《ナブッコ》
ヴェローナのアレーナでヴェルディの《ナブッコ》を観た(8月1日)。
デ・ボジオの演出、リナルド・オリヴィエーリの装置は、《ナブッコ》が原作通り古代のアッシリアで展開する物語であることを示してくれる。こういう以前なら当たり前のことを記すのは、今年、グレアム・ヴィックの演出で、現代のショッピング・センターが舞台の《ナブッコ》を観たからで、こういう読み替え演出は近年ますます増える一方だからだ。
それに対し、ヴェローナのアレーナでの上演は、ほとんどが舞台や時代設定が原作通りの「伝統的」な演出である。この巨大な舞台、巨大な観客席には、時代ものは、時代衣装を着て大がかりな装置をしっかりと据え付けるのがふさわしい。また、ここはヨーロッパ中あるいはアジアからも観光客が観に来るところなので、スペクタクルとしての要素がマーケティングの観点からも重要視されているものと思われる。
というと、観光客用のおざなりな演奏という誤解が生じるかもしれないが、そうではない。この会場の響きは独特だ。舞台の幅があまりに大きいので、合唱団は右手と左手に大きく別れることが多い。だから席によっては合唱のあるパートが直接的に聞こえ、各パートが渾然とは溶け合って聞こえない。それは聞き慣れた曲だと新鮮な発見をもたらすこともある。
また、指揮者や歌手のレベルも相当高い。今回は指揮者はコバチェフ、ナブッコはイヴァン・インヴェラルディ、イスマエルはロレンツォ・デカーノ(少し声が弱かった)、ザッカリアはヴィタリ・コワリョフ(迫力があり良かった)、アビガイーレはルクレツィア・ガルシア、フェネーナがロッサーナ・リナルディ。
《ナブッコ》は、バス、バリトンの人数、出番が多いが充実していた。アビガイーレのガルシアも最初はやや声が出にくそうだったが、中盤から調子をあげた。
それより何よりこの曲のリズムの特異さにあらためて驚いた。個人的には、僕は、《ナブッコ》によってイタリアオペラにロマン派が誕生したのだと思う。ロッシーニにも要素としてはわずかにあったし、ドニゼッティやベッリーニにもさらにロマン派的要素があった。しかし彼らはあまりにも過去の素養をも身につけていたため折衷的であったのだ。
イタリアの場合は文学でもそうだが、レオパルディはロマン派の時代なのだが、古典的な均衡美を有しているので無条件にロマン派といえる有力な文学者は少ないのだ。イタリアにおけるロマン派とは何であるのか。極端な人になればイタリアにはロマン派は存在しなかったのではないかと言う人さえいるほどだ。
僕は、イタリアにおける真正のロマン派はヴェルディの《ナブッコ》によって誕生したと考えるのである。これについては場所をあらためて論じることにしたい。
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