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2013年11月10日 (日)

《リア》

ライマン作曲《リア》を観た。


シェイクスピアの原作をかなり忠実になぞっているが、音楽は現代音楽そのものである。世界初演は1978年だが、日本初演は今回。

名バリトン、フィッシャー・ディスカウの委嘱で出来た作品を、二期会と読売日本交響楽団、指揮下野竜也の熱のこもった演奏で聞くことができた。下野の指揮は、リズムも音響も明快である。

歌は小森輝彦のリア、小山由美のゴネリルが印象に残った。どちらも、表情の幅を求められる役柄である。また、エドガーの藤木大地もカウンターテナーであるため異彩を放っていた。

舞台は向かって左手から右手にかけて大きく傾斜している。簡素ではあるが、貧弱ではなく効果的な照明ともあいまって見応えのある舞台だった。

ライマンの音楽は、感情がむき出しになるというよりは、一度濾過されて抽象的な形で出て来るという感じである。そのため苦悩の場面は素直に聞けるのだが、エドマンドとゴネリル、リーがンとが不倫の関係にあることが暴かれる場面ではもう一歩生々しさあるいは音としての官能性が欲しくなることもあった。

しかし思えば、原作も救いのない話である。前半は、3人の娘にリア王が生前贈与で財産を分ける場面など、かなり民話的要素があるのだが、オペラでは特に民話風ということもなく、リア個人の不幸を、突き放して描いているように思った。

オペラ史には必ず出て来る有名な作品を日本で初にお目にかかれたのは貴重な経験であった。





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