《カルメン》(アレーナ)
ヴェローナのアレーナ(古代闘技場)でオペラ《カルメン》を見た。
このオペラの作曲者はビゼー、原作の小説がメリメということは良く知られているが、リブレット(オペラの台本)は誰が書いたのだろう。リブレッティスタは二人いてルドヴィク・アレヴィとアンリ・メイヤックである。この二人はオッフェンバックの《うるわしのエレーヌ》というオペレッタのリブレットもものしている。僕自身の反省を含めてだが、リブレッティスタについての情報はまだまだ流通していない。
久しぶりのヴェローナであるが、古代闘技場はあらためて巨大である。スフェリステリオとは比較にならない。無論、オペラ上演のための劇場というのは大きいほうがよいというわけではなく、むしろ逆の要素が多くある。小さい劇場ならより自然に声の表情の変化がつけやすい。観客と歌手が物理的に近いから、身振りだけでなく、顔の細かい表情も見えるなどなど。
ヴェローナのアレーナは、むしろその巨大さを逆手にとってスペッターコロ(スペクタクル)として見せる。たとえば、今回の上演の演出は、ゼッフィレッリなのであるが、オーソドックスでこれがカルメン?というような奇をてらったものではまったくない。しかし、本物の馬が何度も出てくるし、彼らしく群衆の扱いが巧みかつ効果的である。
しかし、驚いたのはプラテア(舞台近く)の席は空席だらけだったことだ。半分も埋まっていなかったと思う。階段席はまあまあ入っていた。プラテアにいるのはドイツ人が多かったように見受けられた。ヴェローナの客は国際的なので、その時々の経済状況を反映するのであろう。空席が目立ったのは、もしかすると、ドン・ホセを歌うはずのアルバレスが健康上の理由で交代となっていたからなのかもしれないが、良くわからない。
上演は一幕ごとに休憩が入るので、夜9時すぎに開演で、終演は夜中の1時をまわっていた。
《カルメン》というのは不思議なオペラである。架空のスペインなのであるが、それが実際のスペインのロマ(ジプシー)なりフラメンコなり、闘牛とまったく無関係かというとそうでないところが厄介なのである。嘘の中にある真実とでもいうべきか。さらに以前にも書いたが、アリアや曲の構成が、有機的とは言いがたく、次から次へと美しい耳に残るメロディーが繰り広げられ、しかも巧みなオーケストレーションで盛り上がる。たしかに盛り上がるのだが、ドラマの展開との有機的関係は納得しがたいというか、理解しがたいところがあるのだ。無論、そんなことで、オペラ《カルメン》の世界的人気にいささかの傷が生じるものでもないのだが。
(追記)この日の指揮はジュリアン・カヴァチェフ。実にこなれた指揮で、観客を楽しませるつぼをこころえている。カルメンはアニータ・ラチュヴェリシュヴィリで圧倒的な声であった。声も舞台上の存在感も他を圧倒していた。ミケーラはエルモネーラ・ヤホ。カルメンとは対照的な存在として描かれるキャラクターだが、彼女は芯の強さを表現する歌唱を展開し、多くの拍手と共感を得ていた。ドン・ホセはアレハンドロ・ロイ。アルバレスの代役で、健闘したと言えよう。アレーナの舞台は左右も広いので、右端と左端では、ダンサーがフラメンコ調の踊りを踊っていた。
エスカミリョは、アレクサンダー・ヴィノグラドフで、独特の歌い回しで、スペイン的かどうかはともかく(そもそも前述の通り、ビゼーの《カルメン》がオーセンティックなスペインを描いているとは言いがたいわけだが)、しっかりキャラが立っていた。これは劇の展開には重要なことで、エスカミリョの存在感が薄弱では、カルメンが彼に走り、それに逆上したホセがカルメンを殺してしまうという物語の核心そのものが真に迫らなくなってしまう。
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