ロッシーニ≪スターバト・マーテル≫
トリノ王立歌劇場の特別演奏会、ロッシーニの≪スターバト・マーテル≫を聴いた(東京文化会館)。
都民劇場のコンサートである。オペラの時よりも客層が落ち着いた雰囲気の人が多い。
オペラの時のほうが華やかである。
前半は≪どろぼうかささぎ≫、≪セビリアの理髪師≫、≪ウィリアム・テル(ギヨーム・テル)≫の序曲。久しぶりに、オーケストラ・ピットではなく、壇上にいるオケのかなでる序曲を聴いた。
当然だが、鳴りっぷりが派手やかになる。ノセダの指揮は、フレージングの細かいところで、ロッシーニらしさ、ロッシーニ節というものを作っていくのではなく、フレーズは、均一でそっけない感じである。モダンな感じで、ただし、強弱や、音の表情の弛緩と緊張でコントラストを作っていく。テンポは原則としてインテンポ。
オケの統率が保たれて、破綻をきたすことはない。時に、もう一歩突っ込んでほしくなることもないではないが、これが彼のスタイルなのだと思う。
後半は、メインの≪スターバト・マーテル≫。悲しみの聖母で、歌詞は、ヤーコポ(あるいはヤコポーネ)ダ・トーディが書いたといわれている。ヤーコポは1236年生まれで、1303年没。アッシジのサン・フランチェスコの死後10年で生まれているといったら時代がわかりやすいだろうか。あるいはダンテと同時代人だったと言ったほうがよいか。イタリア語の作品も書いているのだが、これはラテン語である。
ロッシーニの曲は素晴らしいの一言に尽きる。10曲からなり演奏時間は1時間10分前後だが、宗教曲らしい厳粛な曲もあるし、テノールがオペラティックに歌いあげる曲あり、アカペラ(オーケストラの伴奏なし)で、合唱が活躍する曲ありと、変化に富んでいる。しかも、深刻なメロディーばかりでなく、鼻歌でも歌うような心たのしい曲、胸にすっとはいってくる曲がちりばめられている。
独唱者もフリットリ、バルチェッローナをはじめ、ピエロ・プレッティ(テノール)、ミルコ・パラッツィ(バス)も熱唱だった。
特筆すべきはフリットリで第8曲で審判の日を歌う熱唱は、心打たれるものだった。彼女は、合唱が歌っているときも、(むろん大声は出さないが)一緒に歌っていた。指揮者にもいるが、すべてのパートが頭にはいっていて、自然と歌ってしまうのであろう。
曲への入り込みかたが自然で、出すべきときにエネルギーを放出し、ロッシーニにふさわしい輝きを放っていた。
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