《コシ・ファン・トゥッテ》
ライブビューイングで《コシ・ファン・トゥッテ》を観た。
いつものことだが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のライブを録画したものを映画館で観るというものである。
指揮者レヴァインが2年ぶりに復活した時に選んだ曲目がヴェルディの《ファルスタッフ》とモーツァルトの《コシ・ファン・トゥッテ》だった。この演奏でも、レヴァインは演奏する歓びに満ちていたと思う。
コシ・ファン・トゥッテは、重唱が多いオペラである。前半部では、姉フィオルディリージと妹ドラベッラが入れ替え可能であるような形で、二重唱が多用される。
ストーリーの途中から姉妹は、違いが出てくる。姉フィオルディリージの方が、貞操へのこだわりが強く、新たな恋人へ惹かれる気持ちと、戦争に行った(とされている)婚約者の間に分裂する気持ちを歌う。彼女の歌の解釈は
歌詞を額面どおりに受け取ってシリアスに歌うか、それともこのオペラにおいて恋愛は賭けの対象になっているのであって、一種の冗談であることを重視して、歌詞が皮肉に聞こえるような感じで軽く歌うこともありうると思うが、この日のフィオルディリージは、まったくロマンティックに歌っていた。
《フィガロの結婚》におけるケルビーノもそうであるが、モーツァルトにはロマン派の先駆け的な曲があって、それをどういう様式で歌うかは、なかなかむつかしい問題だと思う。
個人的には、本人はシリアスぶっているのだが、第三者が聞くと皮肉に響くような面があってほしいと思う。あまり重くなりすぎないのが全体の様式のバランスをこわさないと思う。
とは言え、フィオルディリージ、ドラベッラ、グリエルモ、フェッランドはそれぞれに良かった。ドン・アルフォンソも皮肉がきいていた。デスピーナは少し発音が聞き取りにくかったが、演技力はあった。
モーツァルトはオペラを書く筆が冴え渡っていて、こわいくらいだ。陽気な曲、静かに出発した人たちの無事を祈る曲、怒りを表す曲などソロであれ、二重唱であれ、合唱であれ、充実しきっている。
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