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2013年12月 7日 (土)

ロッシーニ≪スターバト・マーテル≫

Trinothumb100xauto281トリノ王立歌劇場の特別演奏会、ロッシーニの≪スターバト・マーテル≫を聴いた(東京文化会館)。

都民劇場のコンサートである。オペラの時よりも客層が落ち着いた雰囲気の人が多い。

オペラの時のほうが華やかである。

前半は≪どろぼうかささぎ≫、≪セビリアの理髪師≫、≪ウィリアム・テル(ギヨーム・テル)≫の序曲。久しぶりに、オーケストラ・ピットではなく、壇上にいるオケのかなでる序曲を聴いた。

当然だが、鳴りっぷりが派手やかになる。ノセダの指揮は、フレージングの細かいところで、ロッシーニらしさ、ロッシーニ節というものを作っていくのではなく、フレーズは、均一でそっけない感じである。モダンな感じで、ただし、強弱や、音の表情の弛緩と緊張でコントラストを作っていく。テンポは原則としてインテンポ。

オケの統率が保たれて、破綻をきたすことはない。時に、もう一歩突っ込んでほしくなることもないではないが、これが彼のスタイルなのだと思う。

後半は、メインの≪スターバト・マーテル≫。悲しみの聖母で、歌詞は、ヤーコポ(あるいはヤコポーネ)ダ・トーディが書いたといわれている。ヤーコポは1236年生まれで、1303年没。アッシジのサン・フランチェスコの死後10年で生まれているといったら時代がわかりやすいだろうか。あるいはダンテと同時代人だったと言ったほうがよいか。イタリア語の作品も書いているのだが、これはラテン語である。

ロッシーニの曲は素晴らしいの一言に尽きる。10曲からなり演奏時間は1時間10分前後だが、宗教曲らしい厳粛な曲もあるし、テノールがオペラティックに歌いあげる曲あり、アカペラ(オーケストラの伴奏なし)で、合唱が活躍する曲ありと、変化に富んでいる。しかも、深刻なメロディーばかりでなく、鼻歌でも歌うような心たのしい曲、胸にすっとはいってくる曲がちりばめられている。

独唱者もフリットリ、バルチェッローナをはじめ、ピエロ・プレッティ(テノール)、ミルコ・パラッツィ(バス)も熱唱だった。

特筆すべきはフリットリで第8曲で審判の日を歌う熱唱は、心打たれるものだった。彼女は、合唱が歌っているときも、(むろん大声は出さないが)一緒に歌っていた。指揮者にもいるが、すべてのパートが頭にはいっていて、自然と歌ってしまうのであろう。

曲への入り込みかたが自然で、出すべきときにエネルギーを放出し、ロッシーニにふさわしい輝きを放っていた。

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2013年12月 6日 (金)

ダンヌンツィオ展

ダンヌンツィオ展を観た(東京大学駒場博物館)。

会期が延長になり12月13日まで。思いがけず、多くのダンヌンツィオの遺品が展示されている。スーツや靴、カラー(取り外しのきく襟)。ダンヌンツィオの足は、小さくて、幅はとても細かった。あの靴では、たいていの日本女性でも幅がきついのではと思われるほどであった。
ダンヌンツィオは、日本に飛行機でやってくる計画も持っていたが、様々な事情(主としてフィウメの情勢の緊迫)で頓挫した。
日本人との交流もあった。彼の最後の家であるヴィットリアーレはヴィデオ映像も含め詳しく紹介されている。
入場は無料で、しかも充実したパンフレットがこれまた無料である。

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2013年12月 5日 (木)

《仮面舞踏会》

トリノ歌劇場の来日公演でヴェルディの《仮面舞踏会》を観た(東京文化会館)。

指揮はノセダ。リッカルドがラモン・ヴァルガス、レナートがガブリエーレ・ヴィヴィアーニ、アメーリアがオクサナ・ディカ、ウルリカがマリアンネ・コルネッティ、オスカルが市原愛。
《仮面舞踏会》は劇的緊張度が高いオペラである。しかも、声の性格の異なる数多くの登場人物がそれぞれに見せ場、聞かせどころを持っているから充実したキャストを揃えるのはむずかしいであろうことは想像にかたくない。
今回のキャストはバランスがとれていたと思う。また、ノセダの指揮は、緊張が高まる箇所を、テンポをあげるのではなく、むしろ音のインテンシティ、緊張度を高めるというやり方で音によるドラマを構築していた。オーケストラは見事にその要求に応えており聞きがいがあった。
演出としては、レナートが妻アメーリアが不貞を働いていると思い込んだ第三幕で冒頭明らかにDVであり、ベッドがおいてあってそこでドラマが展開することに軽い違和感があった。単なる家庭悲劇に矮小化されてよいのか、このドラマは、と。せっかく、ヴィヴィアーニの歌唱は格調高いのに、なんだかヴェリスモ的なドラマづくりであると感じた。オスカルの市原愛は丁寧な歌唱で、初日のせいかもしれないが、もう少しはじけた感じがあってもよいかと思った。
スカラ座といい、トリノといい、案外、空席が目立つ。引っ越し公演という贅沢な催しが将来も続いていくのか、かすかな不安をおぼえた。

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《トスカ》

トリノ歌劇場来日講演の《トスカ》を観た(東京文化会館)。

トスカはノルマ・ファンティーニ。カヴァラドッシがマルセロ・アルバレス、スカルピアがラド・アタネリ。
ファンティーニはややビブラートがかかるが、たくましく強い声で、《トスカ》ではしばしばオーケストラが雄弁に鳴るがものともしない。アルバレスは、発声の仕方、声の質、非常に端正なたたずまいで美しい。ラド・アタネリも、歌い方としては上品な悪役を演じていた。むろん、スカルピアは男爵であり、単なるごろつきとは違うので、そういう一面を出すことは必要だ。ストーリーが十分彼の悪をあばいていると言えよう。
ノセダの指揮はつぼを押さえたものであった。演出、舞台装置は、やや抽象的なセット。トスカがスカルピアを殺したあとに、ろうそくを立てないのは、少し物足りない感じがした。
演奏の前に、舞台上で、演出家と、トスカ役のダブル・キャストのパトリシア・ラセットがインタビューを受けるというかわったイベントがあった。

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2013年12月 4日 (水)

《鼻》

ライブビューイング(映画館での録画上映)で、ショスタコーヴィチのオペラ《鼻》を観た。

何十年も前(いったい何十年前だったのか)ゴーゴリの短めの小説『鼻』を読んで衝撃を受けた。主人公の鼻がとれて、その鼻は独立した人格を持ってしまう。これが書かれたのが1830年台というのも驚きだ。カフカや安部公房よりずっと早いのは言うまでもない。
不条理であり、おとぼけな可笑しさにあふれた話を、ショスタコーヴィチは諧謔、諷刺の味わいに満ちた音楽、時に大胆なリズムや不協和音を駆使して描いていく。
今回の上演では、演出ウィリアム・ケントリッジのアニメをふんだんに用いた演出が効果的だった。登場人物鼻は、人間の大きさできぐるみでも出てくるし、アニメとしても出てくる。
鼻がとれてしまうコワリョフは、パウロ・ジョット(バリトン)。警察分署長はアンドレイ・ポポフ(テノール)。どちらも素晴らしかった。鼻がとれてしまった後、ジョットの鼻をどうするのか(メークなど)と思ったが、まったく普通に鼻はあり、特殊メークなどはない(そんなことをすると歌いにくいのかもしれない)。
スターリニズムの時代には演奏されなかった演目である。若い時のショスタコーヴィチは意欲的な作品を書いていたのに、じょじょに、自分の書きたいものは書けなくなっていく。

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