《ノルマ》
ベッリーニ作曲のオペラ《ノルマ》を観た(ザルツブルク、モーツァルト劇場)
モーツァルト劇場というのは祝祭小劇場ともモーツァルト・ハウスとも呼ばれ、祝祭大劇場の並びにある劇場である。当然ながら、祝祭大劇場と比べると1まわりも2まわりも小さい。
ノルマを演じるのはチェチーリア・バルトリで、この人はアジリタ(早く転がすようなパッセージ)の超絶的な技巧を持っているのだが、声量はあまり大きくないのでこの劇場を選んでいるのではないかと思う。バルトリは、出演のオファーが来ても、自分の喉に合わない劇場や演目では歌わず、めったに上演に接する機会のない名歌手なので、この日の切符も早くから完売であった。筆者はたまたま現地でインターネットで予約した切符を引き換える際に、もしかしてこれこれの切符はありますかと尋ねると1枚だけあると言われ、すぐに買った。一列目の一番端なので、バルトリの声量がどうのということはまったく問題にならず、顔の表情も演技も、声の微妙な変化もことこまかに窺えたのは幸運であった。
バルトリは大変知的に自分をコントロールして、着実にキャリアを積み上げてきた人だと思う。CDの出し方を見ても、名曲ヒットメドレー的なものではなく、むしろバロック期の埋もれた(無論、周知の名曲も混じってはいるが)名曲をとりあげたり、ヴィヴァルディやロッシーニの世にあまりしられていないオペラのアリアを取り上げたりして、自分ならではの活動、活躍の仕方をしてキャリアを築いてきた。彼女のような人がザルツブルク聖霊降臨祭の芸術監督になったのはふさわしいことであろうし、そこで選んだのがこの《ノルマ》の上演だった。夏の音楽祭はその再演というわけである。
彼女のキャリアからするとベッリーニは相当時代がくだっている、現代に近いものである。《ノルマ》をロマンティック・オペラと呼んでしまってよいかどうかは、議論の別れるところだろうし、イタリアオペラにおけるロマン派とは何かを論じる場でもないので、暫定的に、《ノルマ》はロッシーニに代表されるベルカント・オペラとロマンティック・オペラの架け橋になるような作品と言っておこう。
そういった作品が今回どう上演されたか。まず音楽的に。指揮者のジョヴァンニ・アントニーニは、イタリアのバロック合奏団ジャルディーノ・アルモニコの創設者である。そこでは彼は指揮もするし、フルートやリコーダーを演奏したりもする。彼はザルツブルグには昨年のヘンデルのオペラ《エジプトのジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)》でデビューしている。
オーケストラはラ・シンティッラ。このオケは、チューリッヒ歌劇場でアーノンクールの薫陶を受けてバロック奏法をマスターした人たちが中心となって1996年に立ち上げられた。
以上の紹介から推察できるように、ベッリーニの演奏スタイルは従来のものを大きく革新している。打楽器や金管楽器が炸裂する。その驚きは、50年ほど前にはバロック音楽が聞き心地のよい心を乱すことのない音楽と受けとめられていたのに対し、バロックこそ激情のほとばしる劇的音楽なのだとアーノンクールたちが大きくバロック観を変革した動きとパラレルに考えてよいだろう。これまで、ベッリーニの音楽は、優雅でエレガントな旋律、しかし、どこまでもエレガントなために刺激に乏しく時に退屈してしまうといった感じの演奏が多かったのだが、今回の演奏は、ある時はロッシーニの勢いを思わせ、ある時にはヴェルディの軍楽調を思わせる響きがひんぱんにあらわれ、カスタ・ディーヴァのようなあくまで清澄に美しいメロディーとのコントラストが活きていた。
つまり、これまでの優美さ一辺倒ではなく、激しい時にはあくまでも激しい、音響的に刺激的な音がするベッリーニとなっていた。
それと相まって効果をあげていたのが、時代設定の変更である。ノルマ(バルトリ)は古代ローマ時代にガリア(今のフランス)でローマ人に占領されているドルイッド教徒の巫女であるが、禁を犯してローマ人の将校ポッリオーネ(ジョン・オズボーン)と男女の仲となってしまう。二人の間には密かに子どもが二人いるのだが、ポッリオーネは若い巫女アダルジーザ(レベカ・オルヴェーラ)へと心変わりし、ノルマへの愛は冷めている。
ところがこれを、今回の舞台では、ナチス占領下のフランスで、ノルマや周りの人たちはレジスタンス(抵抗運動)の人々という描かれ方をしている。時代劇の時代設定を現代にもってくるのは普段なら食傷気味なのであるが、今回の場合、音楽の演奏スタイルが斬新に革新されているので、時代設定の現代化も抵抗がなかった。むしろ積極的・肯定的に評価したい。
演出はモシュ・ライザーとパトリス・コリエという2人組の演出家で、昨年の《エジプトのジュリオ・チェーザレ》でザルツブルクへのデビューを飾っており、バルトリとは8年以上仕事をしている間柄である。
歌手はアダルジーザが線が細く、やや弱かったが、ノルマの父オロヴェーゾのペルトゥージは見事なバスを披露した。ペルトゥージはもうペーザロ(ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル)には出てくれないのか、出て欲しいと思わずにはいられない。
こうしてバロックの側がらよりドラマティックに生まれ変わったベッリーニは会場の満場の拍手につつまれた。このプロダクションは演奏史に残る上演であると高く評価したい。
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