« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月30日 (火)

「来る日も来る日も」

『来る日も来る日も』写真パオロ・ヴィルズィ監督の「来る日も来る日も」を観た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

原題は Tutti i santi giorni で santi (直訳では聖なるの意味)は、強調でつかわれ、Tutti i giorni (毎日、毎日)を強めているのだが、この映画では、主人公のグイドが、アントニアに今日は何の聖人の日で、その聖人はどの時代の人で、こういう理由で殉教したと説明する。つまり文字通り、すべての聖人の日になっているのだ。
タイトルが二重の意味をもつ言葉遊びである場合は多い。小説や詩でもそうだが、タイトルが二重の意味を持つのは、作品に描かれた出来事、あるいは作品を紡ぎ出す言葉自体、映画であればイメージ、映像自体も、二重、三重の意味を持ちうることを示唆しているだろう。
グイドの愛は、アントニアという奔放な女性に惹かれる世俗の愛なのだが、どこか、グイドには聖人的なところもある。グイドが聖人に詳しいのは、卒論で聖人論を書いたからなのだが。しかし彼は大学教授になる可能性に心動かされる様子もなく、ホテルの夜勤をしている(彼がそういう選択をしたのは、アントニアのためなのだということが示唆される)。
グイドは、アントニアが不妊治療の失敗のはてにやけになって家を飛び出した翌日に
男と寝てきたと告げたときにも激怒する様子は見せない。それをそういうタイプの男もいるのだという解釈もできるが、グイドは世俗の世界にいる聖人として描かれていると解釈することも出来るのかもしれない。とすれば、奔放なアントニアはマグダラのマリア的存在だろうか。
直接的な宗教への言及は、グイドが毎日告げるこの日はなんの聖人の日ということと、グイドの甥っ子の幼児洗礼の場面と、結婚式の場面だけであるのだが、もっとも世俗的なカップルであるアントニアとグイドもどこか聖なるものの印象を受ける映画であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月29日 (月)

「日常のはざま」

『日常のはざま』写真レオナルド・ディ・コスタンツォ監督の「日常のはざま」を観た(イタリア映画祭・有楽町朝日ホール)。

ナポリの組織犯罪カモッラが背景にあるストーリーだ。一人の少女が廃墟に監禁されている。その見張りをかき氷屋の少年が命じられる。
2人の間のぎくしゃくとした関係がじょじょにとけて、あるつながりが形成されていく。
廃墟という場所で、一日のうちに出来事が完結するので、場所、時、筋が統一がとれており、演劇のいわゆる三一致の法則にのっとった映画ということになる。三一致を守ると、集中力は高まるが、ヴァラエティーには乏しくなる。そういう特徴を持った映画だと思った。
質疑応答では、この映画の存在意義を問う大胆な質問も出ていた。監督は来日していないので、編集担当者が答えていたが、ナポリの日常、そしてそこから隔離されたひと時を描いた映画なのだと答えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月28日 (日)

「家の主たち」

『家の主たち』写真エドアルド・ガッブリエッリーニ監督の「家の主たち」を観た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

山村に別荘を構えて隠棲する大歌手。その屋敷の修繕に雇われてきた兄弟。二人は地元の人々と微妙な軋轢を起こしていき、それは爆発して悲劇を招く。
よそ者を排除したいという気持ちとそれを抑えて受け入れようとする気持ちは、おそらくどの人にも、どの共同体にも両方があるのだろう。排除の気分がなぜ高まるのか、それがどうして暴力につながるのか考えさせられる映画である。
そういう趣旨のことは上映後の質疑応答の中で監督自身も述べていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「司令官とコウノトリ」

『司令官とコウノトリ』写真シルヴィオ・ソルディーニ監督の「司令官とコウノトリ」を観た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

愉快で、皮肉のきいた映画だ。ガリバルディ像が、現代のイタリアの町を見下ろし、精神的荒廃を嘆いている。詩人レオパルディ像も同様だ。
そこに妻に死なれて娘と息子を育てている男が登場する。息子はコウノトリに夢中で変なインテリ男と知り合う。一癖も二癖もある人物が大勢登場するが、ストーリーにうまく絡んでくる。
男の妻(の亡霊)は毎晩夜中にあらわれ、男と会話を交わす。海で死んだせいか、いつも水着姿なのがおかしい。ハッピーエンドです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「それは息子だった」

『それは息子だった』写真

ダニエーレ・チプリ監督の「それは息子だった」を観た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。
語り口は、コミカルだが、内容はそら恐ろしいものだった。郵便局である中年の男が、昔々という感じでこんなことがあったと語っている。
本当なのか、ほらなのか判らないという感じなのだが、だんだん彼をめぐる実話だということが判ってくる。
シチリアで、流れ弾にあたって娘が殺された一家。すすめられるままにマフィア被害者の届けをだして賠償金を受け取る手続きをするが、お金がなかなか実際にやってこない。
やっとその金が来ると、高級車を買って、それがあらたな悲劇の発端となる。この語り手の男は、ある犯罪の犯人の身代わりにさせられたのだ。
登場人物も、最後の場面で、この人がこんなところで全てを取り仕切るのかといった驚きがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『素晴らしき存在』

『素晴らしき存在』写真

ェルザン・オズペテク監督の『素晴らしき存在』を観た(イタリア映画祭、有楽町朝日ホール)。

個人的には二度目である。最初はアリタリアの飛行機の中で観たので字幕がなく(英語字幕だったかもしれない)細部に関して、今回なるほどと思った場面もあった。

オズペテク監督の独特の味わいのある映画だが、主人公はゲイ(ゲイ未満と本人は称している)で俳優志望の青年。ある館に引っ越して来ると、そこに幽霊が出る。そのあたりが非常にユーモラスかつ映画ならではの世界で楽しい。会場からも幽霊がらみで笑いが起こっていた。

しかし、この幽霊(グループであり、子どもも一人いるが、みな正装している)たちは、実は劇団の人々で、それが誰で、なぜここに棲みついているのか、という疑問が浮かぶが、それはおいおい解かれて行く。一言だけ述べておけば、彼らは第二次大戦中に活躍していた劇団であって、こつ然と姿を消したのである。

リヴィア・モロジーニという女性だけが生き延びたということが判明し、主人公は彼女をたずねる。リヴィアを演じている女優アンナ・プロクレメルはこの4月25日に亡くなった。5月30日に90歳を迎えるところであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『綱渡り』

『綱渡り』写真

イヴァーノ・デ・マッテオ監督の『綱渡り』を観た(イタリア映画祭・有楽町朝日ホール)。

怖い映画だった。殺人や血まみれのシーンは一つもない。そうではなく、公務員の主人公の生活が次第次第にすさんだものになっていく過程が怖いのである。

主人公は浮気がばれて、家を出て行くのだが、月収が1200ユーロであるため、やりくりが出来なくなる。闇のアルバイトに手を出したり、借金をしたり、質素なペンションの宿代も払えなくなる。

主人公が福祉事務所で一緒に並んでいる男から、「離婚は金持ちのすることで、貧乏人には不可能なんだ。妻と暮らしていれば、ソファーで寝ていても口をきかなくてもなんとかなる」という意味の忠告を受けるのが印象的だ。

主人公(マストランドレア)は落ちぶれて行って、自動車で寝るようになる。そこで一度、不倫相手の様子を見に行く。彼女は、私は一人で犬と暮らしているからいつでもどうぞ、と言っていたので、なぜこの場面で、彼女の家に転がりこまないのかは謎である。もう少しそこの説明があってもいいような気がした。

しかし上映後の監督との質疑応答では、この映画のテーマはコミュニケーションの不在、不可能性であるとのことであった。男は自分の苦しさを妻や愛人に告げることなく、もがいている。妻に対してはかなり未練がありそうな気配であったが、妻はまったく彼を再び受け入れる様子はなかった。それもコミュニケーションの不在なのか。

質疑応答で出ていたが、これは現代のネオレアリズモ的な映画で、ちょっとしたきっかけで家族というメカニズムがこわれてしまう、そこを描いている映画でもある。父と思春期の娘のやりとりも見応えがあった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

『赤鉛筆、青鉛筆』

『赤鉛筆、青鉛筆』写真

ジュゼッペ・ピッチョーニ監督の『赤鉛筆、青鉛筆』を観た(イタリア映画祭、有楽町・朝日ホール)。

現代のイタリアの高校生活をリアルに描いた作品である。

監督の挨拶および観客との質疑応答があった。監督は校長(マルゲリータ・ブイ)と親に捨てられた生徒との会話(いつも彼は、何を持って来た?と尋ねる)が変化していく様について、次第に人間関係が形成されていったこと、また、最後に校長がバッグにたずさえてきたものは、カメラには映らないのだが、希望である、と述べていた。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタリア映画祭2013

ゴールデンウィーク恒例のイタリア映画祭が始まった(有楽町・朝日ホール)。

今年は、4月27、28、29日と、5月3、4、5、6日および大阪である。大阪での上映は、5月11、12日の両日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »