《なりゆき泥棒》
ロッシーニのオペラ《なりゆき泥棒》を観た(ペーザロ、ロッシーニ劇場)。
ジェン・ピエル・ポネルが1987年にROFのためにつくったプロダクションの再演である。当時、ポネルの助手だったソニア・フリゼルが演出にあたっている。
このオペラはファルサというジャンルに属している。ファルサは、上演時間が60分から90分ほどの1幕もののお笑いオペラである。
このオペラでは2人の紳士が旅の途中で、ある宿屋でカバンを取り違えてしまい、ドン・パルパルメニオーネ(デ・カンディア)は、相手のかばんから美しい女性の肖像がでてきたことに心を動かされ、相手になりすましてその女性に求婚しようというところから混乱が生じる。
女性のほうは女性のほうで、侯爵令嬢のベレニーチェ(ツァラゴヴァ)は親の決めた結婚に納得がいかず、相手の愛をたしかめるために侍女のエルネスティーナと衣装を交換する。
こうして2組の男女が正体を入れ替え、相手のアイデンティティーを取り違えたまま好意をもったり、失礼な発言をしたりするのだが、最後は2組の愛するカップルが誕生してめでたしめでたし。
ポネルの演出では、召使いのマルティーノ(ボルドーニャ)を狂言まわし役に使っている。ボルドーニャは、最初、ロッシーニとして舞台に登場するのだ。指揮者に楽譜をわたし、出演者に楽譜をわたし、数分後には自分が召使いになりすます。芝居が進行する途中でも、区切れめで、彼はストーリーの進行具合をチェックしているしぐさをする。
写真をみていただくとわかるが、衣装や装置は、いかにも時代劇である。ただし、家は壁や窓は大きな布地に描かれたもので、普通のセットではない。何枚もの布が上がったり、降りたりして、その組み合わせによって情景が変化するのである。全体の演出としても、虚構性(この話はロッシーニが作っているのだということ)を強調する仕組みだが、布のドアへの出入りでも、舞台が虚構であることをわざと露呈させる仕草が何度かある。
デ・カンディアやボルドーニャは芸達者なのだが、あまり笑いが起こらない。
会場で、ポネルの生前にポネルの演出でこのオペラを観たY氏の話では、演出は似て非なるものになっているとのことであった。ポネルの演出では、はるかに歌手がいきいきとしていたというのだ。
僕は、指揮の具合も関係しているかと思った。ファルサであるから、しんみりとした場面も、さらっと流したほうが良いと思うのだが、かなりテンポを落としてじっくり歌わせてしまう。そこで落ち着いてしまうと、笑いの世界のにぎわいへと移行するのがしんどくなる。そもそも、ファルサは状況設定も人工的で、ある種のゲーム、お決まりの要素の順列組み合わせのようなお芝居である。リアルな感情、リアルな心情を追求するよりは、リズムやこんがらがった糸がほぐれて、きれいに解決する図式的な解決、その開放感を味わうべきものであろう。
それにはテンポのノリの良さ、はじけるようなリズム、軽快なスイング感などが、観客の身体的リズムを共振させ、快感と笑いへといざなうのではないだろうか。
指揮者の Yi-Chen Lin は2年前に《ランスへの旅》で ROF にデビューしたばかりの若手だ。これからの成長を期待したい。
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