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2012年8月 9日 (木)

《トゥーランドット》(アレーナ)

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アレーナ・ディ・ヴェローナで《トゥーランドット》を観た。

プッチーニの遺作である。今日の指揮は、イタリア若手指揮者のアンドレア・バッティストーニ。去年のマチェラータでの《リゴレット》、日本での《ナブッコ》は鮮烈な印象を残したが、ヴェルディではなくて、プッチーニはどうなのだろうという期待をこめた想いでのぞんだ。

舞台装置は定評あるゼッフィレッリのもので非常に豪華絢爛たるもの。衣装は和田エミ。衣装も素晴らしいのだが、なぜかカラフの衣装だけが歌手のせいなのか、あまり格好よく見えなかったのが残念だった。

歌手は、トゥーランドットがジョヴァンナ・カゾッラ。ティムール(カラフの父)がマルコ・ヴィンコ。
カラフはカルロ・ヴェントレ。リューはアマリッリ・ニッツァ。カーテンコールではリューが一番拍手が多かったかもしれない。《トゥーランドット》はタイトルロールはトゥーランドットなのに、メロディーの点から言えば、リューの方が心に沁みるメロディーがある。トゥーランドット姫はストーリー上、最終場面までは、愛を知らぬ氷の心を持った女性であるから、ものすごい高音で、他人を思いやる心などないという人物であるから当然メロディーも冷たい心を反映したものとなり、現代的ではあるのだが、観客に愛される歌とはなりにくい。

カラフはアリア「誰も寝てはならぬ」ではビス(同じ曲を二度歌うこと)をした。もちろん、指揮者もそのつもりなのである。

バッティストーニの指揮はまことに見事なものであった。プッチーニはそもそもオケが雄弁であるが、《トゥーランドット》はオリエンタルな響きがあること、そしてそれに乗じて現代的な響き、オーケストレーションが随所にあることが明らかになる演奏だった。不規則な転調や、不協和音の使用なども同様である。

指揮者のおかげで、ふだんは流して演奏されあまり意識が集中しない箇所でも、バッティストーニはいかにプッチーニが創意工夫をこらしているかを次々と明らかにし、まったく退屈しない。逆に最終場面で、弟子が書いた部分のオーケストレーションの弱さが露わになった。それまでのプッチーニのマジックによるオケの輝きが精彩を欠くのだ。マエストロと弟子は似て非なるものなのだ。絵画であれば、一目瞭然だが、音楽でもこういう高精度の演奏をきくと一聴瞭然であった。コントラバス一つとっても、プッチーニはいろんな場面で奏法を変えて、登場させ、見事な心理的効果をあげていることがわかった。

この指揮者の演奏は、決して分析的な方面で優れているのみではなく、緊張すべきところと、リラックスしてゆったりテンポの交換が適切で生理的に気持ちがいい。また、この曲では、音で大伽藍を描いて行くところが何カ所もあり、オーケストラ、合唱がフルに鳴り、歌うのだが、そういう場面での大きな塊の捉え方がまたくっきりとして、単に大音量というのでなく、リズムやリタルダンドが構築的かつ音楽的だ。

彼はまた、すべての歌詞を覚えており、指揮しながら歌手と一緒に歌っているのだった。若くて勢いがあるだけではない、実力のともなったマエストロであり、会場の拍手もひときわ大きかった。

(追記)プッチーニの音楽の現代性を先にふれたが、これはリブレット(台本)の現代性とも付合している。たとえば、有名な「誰も寝てはならぬ」の歌詞は、《ラ・ボエーム》のロドルフォのアリア「冷たい手」と較べると、はるかに定型詩の基本からはずれているのだ。「誰も寝てはならぬ」が韻をまったくふんでいないわけではないが、その回数はとぼしく、またここぞという盛り上がりのところで効果的に用いているとはいいがたいのである。1行の音韻数も不規則である。

つまり、歌詞も現代詩のフリーヴァース的な傾向を持っている。つまり、韻を規則的に踏んだり、1行の音韻数が整っているということを捨てて、定型詩の痕跡は残しているものの、現代的な要素を持っているのだ。それと前述したオーケストレーションの現代性はみごとに照応しているのだ。そして、プッチーニが偉大なのは、それがことさらの前衛性をひけらかすのでなく、甘いメロディーにのって、観客をうっとりさせてしまうところである。このリブレットの性格は、作品ごとに異なるが、初期の傑作がイッリカ、ジャコーザのコンビであったのに対し、トゥーランドットのリブレッティスタがジュゼッペ・アダーミであることも寄与しているだろう。

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