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2013年8月 6日 (火)

アレーナ100周年(2)

Arena1913_7

アレーナでの1813年の公演に関する数字をひろってみよう(新聞アレーナ、8月4日、5日ーーここでの話題とまぎらわしいが、ヴェローナの地元新聞はアレーナという名前なのである。厳密に言えば、定冠詞がついたラレーナである)
《アイーダ》の公演は1ヶ月つづき総費用は15万リラだったが、初日に5万リラを稼いでしまった。
当時の新聞によると初日の公演の観客は約3万人。ヴェローナの市民や近郊の人もいたが世界中のオペラファンもいた。
当初の予定では公演は5回の予定だったが、大成功だったので、8月21, 23, 24 日の公演を追加した。初日は8月10日の日曜日だった。
装置を担当したフォジョーリは8つの巨大な柱をつくったが、高さは7メートル、直径は1、2メートルもあった。
初日の賓客。作曲家のピエトロ・マスカーニ、ジャーコモ・プッチーニ、アッリーゴ・ボイト(ヴェルディのリブレットを書いたし、作曲家でもあった)、ルイジ・イッリカ(プッチーニのリブレッティスタ)、作曲家のイルデブランド・ピッツェッティなどがいた。
第三幕が終わると、観衆の興奮は絶頂に達した。指揮者セラフィンは、一歩進んで手で合図をすると会場は静まり返った。彼は叫んだ「ヴィーヴァ、ヴェルディ」(ヴェルディ、万歳)。会場の人々も次々にこの言葉を繰り返し、会場に響き渡った。
こうして今につづくアレーナでのオペラ公演ははじまったのである。

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