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2013年1月12日 (土)

《皇帝ティトゥスの慈悲》

Tito_2799alニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブ・ビューイングでモーツァルト作曲《皇帝ティトゥスの慈悲》を観た(東銀座・東劇)。

ライブ・ビューイングは前にも記したように、上演を録画したものを映画館で上映している。

《皇帝ティトゥスの慈悲》(イタリア語読みでは皇帝ティートとなる、原題はLa clemanza di Tito である)は、モーツァルトが生きていた時に、オーストリア皇帝の代替わりがあってその新皇帝の戴冠をことほぐ目的で作られた。
リブレット(脚本)はメタスタージオが書いたものが元である。このメタスタージオの脚本には50もの作曲家が曲をつけている。最初はカルダーラという作曲家のためにリブレットを書いたのだが、カルダーラ(1734), レオ(1735)、ハッセ(1735)、グルック(1752)、ガルッピ(1760)という具合で、さらにヴェルディが故郷ブッセートで作曲をならったフェルディナンド・プロヴェージも《皇帝ティトゥスの慈悲》を作曲している。プロヴェージは1770年生まれのパルマ出身の作曲家だったが、華やかな成功はおさめられなかった。
モーツァルトの《皇帝ティトゥスの慈悲》の台本は、元になったものはメタスタージオだが、カテリーノ・マッツォラとモーツァルト自身により改作されている。
ストーリーは、ヴィテッリアとセストというカップルが中心に展開する。ヴィテッリアは、皇帝ティトゥスが自分を妃に選ばなかったのを恨みにおもって、セストにティトゥスを殺してくれという。しかしセストは、ティトゥスの友人であり、ティトゥスに目をかけられているので、困惑し、悩む。
しかし、セストはヴィテッリアに惚れているので、ついには折れてティトゥス殺害を承諾する。ティトゥスはセルヴィリア(セストの妹)と結婚しようとするが、セルヴィリアはアンニオを愛していると告白する。ティトゥスはセルヴィリアを断念する。
再び、ヴィテッリアがセストにティトゥス殺害を命じ、セストが悩みながらも承諾して出発した直後に、ティトゥスが妃としてヴィテッリアを選んだという報せが来る。
セストはあやまって別の人間を刺すが、犯行が露見し、逮捕される。セストの処刑が間近にせまったところで、ヴィテッリアが自分が犯行を依頼したことを告白する。ティトゥスは呆れながらも皆を赦す。全員がティトゥスの慈悲をほめたためて幕。
ストーリーから判るように、オペラ・ブッファの登場人物とは人物構成も異なるし、登場人物の抱く感情も異なる。筆者は、昔は《フィガロの結婚》や《ドン・ジョヴァンニ》、《コシ・ファン・トゥッテ》の方がずっと面白いし、自分が感情移入したり出来て味わえると思っていたが、今回は、この曲の魅力を大いに感じることが出来た。
おそらくは、時代の感性が変わりつつあって、バロック・オペラやロッシーニのオペラ・セリアが取り上げられることが増えたので、観る側(聴く側)の感性がよりオペラ・セリアに開かれたこともあるだろうし、またそれによって、ヨーロッパの芸術が表現しようとするものは喜怒哀楽には限らないということが理解されるようになってきたということもあると思う。
セストなどは友情と義務と愛の間で揺れ動く。皇帝ティトゥスは自分の友人でかつ恩義を感じているのに、愛する女性から強く求められて彼を殺害することを決意するわけだ。音楽はあくまでノーブルな形式を保ちつつ、激しく揺れ動く感情をも表現している。そこが感動的である。
ティトゥスはティトゥスで、友に裏切られた苦悩や、その友の死刑判決に署名すべきかどうかで苦悶する。それもきわめてノーブルに描かれる。こういった描き方を白々しいと受けとめるか、様式美にのっとった美ととるかで、作品への評価が分かれてくると思う。筆者の場合、今回やっと作品の素晴らしさを感じた次第である。
演奏はセストがエリーナ・ガランチャ。ズボン役であるが、彼女は演技も歌も様式観がこの曲にぴったりで実に良かった。皇帝ティトゥス(ティト)はジュゼッペ・フィリアノーティ。彼も演技、歌ともに様式観に問題はない。早いパッセージの転がし方と、高音の輝きがかすかにもの足りないが、ないものねだりであろう。
ヴィッテリアはバルバラ・フリットリ。のりのよい演技で見せた。アンニオのケイト・リンジー、セルヴィリアのルーシー・クロウ、プブリオのオレン・グラドゥスもそれぞれに熱演。指揮はハリー・ビケットで、メトのオケにピリオド楽器的な奏法をさせ、つまり、ビブラートをかけず、フレーズの終わりをぱっと切ることによって、ロマン派以降の音楽とはまったく違う響きを現代オーケストラから引き出しており、リズムもきびきびとして好感が持てた。
演出もポネルのオーソドックスなもの。心の奥で、深い満足を感じる作品・上演であった。

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