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2014年5月28日 (水)

《シモン・ボッカネグラ》

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ヴェルディ作曲のオペラ《シモン・ボッカネグラ》を観た(東京文化会館)。
ローマ歌劇場の引っ越し公演で、指揮はムーティ。
このオペラは、ストーリーがやや複雑である。複雑と言っても理解不能というわけではなく、時間経過があるのと、登場人物が多めということだ。
プロローグがあって、そこではシモン・ボッカネグラが総督に選ばれることと、シモンはフィエスコの娘と恋仲なのだが、シモンは平民(すぐれた海賊)でフィエスコが貴族であることから、フィエスコが2人の仲を認めず、娘を幽閉し、娘は死んでしまう。
シモンと娘の間に生まれた女の子は行方不明。
第一幕はその25年後。行方不明であった女の子は、グリマルディ家にひろわれ、アメーリアと呼ばれている。ガブリエーレという若者(フランチェスコ・メーリが格調高く熱演)と恋仲である。しかしグリマルディ家でアメーリアを育てているのはアンドレア(実はフィエスコ)なのだが、なぜか二人は祖父と孫であるということに全然気がついていない! 
アメーリアのもとに総督(シモン・ボッカネグラ)がやってきて、自分の腹心パオロ(これがイアーゴ的な悪い奴)との結婚をすすめようとするが、アメーリアは自分の心境を説明し、さらに自分の生い立ちを説明する過程で二人が親子であることが判明! 感動の父娘の対面・抱擁となる。シモンはアメーリアをパオロと結婚させるという考えを捨てるが、そのことをパオロは逆恨みする。
こうしてジェノヴァ共和国の政治における平民派対貴族派の対立(細かく言えば、さらにそこに皇帝派と教皇派の対立も絡む)と、フィエスコ(祖父)、フィエスコの娘マリアと恋仲だったシモン・ボッカネグラ、シモンの娘アメーリア(実の名はマリア、母の名と同じなのだ)と親子3代にわたるこれも政治が絡んだ愛憎と和解の物語が展開される。
アメーリア役は、バルバラ・フリットリに代わってエレオノーラ・ブラットが歌った。表現力に富んだ声で、高いところで、往年のステッラを想起させるような叙情的なヴィヴラートがかかる。
ムーティの指揮は、テンポをゆったりめに取り、オーケストラの縦の線がそろうようにところどころで確認を入れるような音楽の進め方である。安心して聞ける半面、音楽の勢いにのってこちらの気持ちが運び去られるような奔放な流れは生まれにくい。
この曲は、もともとは1850年代(つまり、《リゴレット》や《椿姫》、《イル・トロヴァトーレ》の後)で作曲され、それから20年以上たって改作したものである。改作したのは
《オテッロ》作曲の直前であり、パオロという役どころは、《オテッロ》のイヤーゴに似ている。腹心の部下でありながら、主人を裏切るという役回りが共通しており、音楽的にもシニカルな悪という表現が共通している。
シモンはジョルジョ・ペテアン。フィエスコは、ドミトリー・ベロセルスキー。バリトンとバスの対決を何度も聴けるのが、このオペラの醍醐味の一つである。パオロもバリトンなので、主要人物3人が低い声。あとは若い恋人2人がテノールとソプラノという構成である。
一方で、海のさざ波を思わせるヴァイオリンの音型が形をかえて何度も出てくる。それが、声は低音部が多いのだが、海の場面は、さわやか、あるいは清浄な感覚をもたらしている。海と結びつきが強いのはアメーリアである。
実に充実した音楽であり、だれるところが微塵もない。こうした音楽を生で聴けるのは幸せなことだ。
現行版は、先に述べたように、ヴェルディ自身によって改訂され1881年に上演されたものである。オーケストラの充実ぶりは文句ないものであるが、個人的には1850年代の初演版もいつか観てみたい、聞いてみたいと思った。

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