の夫』)を吸収し、咀嚼した巧みなもの。言葉遣いは、逆説をまじえて、対比的な表現ですぱっと人生の一面を切り取る。ストーリーは、親子が生き別れていて、それに現在の母親の生き様と政治が絡んでくる。
政治的なレベルでは陰謀があり、それを親子の情愛から阻止しようとする女主人公朝子(大倉由紀枝)があり、朝子の生き別れた息子久雄(鈴木准)と顕子(高橋薫子)のレベルでは若者の恋愛がある。
日本人の歌手の演じる役割が日本人というのは、やはり自然で言葉も仕草にも、服装にも違和感がない。だから芝居の世界にすっと気持ちがはいっていける。
朝子の夫、影山伯爵を演じた黒田博、朝子のかつての恋人で自由党の残党の首領の清原を演じた星野淳も、風格がある人物に見えたし、朝子の大倉由紀枝の着物姿と洋服姿も素敵であった。欲を言えば、朝子が洋服を着たときの台詞のなかに、「裸のような気がする」という趣旨の言葉があったので、洋服はもう少し首元、胸元の開いた夜会服であってもよかったかとも思った。顕子の高橋薫子は、ヴェテランでありながら、ちゃんと娘に見えるところが見事であった。声の表情も娘にむいていた。
レパートリーとして定着していくのか注目したい作品である。

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2014年6月 4日 (水)

《チェネレントラ》

ロッシーニ作曲のオペラ《チェネレントラ》を観た(ライブビューイング)。
METのライブビューイングで、タイトル・ロールはジョイス・ディドナート、王子はフアン・ディエゴ・フローレスという豪華配役であるが、脇役の特ににせ王子(実は召使い)ダンディーニのピエトロ・スパニョーリと王子の家庭教師アリドーロのルカ・ピザローニは特によかった。スパニョーリは、ちょっと岡田真澄を思わせるキザな身振りがあり、前半で王子のフリをしている場面では、おおいに図にのって振る舞い、それが案外さまになっていて、見ていて愉快だ。
アリドーロはこれは演出チェーザレ・リエーヴィのアイデアなのだろうが、チェネレントラに正体を明かす、つまり、それまで乞食の格好をしていたのが、実はという場面でぼろ服を脱ぐと、白い背広を着ているのだが、背中に羽根がはえている。天使なのだ。
だから、神があなたに私をつかわせた、という歌詞が生きていくる。これはいままで観たことのないアイデアで意外だったが、いったん観てしまうとこれもありだと納得させられる。
というのも、アリドーロとチェネレントラの歌詞には、かなり生真面目(シリアス)なものが多く、善の勝利、許しの重要性といったことが前面に出てくる。チェネレントラは
オペラ・ブッファ的な場面、要素に事欠かないのであるが、その一方で、最終場面のチェネレントラの長いアリアに代表されるように、あるいは王子のアリアもそうなのだが、美徳の勝利を歌い上げるオペラ・セリア的要素にも事欠かないのだ。だからこそ、オペラ・セミセリアと呼ばれることもあるのだ。
ロッシーニの作品の中でもこれだけ、オペラ・ブッファ的要素とオペラ・セリア的要素が拮抗しているものは珍しいと思う。面白おかしく楽しめる部分と、人生のあるべき様相、理想について思いをはせる部分、両方を味わえるオペラなのだ。
歌手はディドナートの技巧は見事で聞かせるものだったが、惜しむらくは言葉がはっきりしないところがまれにではあるがあった。フローレスは高音部でも発声も発音もまったく見事だった。
メトは、スラップスティック的な笑わせ方はお手のものと言った感じだ。たとえば、脚の長さの異なった、それゆえすわると傾いてしまうソファーを小道具としてうまく使っていた。
笑えて、歌の技巧を堪能できて、人生のあるべき姿に思いを馳せることができるまったく贅沢なオペラの贅沢な上演であった。生で観た人がうらやましい。

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