《ヴォツェック》
新国立劇場(東京・初台)で、アルバン・ベルク作曲のオペラ《ヴォツェック》を観た。
実演で見るのは久しぶりで、台詞の細部を忘れていた。今回、聴くと、というか字幕で確認すると、案外、貧困をなげいたり、貧しいからこうせざるを得ないのだ、という歌詞、台詞が多い。
歌手は、ヴォツェック役のゲオルク・ニグルとマリー役のエレナ・ツィトコーワがこのオペラ独特のシュプレヒシュティンメ(リズムと音の上げ下げを規定された独特の語り)だけでなく、通常の歌でも聴かせた。
鼓手長(ローマン・サドニック)や医者(妻屋秀和)、大尉(ヴォルフガング・シュミット)は、衣装や演技もふくめて見応えがあった。欲を言えば、冒頭で大尉がボツェックとの皮肉に満ちたやりとりをする場面で超高音がより迫力のある声で聴かせてもらえればと思ったが、ないものねだりか。
《ヴォツェック》は、ベルクの音楽構成があまりに見事なので、音楽に耳を奪われがちだったが、今回は、すぐれた演出、舞台美術のおかげで、演劇としても見応えのあるものだということを再認識した。《ヴォツェック》は、逆説的な愛のドラマである。ヴォツェックは様々な不条理を押し付けられ、人格を踏みにじられる。経済的な安寧も得られず、信仰も失っている。疎外された人間が、愛を求めるが、思うようには得られず、マリーは鼓手長になびいてしまう。ヴォツェックはついに精神に異常をきたし、マリーを殺し、自らも沼に沈む。
指揮は、やや慎重で切迫力に欠ける場面もあったが、無難にまとめていた。もともとのオーケストレーションが表情や変化に富んでいるので聴き応えはあった。思いの外、種々のダンスが用いられている。こうしたダンス音楽の使用も、《ヴォツェック》の音楽を新ウィーン楽派の中では相対的にとっつきやすいものとするのに貢献しているだろう。
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