フェスティバル・プッチー二
プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》を観た(トッレ・デル・ラーゴ、フェスティバル・プッチーニ)。
トッレ・デル・ラーゴはプッチーニが別荘を構えたところで、マッサチュッコリ湖のほとりにその別荘はあり、同じく湖のほとりの野外劇場でプッチーニ作品が上演される(ただし今年は《椿姫》も上演された)。
少し、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)と比較してみよう。
僕にとっては意外なことに、フェスティバル・プッチーニは今年58回目ということで歴史はより古い。ペーザロは33年目である。
雰囲気としては、ペーザロの方がはるかにコアな音楽好きが集まっているし、上演演目も世界中でめったにみられない(数年に1度、世界中のどこかで上演される程度)というものも少なくない。今年の《バビロニアのチーロ》や去年の《アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ》がそうだ。
それに対し、フェスティバル・プッチーニが今年上演している演目は、《トスカ》、《マダマ・バタフライ》、《ラ・ボエーム》でいずれもポピュラーなものばかりである。
プッチーニでも《妖精ヴィッリ》とか《外套》(3部作の1つ)など相対的にあまり上演されないものもある。しかし、この音楽祭は、そういう埋もれた作品を掘り起こそうという趣旨のものではないように見える。
ペーザロの場合、ロッシーニ財団はロッシーニの学術的研究を推進しており、直接的にROF を運営しているのではない。しかしながら、ロッシーニ財団によって新たなエディションが完成されるとそれに基づいた演奏、上演がなされるわけだし、またロッシーニ財団に関わりの深い学者、音楽評論家が、ROF
の期間中に、上演作品を解説するレクチャーや、ロッシーニにまつわるレクチャーを催しており、そういう意味での連携はしっかり出来ているのだ。
また個人レベルで言えば、ROF 総裁のマリオッティと、ロッシーニ財団で学術研究の中心のゼッダは毎日劇場で会っている。二人とも足しげく上演に通い、舞台向かって左手の一番舞台にちかい桟敷席の一番下の席にマリオッティ総裁(夫妻)、二階にゼッダがいつもすわっている。しかもゼッダは、学術研究で新たなエディションをつくるだけでなく、ROF でも振るし、日本でも振るし、昨年僕はスコットランドでロッシーニのオペラセリアを振るのを観た(エディンバラ国際フェスティバル)。
また若手の養成という点でも、毎年《ランスの旅》を上演して若手の登竜門にしているわけで、ここで成功して、翌年から主要演目に登場するようになった歌手も少なくない。《ランスの旅》の練習にもゼッダはやってきて、装飾音符の1つ1つについてまで指示を出すとのこと。しかも好々爺というので
なく、ここは妥協できない、と激しくやりあうそうである。
トッレ・デル・ラーゴからほど近いルッカにプッチーニ研究所があるのだが、このフェスティバルを開催している Fondazione Festival Pucciniano との関係が、それほど緊密であるようには思えない。
フェスティバル・プッチーニには、ゼッダのように学術も演奏もという核になる人物は見当たらないし、またプッチーニというのはオペラは10作品しかなく、しかも演奏が途切れたことがないので、
埋もれた作品の復活上演といった学術的意義、熱がこもりにくいのかもしれない。
プッチーニの生誕の地はルッカ(トッレ・デル・ラーゴから10数キロだろうか)であり、そこにプッチーニ研究所もあるし、オペラ劇場もあるのだが、ペーザロのような連携はなさそうである。
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