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2013年5月 6日 (月)

『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』

『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』写真マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督の『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』を観た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

原題は、Romanzo di una strage なので、ある惨劇の物語といったところか。惨劇とは、1969年12月に実際に起こった事件、ミラノのフォンターナ広場(ドゥオーモのすぐそば、裏手のところ)にある農業銀行の爆破事件である。
ジョルダーナ監督は、この事件について現在調べられるだけのことを調べ、この映画を作ったという。しかも彼はこの爆破事件のときにすぐそばに居たのだ。40年以上の時が経過し、若者たちが、この事件のことを知らない、あるいは全然違うものと誤解していることを知り、愕然として、この映画化に取り組んだという。
ジョルダーナ監督の他の映画がそうであるように、見応えのある映画である。この映画では、最初に犯人にでっちあげられるアナルキストのピネッリとカラブレージ刑事の人間関係(敵対する立場にはあるが、ある種の信頼関係が成り立っている)を描いたうえで、むしろカラブレージ刑事が、事件の実行犯が誰であるのか、また、捜査を攪乱するもの、あるいは捜査をはばむ壁はなんであるのか、に思い至るまでが、じっくりと描かれている。
個人の犯罪もののサスペンスとは構造が異なるので、サスペンスはあるのだが怖いというのではなく、国家と個人、当時の政治状況に思いをめぐらす作品だ。
つまり、1960年代後半に学生運動が始まり、イタリアではそれが労働者にもひろがる。そうした中で国家の中枢部や海外の諜報部のこの事件への関与が疑われるのだ。
カラブレージ刑部は、しだいにそのことに気づいて悩む。この事件を限りに警察をやめ転職しようとした矢先、彼は殺されてしまう。
この映画は、犯人探し、誰が犯人なのかという謎解き的要素と、そもそも直接的な実行犯以外に黒幕がいるのではないか、といったことに思いがいたる仕組みとなっている。最低限の事件に関する予備知識は必要だが、カラブレージとピネッリの関係を含め、巻き込まれた人間が、ふつうの人間としての悩みが描きこまれており、それが逆に国家や諜報部のもたらした惨劇のグロクテスさを浮かび上がらせる。
乱暴な比喩かもしれないが、浅間山荘事件が日本の歴史の一こまであったように、フォンターナ広場の惨劇はイタリアの歴史の一こまであった。現代イタリアを愛する人には必見の映画であると言わざるをえない。決して明るい映画ではないが、暗い一方でもない。警察や司法の側も一枚岩ではなく、良心の呵責を感じていた人も登場する。アルド・モーロ首相の姿も印象的に描かれている。
 

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