《ナブッコ》
ヴェルディのオペラ《ナブッコ》を観た(アレーナ・ディ・ヴェローナ)。数日前の《ナブッコ》と演出や指揮は同じなので同じものを観たとも言えるが、歌手がナブッコ、イスマエレ、ザッカリアの3人もが変わっているので異なる《ナブッコ》を観たとも言えるかもしれない。
歌手中心に考えればまったく異なる公演と言えよう。無論、全員が異なるのではなく、アビガイーレのガルシアやフェネーナのリナルディは同じである。しかし、タイトル・ロールを含め男性の主要人物が3人入れ替わっている。
アレーナは同一の出し物を何ヶ月にもわたって(《ナブッコ》の場合6月から9月まで)演じるので、各登場人物が時期によって4人から5人で入れ替わるのだ。今回はナブッコがヴラトーニャ、イスマエーレがベッルージ、ザッカリアがレイモンド・アチェートとなった。
ザッカリアのアチェートは存在感も声も発音も見事であった。ナブッコのヴラトーニャもなかなかの迫力。ヴェルディはやはりバリトンやバスがいいと舞台がしまるし、それによって女性の高音も引き立つ。
《ナブッコ》は有名な合唱曲ヴァ・ペンしエーロは例外的に音型がなめらかであって、他の盛り上がるところはたいていが狂おしいリズムや音型で、抑えきれない情熱がほとばしっている。これこそがイタリアのロマン派だと僕は考えている。しかし、それが題材としては、聖書の物語であるところがいかにもイタリア的である。ナブッコもアビガイーレも体制を越えようとする個人だ。アビガイーレは母が奴隷だったという出自を越えようとするし、ナブッコは王を越えて人民の神になろうとする。それがそれぞれに失敗におわるという物語である。
こういう反逆者とその失敗という点でもロマン派にふさわしい。
この日の演奏は数日前のものより音楽的に充実した演奏であった。ザッカリアやナブッコが充実した歌をきかせるとアビガイーレも力がはいるように見えた。
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