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2012年8月28日 (火)

ルッカのプッチーニの生家

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プッチーニの生家を訪れた(ルッカ)。

場所はルッカのサン・ミケーレ教会(大きな顔の天使が正面のてっぺんにいる)からほどない所。

細い道路と道路が交差する四つ角の建物の2階が生家で博物館になっている。この家でジャーコモ・プッチーニが生まれたのは1858年12月22日のことであった。

この生家は1979年に博物館になったのであるが、長らく閉鎖されており、2011年9月13日に再び開館したばかりだ。

《トゥーランドット》が作曲されたシュタインウェイのピアノが飾られている部屋には、現在は1926年に《トゥーランドット》がニューヨークで初演された際に用いられた第二幕のゴージャスなトゥーランドット姫の衣装が飾られている。

その他、彼の自筆譜、自筆の手紙、楽譜出版者のジュリオ・リコルディからの手紙などが展示されている。トスカのリブレットにはプッチーニによる書き込みがある。

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トッレ・デル・ラーゴのプッチーニの家

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トッレ・デル・ラーゴのプッチーニの家を訪れた。

ここはプッチーニが一家をなしてから購入した家で別荘であり住まいであった。マッサチュッコリ胡のほとりにあって、彼は狩を好んでしていた。今は博物館となっている家にも狩のための鉄砲、靴などが展示されている。

彼は夜遅くあたりが静まってから作曲したようであるが、その部屋も作曲にもちいられたピアノとともに
保存されている。

ここにはプッチーニおよび妻、子供の墓所もある。家のなかの一部屋が墓所となっているのである。

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2012年8月26日 (日)

雨の《トスカ》

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フェスティバル・プッチーニの最終日、《トスカ》を観た(トッレ・デル・ラーゴ)。

雨のため、2幕までで上演は中止となった。野外劇場の宿命であろうか。

1幕はなんということなく終わった。テノールの Warren Mok の声がレチタティーヴォその他で他の歌手に聞きおとりするとは思ったが。

第2幕で、スカルピアとトスカが二人きりになったところで、ぱらぱらと雨。中断となり、15分−20分が経過。再開したが、稲光がまるで舞台照明のように、チカチカと舞台を照らす。

2幕が終わったところで、舞台転換をせず、休憩も縮めて第3幕をやるというアナウンスがあったのだが、無情の雨で終了。

トスカはオクサナ・ダイカ。しっかりした発声で演技もうまい。スカルピアはレオナルド・ロペス・リナーレス。

堂守はドメニコ・コライアンノで好演。昨日の《ラ・ボエーム》でショナールを歌っていた人で、声の表情が達者な人である。堂守がこれくらいうまいと芝居が引き立つ。

今日は残念ながらテノールが弱かったが、昨日今日と、あらためてテノール役の重要性を認識した。テノールが調子がいいか、ある程度以上うまくないと、気分が高揚しないのである。

(追記)
今日(27日)のNazione その他の地元紙を読んで驚いた。雨のため第二幕終了のところで舞台終了となった《トスカ》は、客席の下にあるフォアイエ(ロビー)に雨宿りをしている観客たちのために、第三幕がピアノ伴奏で演奏されたと報道されている。
筆者は、雨が降ってきて急いでシャトルバス(ヴィアレッジョやルッカへのものがある)に乗ってしまい、
その第三幕は観なかったし、そういう形で上演されていることも今日まで知らなかった。


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2012年8月25日 (土)

《ラ・ボエーム》フェスティバル・プッチー二

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プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》を観た(トッレ・デル・ラーゴ、フェスティバル・プッチーニ)

トッレ・デル・ラーゴはとても小さな町で、プッチーニの別荘および夏の音楽祭を除いて特別な町ではないためホテルの数は少なく、ヴィアレッジョやルッカから来る観客も多い。

ヴィアレッジョからはシャトルバスが出ている(往復10ユーロ)。8時10−20分にヴィアレッジョの各停留所をまわり、トッレ・デル・ラーゴに8時半すぎに着く。開演は9時15分から。
帰りは12時半なり1時(夜中の)にトッレ・デル・ラーゴを出発、終点はヴィアレッジョの隣のフォルテ・デイ・マルミ(有名な海水浴場)。

無論、ヴィアレッジョも圧倒的大多数の観光客は海水浴に来ているのだ。

トッレ・デル・ラーゴには自家用車で来ている人も多い。

チケットは日本からネットで予約できる。野外劇場のそばに biglietteria (チケットオフィス)があって、そこでインターネットで受け取った支払い済みのメールを見せチケットを受け取る。ヴェローナのアレーナなどの場合はさらにすすんでいて、うけとったメールが E-チケットになっていて、それを見せれば、携帯電話で読み取るぐちゃぐちゃマークをぴっと読み取り(われながら稚拙な表現ですみません)入場できる仕組み。入場券と引き換えることも可能ではあるが、その必要はない。フェスティバル・プッチーニの場合は、入場券との引き換えが必要です。お間違えなく。

この上演はなんと言ったらよいのか困惑する上演だった。そもそもロドルフォが予定されていたキャストから入れ替わりマッシモ・ジョルダーノになった。

彼は、小さな手の最後の la sperannza (希望)の高音は出たのだが,低い部分でしばしば声がしゃがれ声になってしまうのだ。1幕最後のミミと二人でアモール(愛)という部分では、高音にいかないし、しかも小声で彼の声はほとんど聞こえずミミ一人の声だったのだが、マリア・アグレスタ演じるミミは
声がよろよろ震えてしまったのである。

ラ・ボエームは、パリの屋根裏部屋に芸術家志望(あるいは売れない芸術家)が4人つどっている話で、その中の詩人ロドルフォがお針子のミミと出会うわけである。

筆者は決して歌手に対してビジュアル重視ではなく、むしろ声重視なのであるが、この日の4人は中年おじさんに見えてちょっと悲しかった。歌手が恰幅がいいのはかまわないし、その方が声にとってよいと思っている。髪型や服装で若々しさが欲しかった。ミミの服装にしてもそう、お針子だからお金がかかってない服装なのは納得するけれど、貧しいなりに美しくみせたいというせつない気持ちがあるはず。

第二幕になると、オレンの指揮が早くきびきびとしてよかった。かなりの人数の群衆役が出てきて圧倒される。ムゼッタのアリダ・ベルティ、マルチェッロのがぶりエーレ・ヴィヴィアーニもしっかり声が出ていた。

ロドルフォの歌手はおそらくのどの調子が悪かったのだろうと思う。また、ミミは第三幕の前に、暑さと湿気のために体調不良で演奏再開を待ってほしいというアナウンスがあったほどだから、絶好調とは言えまい。

観ている筆者も移動日で疲れていたが、なんだかお疲れさまの《ラ・ボエーム》だったのでありました。

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フェスティバル・プッチー二

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プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》を観た(トッレ・デル・ラーゴ、フェスティバル・プッチーニ)。

トッレ・デル・ラーゴはプッチーニが別荘を構えたところで、マッサチュッコリ湖のほとりにその別荘はあり、同じく湖のほとりの野外劇場でプッチーニ作品が上演される(ただし今年は《椿姫》も上演された)。


少し、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)と比較してみよう。

僕にとっては意外なことに、フェスティバル・プッチーニは今年58回目ということで歴史はより古い。ペーザロは33年目である。

雰囲気としては、ペーザロの方がはるかにコアな音楽好きが集まっているし、上演演目も世界中でめったにみられない(数年に1度、世界中のどこかで上演される程度)というものも少なくない。今年の《バビロニアのチーロ》や去年の《アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ》がそうだ。

それに対し、フェスティバル・プッチーニが今年上演している演目は、《トスカ》、《マダマ・バタフライ》、《ラ・ボエーム》でいずれもポピュラーなものばかりである。

プッチーニでも《妖精ヴィッリ》とか《外套》(3部作の1つ)など相対的にあまり上演されないものもある。しかし、この音楽祭は、そういう埋もれた作品を掘り起こそうという趣旨のものではないように見える。

ペーザロの場合、ロッシーニ財団はロッシーニの学術的研究を推進しており、直接的にROF を運営しているのではない。しかしながら、ロッシーニ財団によって新たなエディションが完成されるとそれに基づいた演奏、上演がなされるわけだし、またロッシーニ財団に関わりの深い学者、音楽評論家が、ROF
の期間中に、上演作品を解説するレクチャーや、ロッシーニにまつわるレクチャーを催しており、そういう意味での連携はしっかり出来ているのだ。

また個人レベルで言えば、ROF 総裁のマリオッティと、ロッシーニ財団で学術研究の中心のゼッダは毎日劇場で会っている。二人とも足しげく上演に通い、舞台向かって左手の一番舞台にちかい桟敷席の一番下の席にマリオッティ総裁(夫妻)、二階にゼッダがいつもすわっている。しかもゼッダは、学術研究で新たなエディションをつくるだけでなく、ROF でも振るし、日本でも振るし、昨年僕はスコットランドでロッシーニのオペラセリアを振るのを観た(エディンバラ国際フェスティバル)。

また若手の養成という点でも、毎年《ランスの旅》を上演して若手の登竜門にしているわけで、ここで成功して、翌年から主要演目に登場するようになった歌手も少なくない。《ランスの旅》の練習にもゼッダはやってきて、装飾音符の1つ1つについてまで指示を出すとのこと。しかも好々爺というので
なく、ここは妥協できない、と激しくやりあうそうである。

トッレ・デル・ラーゴからほど近いルッカにプッチーニ研究所があるのだが、このフェスティバルを開催している Fondazione Festival Pucciniano との関係が、それほど緊密であるようには思えない。

フェスティバル・プッチーニには、ゼッダのように学術も演奏もという核になる人物は見当たらないし、またプッチーニというのはオペラは10作品しかなく、しかも演奏が途切れたことがないので、
埋もれた作品の復活上演といった学術的意義、熱がこもりにくいのかもしれない。

プッチーニの生誕の地はルッカ(トッレ・デル・ラーゴから10数キロだろうか)であり、そこにプッチーニ研究所もあるし、オペラ劇場もあるのだが、ペーザロのような連携はなさそうである。


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ロッシーニ・オペラ・フェスティバル

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ロッシーニ・オペラ・フェスティバルについて、同フェステバル総裁のジャンフランコ・マリオッティがインタビューに答えている(8月24日、il Resto del Carlino).

New York Times は3つの作品(ロッシーニのオペラ作品)だけでもペーザロに行く価値があると断言している。

今年は総裁も予想できなかった切符の売れ行きで、1万6000枚がはけた。昨年より2000枚多いという。興行収入は100万ユーロを越えた。

たぶんいい方向に何かが変わっているのだと思うが、分析はまだできていない。

観客の熱心さも1985年の『ランスへの旅』以来のものだ。《マティルデ》の5重唱のあとでの観客の熱狂。ソプラノやテノールのアリアの後ではないのだからすごいことだ。

観客の67%が外国人というのは、フェスティバルの信頼性が国際的に認められていることをあらわしている。ニューヨークタイムズの記事は誇りに思うが、同時に、ROF (ロッシーニ・オペラ・フェスティバル)は世界中の150人のジャーナリストによって報道されていることも言っておきたい。

来年はグリエルモ・テル(ウィリアム・テル)が演目となり、フローレスがこの役のデビューとなる。演出は去年《エジプトのモーゼ》を演出したグレアム・ヴィック。

スポンサーに関しては来年は Scavolini が手を引くことになりそうだ。政府から100万ユーロの補助を得て一息ついてはいるが、それでも過去2年に減額された半分にすぎない。


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《タンクレーディ》(ROF)

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ロッシーニのオペラ《タンクレーディ》を観た(ペーザロ、ロッシーニ劇場)。

ただし、これは他の演目と異なり1日だけの上演で、コンサート形式でのもの。指揮はゼッダ。

ゼッダの指揮は独特のもので、若手のものとはまったく異なるタイプ。書でいえば、最近の指揮者は、楷書タイプが多いのだが、ゼッダは行書、時に草書で、自在に書いて行く。

かつ、雄渾な筆さばき。序曲からして違う。テンポは早め。リズムの刻みはくっきりと太めにつけていき、身体を揺らしてテンポを早めていく。その際に、スコアの縦のラインが崩れることに神経質にならないのが
好ましい。

CDで聞く、1950年代、60年代の指揮とオーケストラでは日常的な光景であったのに、カラヤンやそれに影響を受けた指揮者たちによって、音楽のリズムあるいは呼吸するようなテンポの揺れというものは随分窮屈なものになり、時には窒息寸前だった。

いまだに、そこにしがみついている(こだわっている)指揮者も少なくないが、ゼッダの指揮は闊達である。

歌手で特筆すべきはタイトル・ロールのバルチェッローナ(メゾ・ソプラノ)とアントニーノ・シラグーザ
(テノール)であろう。バルチェッローナは昨年も《アデライーデ》と比較するとばりばりとした声量を聞かせることはなかったが、たしかな歌をきかせていた。シラグーザは、昨年、日本で《清教徒》を歌ったときよりもずっと声に張りがあり、自信に満ちた歌いっぷりだった。バルチェローナはやせてしまったのではないかとも見えた。

《タンクレーディ》にはハッピーエンドの初演版(ヴェネツィア版)と、《タンクレーディ》が死んでしまうフェラーラ版があるのだが、今回はヴェネツィア版が上演された。


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2012年8月23日 (木)

指揮者ダニエーレ・ルスティオーニ

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指揮者ダニエーレ・ルスティオーニの振るオペラ《ブルスキーノ氏》を再び観た(ペーザロ・ロッシーニ劇場)。

《ブルスキーノ氏》は一幕もののファルサ(笑劇)である。後見人ガウデンツィオがソフィアという若い娘をブルスキーノ氏の息子に嫁がせたいと思っているが、ソフィアにはフロルヴィッレという好きな人がいて、二人は一計を案じて一緒になるという物語。

それにフロルヴィッレが、ブルスキーノ氏の息子になりすます、という要素が絡んでいる。

テーマパークで上演している劇という劇中劇の仕掛けは、賛否両論だった。

しかしここではルスティオーニの指揮について記しておきたい.彼の指揮は文句なく素晴らしい。こんなに生き生きとしたロッシーニを体験したのは、僕は、クラウディオ・アッバードの来日公演の《ランスへの旅》以来である。ついで、藤原を振ったアッレマンディの指揮。

ルスティオーニは、彼の指揮する姿だけで、ロッシーニの音楽が感じられるリズミカルな身体の動きを見せる。弾みながら左右にゆれ、フレーズを止める時はパッととまる。不思議なもので、ピチカート一つでも、そのコンマ何秒かで、曲がだれたり、しまったり、弾んできたりするわけで、彼の指揮で納得がいかない箇所は一つもないのだ。

アッチェレランド(だんだん速度をあげる)もついに若手でこんなにうまくやる人が出てきたかと感動した。CDでは、1950年代、60年代のものは縦方向にはそろわずとも、アッチェレランド、クレッシェンドは良かったのである。ルスティオーニの指揮は、縦もそろえながら、ギアチェンジもうまい。

アリアとカバレッタ、ストレッタのテンポの切り替え、二重唱で互いにせりながらリズムをつめて盛り上げていくところなどまことにエクサイティングである。重唱になると、合わせることで精一杯で、フレージングの切れが悪くなったり、よっこいしょ、というリズムになる指揮者もいるが、彼はそんな鈍重さとはまったく無縁。

斜め横から見ていたが、若手が歌うときは口を大きくあけてプロンプターかと思うほど、歌詞がわかるようにそして歌いだしのタイミングを判りやすく振っている。強引なのではなく、協力的な関係のもとに、充実した音楽、スピード感あふれる音楽を展開している。彼は29歳である。

ROF がくれるパンフレットによると、すでにヴェネツィアのフェニーチェ、ボローニャ市立歌劇場、スカラ座、イギリスのWelsh National Opera, ロイヤル・オペラ・ハウスで振っている。

ルスティオーニ、バッティストーニと20代の天才的指揮者を続けて聞けたのは、嬉しい。30代の俊英マリオッティもいる。ユーロ危機、国債の問題等お金に関しては、オペラには逆風が吹き捲くっている。しかし彼らがいれば、イタリア・オペラは生き延びるとの思いを強くした。

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2012年8月21日 (火)

ジェシカ・プラット・リサイタル

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ソプラノ歌手ジェシカ・プラットのリサイタルを聴いた(ペーザロ・オーディトリウム・ペドロッティ)

ベルカントの夕べである。ロッシーニ、ベッリーニらの曲を聴いた。彼女は、きれいな声で、声量もあるし、堂々たる体躯の持ち主である。オーストラリア出身。

強いて無いものねだりをすると、ベルカントの様式感が時々くずれるというか、ベルカントとして決まりきれない部分があることだ。時にロマン派風に、あまりに叙情的な表現に陥ることもあるし、テンポやリズムがほんのコンマ何秒かずれている(遅い)と思うことがある。

そのコンマ数秒で様式感が崩れてしまうのだ。

彼女は、非常に幅広いレパートリーを持っているらしく、アンコールではドイツ語や英語の歌が飛び出していた。そして英語の歌(ミュージカル?)がノリが良かったのだが、ベルカントの夕べにこういう曲をアンコールに持って来るのはいかがなものかとも思った。アンコールの最後は、《椿姫》だった。

《椿姫》には、ベルカントの超絶技巧的なものの残滓があるからまだ良いとしても、ドイツ語、英語曲は、彼女の声の妙技を披露するものとしてはともかく、ベルカントの夕べにふさわしかったかは疑問である。

筆者がいいたいのは、折角の力量が活かしきれておらず勿体ないなあということだ。《チーロ・イン・バビロニア》でも絶世の美女の役どころで、素晴らしいアリアもあるのに、チーロ役のポドレスと比較すると大分拍手が少ない。ポドレスがあまりに素晴らしいということもあるのだが、プラットが様式的にもっと決めてくれれば、評価はさらにずっと高まるだろうと思うのだ。

ロッシーニ・オペラ・フェスティバルを通じて(このリサイタルもその一貫である)、オペラ上演は、それぞれ演出はまったく異なっているのだが、一つ共通点がある。それはべたなリアリズムの追求ではなくて、様式感をもった動きを見せることだ。

ベルカント、ロッシーニの音楽は様式感の高い音楽なので、それにふさわしい演出となれば、日本で言えば能や歌舞伎がそうであるように、様式感の高い動きが求められる。歌や歌における感情表出もそういった型の美しさにのっとった表現が求められるのだ、

(訂正)
Bowiesさんよりアンコール曲についてのご教示を受けました。筆者の勘違いが判明しましたので訂正します。アンコール曲はグノーの《ロメオとジュリエット》で当然フランス語です。(うーん、フランス語には聞こえなかったー曲を知らなかったのが間違いの根本原因です、はい)。
英語の歌は、バーンスタインの《キャンディード》のクネゴンデのアリア Glitter and Be Gay だそうです。(どこかで聞いたことはある、という感じで、とても曲名は判りませんでした)
Bowies さん、ありがとうございました。

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2012年8月15日 (水)

《ランスへの旅》(ROF 2012)

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《ランスへの旅》を観た(ペーザロ・ロッシーニ劇場)

イタリア人はランスをレムス(レイムス)と発音するようだが、ヨーロッパはお互いに地名はなまっているので、ランスはフランスなのでフランス語読みに近いランスにしておきます。

例年通り、ペーザロのマスタークラスに参加した若手を中心に出演歌手が決まる。演出も例年通りで、海辺のホテルらしきところ、浜辺にデッキチェアーがずらっと一列に並んでいる。出演者も一幕はみな似たりよったりのカジュアルな格好で出て来る。2幕になると正装をする。

今年は、日本人歌手は、加藤史幸(Fumiyuki Kato)さんが、アントニオとゼフィリーノの1人2役で出演している。加藤さんは、ペーザロのロッシーニ音楽院で研鑽をつんでいるバリトン歌手である。長年、ペーザロにお住まいの経験が活かされ、歌やレチタティーヴォがロッシーニの音楽が求めるスタイルにのっとっているのはもちろん、ジェスチャーや顔の表情も、他のヨーロッパ、ロシア系の出演歌手たちに入り交じって違和感がなかった。

指揮はピエロ・ロンバルディ。父イタリア人、母スペイン人で、音楽教育はスペインで受けている(これらの情報は、ROF の配布する出演者の経歴を紹介するパンフレット Gli Artisti 2012 に基づいている)。指揮は、リズムがやや重たい。ロッシーニのオーケストレーションはルスティオーニが言うように絶妙の調合、バランスからなっており、その均衡がくずれるとすぐに聞き手にわかってしまうのだ。

オーケストレーションが複雑で音が同時にたくさん鳴っているものは、逆に言えばごまかしがきく。食べ物でも、すしのようにシンプルなものは、一見単純そうに見えて(つまり要素としては酢飯、わさび、ネタしかないわけだ)、しかしそのバランスが寸分でも狂うと美味しいとは言えないし、日本人であれば、あるいは寿司を食べ慣れた人であれば、そのバランスを一瞬にして味わっているわけである。

アメリカなどの sushi は寿司と別ものと考えればともかく、酢飯でなかったりするので、寿司としては大きくバランスを欠いたものとなる。ロッシーニやモーツァルトのたとえばピアノ曲が演奏家にとって恐いのは、あまりにも楽曲のバランスの完成度が高いのでその均衡がとれていない時に聞き手の美意識を強く刺激するからだろう。

ロッシーニの場合には、いわゆるロッシーニクレッシェンドがあって、一方で力強い推進力があると同時に軽やかで、決して鈍重にならない。その点、リズムやアッチェレランド、テンポそしてアンサンブル、どれをとっても軽々と演奏しているように聴かせねばならないが、その実、それはとても困難なことなのであり、スタイルを習得、体得してしまわねばならないのだ。たぶん、身体的な反応が、少なくとも一時的にはイタリア人化してしまわなければならないだろう、という気さえする。


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2012年8月14日 (火)

ブルーノ・カニーノ、ピアノ・リサイタル

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ブルーノ・カニーノのピアノ・リサイタルを聴いた(ペーザロ、ロッカ・コスタンツァ)。

会場は町の中心部からほんの少し離れた城塞の跡。まわりは水は張ってないが、堀が巡らされており、高い壁に囲まれた中庭で演奏会は催される。

プログラムはロッシーニのピアノ曲とドビュッシーのピアノ曲が交互に弾かれるという珍しいもの。

ロッシーニの曲には、 Specimen d l’ancien regime とか Prelude petulant rococo とか Un regret .Un espoir というタイトルがついている。ドビュッシーも同様。

ロッシーニのピアノ曲はとてもユニークというか変わったもので、技巧的にはショパンのパロディのような音が聞こえてくるが、ショパンとは異なり、まったく情熱や感情を喚起しない。なにかパーティでの社交辞令が延々と続いているような感じで、こちらを感情的に巻き込んでいかない音楽なのだ。パリ時代の老いたロッシーニは、ロマン派拒絶宣言のような音楽を書いておきたかったのかもしれない。アイロニーのきいたもので、サティの先取りのような音楽でもある。

これと比較すると、ドビュッシーが、新たな音響、音階を駆使しながら、いかにロマンティックな感情を喚起する音楽を書いていたかが明解になる。

カニーノですら、ロッシーニは楽譜を見ながら弾き、ドビュッシーは暗譜であった。われわれになじみがないのは当然かもしれない。夕方7時半から始まったリサイタルは始まったころには空はまったく明るく、終演の9時近くになってようやく、空が暗くなった。空を見上げるたびに、眼の前の雲が移ろって、違う形の雲があらわれている。こういうコンサートも音楽そのものに没入するのではなく、感性がアートへ、そして自然へ、宇宙へと開かれていくようで心地よいものだった。


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ソニア・プリーナ・コンサート

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ソニア・プリーナのコンサートを聴いた(ペーザロ、アウディトリウム・ペドロッティ)。

伴奏はアンサンブル・クラウディアーナというトリオで、ルーカ・ピアンカのリュート、ステーファノ・デミケーリのチェンバロ、ヴィットリオ・ギエルミのヴィオラ・ダ・ガンバ。

プリーナはアルト歌手で、バロック・オペラのレパートリーを得意としている。この日も、彼女はアントニオ・ヴィヴァルディを歌い、合間に、アントワーヌ・フォルクレの作品が演奏された。

プリーナは、歌う時に、上半身を大きくくねらせて歌い、バロック音楽の性格を身体でも表現していた。トリルの早いパッセージは口というか息というかがよく回るものだと感心。また、ヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏も時に、嵐のような激しく早いパッセージがある。バロックは絵画であれ、音楽であれ、明暗のコントラストが強いのである。それは一言でくくってしまえば、宗教改革という激動の時代を反映しているからだろう。

フォルクレ(1671−1745)の名はなじみが薄かったが、フランス・バロックの中心人物で、マラン・マレと並び称せられる存在のようだ。


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2012年8月13日 (月)

若手指揮者ダニエーレ・ルスティオーニ

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指揮者ダニエーレ・ルスティオーニについて紹介したい。

この項の情報は、2012年8月12日のメッサジェーロ紙のインタビュー記事に基づいており、それに筆者がペーザロで《ブルスキーノ氏》の上演を観たうえでの感想を交えたものです。

今、イタリアでは若手指揮者の三羽がらすというとミケーレ・マリオッティ、アンドレア・バッティストーニとダニエーレ・ルスティオーニを指すのだそうだ。

たしかに、大きく見ればアッバードの後、ムーティがスカラに君臨している間、誰が出てくるのだろう、誰か出てきてくれという期待は、シャイーやシノーポリによって一瞬期待を持たされたのだが、シノーポリは早々とあの世に行ってしまったし、シャイーもオランダでむしろ管弦楽の世界に深く入りこんでしまったように見える。

マリオッティ33歳、ルスティオーニ29歳、バッティストーニ24歳で、弱冠の差はあるがみな若い。若い優秀なオペラ指揮者がイタリアから3人も出てきたことは、どれだけ慶賀すべきことか。

イタリアやスペインが経済危機にあり、劇場に対する国家その他の補助金は年々大幅にカットされている。舞台にかけられるお金は確実に減り、豪華な舞台が減るのは確実だ。しかし、こういったきわめて優秀な指揮者が出現したことによって、生き生きとした音楽が生き延びる希望も、力強く生まれている。

ルスティオー二は今回がロッシーニ・オペラ・フェスティバルのデビュー。彼はペスカーラの音楽院を出たあとはしかるべき仕事がまったくなく歌手の付き人をして苦労した。そして若くしてロンドンに移り住み、そこでチャンスをつかんでいった。

これまでにすでにロンドンのコヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラ・ハウス)やスカラ座、フェニーチェ座、ボローニャなどで振っている。しかし彼の名声はイタリアよりも海外で高く、演奏依頼が海外からどんどん来ている。

ルスティオーニはこの点に関し仮借ない。「自分がイタリアで仕事ができるのは海外で活躍したからだ。ヨーロッパの他の国にはメリトクラシー(優れたものを評価するシステム)があるが、イタリアにはない。イタリアではしかるべき人の推薦がないと駄目なんだ」

《ブルスキーノ氏》は彼にとって7作目のロッシーニ作品とのこと。「オーケストレーションは水晶のように明晰そのもの。衝迫的なリズムを活かさねばなりません。ストーリー上感情に流れる場面に見えてもせんティメンタリズムに陥らないようにしなければならない。いつもリズムと感情、ダイナミズムと一さじの皮肉の間に均衡を保たねばならないのです」

「ロッシーニを指揮するのは単純ではない。シュトラウスよりも苦労です」

若手三人の指揮者について聞かれると、「マリオッティとの関係は最高です。よく電話をするし、意見を交換するし、彼のことは限りなく尊敬してますよ」。

チャンスがあればロッシーニ・オペラ・フェスティバルにまた駆けつけたいし、オペラ・セリアを振ってみたいとのことである。


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《ブルスキーノ氏》(ROF)


ロッシーニのオペラ《ブルスキーノ氏》を観た(ペーザロ、ロッシーニ劇場)。

休憩なしで一気に上演したので、上演時間は1時間40分程度だった。《マティルデ・ディ・シャブラン》などでは、まだ一幕が終わっていないということになる。

《マティルデ》のように充実したオーケストレーション、声の響宴を、休憩をはさんで4時間観るのもこの上ない贅沢だが、《ブルスキーノ氏》のように軽やかな喜劇を、ロッシーニの最高の音楽で笑いながら聞くのも楽しい。

《マティルデ》は音楽的なアンサンブルが醍醐味であるが、こちらは特にバス歌手の闊達な演技と声の妙技が不可分になって、お客をある時はくすぐり笑わせ、またある時は声で堪能させるわけだ。

これが1813年1月27日にヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で初演された時、ロッシーニは弱冠21歳、厳密に言えば、21歳の誕生日(彼の誕生日は2月29日なので、彼は4年に一度しか歳をとらないと自慢していた)を目前にした20歳であった。

しかし驚くべきことに、これが処女作などでは全然なくて、前年の1812年には、《絹のはしご》や《バビロニアのチーロ》などを発表し、オペラセリエもオペラブッファも書いているのである。早熟な天才と言えばそれまでだが、それにしても、ものすごい勢いで次々と傑作をものしており、逆に言えば、なぜ1829年の《グリエルモ・テル》(ウィリアム・テル)を最後にオペラを書くのを止めてしまったのか、不思議でならない。ロッシーニは30代であったのだし、1868年まで生き延びるのだから。

《ブルスキーノ氏》のストーリーは二つの要素、つまり二つのよくあるパターンが絡み合っている。
1つは、後見人(このオペラではガウデンツィア、以下同様)と若い女性(ソフィア)がいて、後見人は年配の男性で、自分の思う男と若い女性を結婚させたがる。しかし、若い女性には好きな人がいて、一計を案じて年配の後見人を出し抜き結ばれるというもの。

《セビリアの理髪師》もそのパターンなわけだ。このパターンの見どころは、権力や金を持っており、年上なので知恵もあると思われる後見人が、権力や金もない若い女性に出し抜かれるというところである。

ところが、《ブルスキーノ氏》にはもう一つの要素、パターンが絡んでいる。シェイクスピアの喜劇などでもおなじみだが、人違い、ある人を別の人と取り違えることから生じるドタバタである。《ブルスキーノ氏》では、フロルヴィッレという若者がソフィアと相思相愛なのだが、具合の悪いことに、後見人ガウデンツィオとフロルヴィッレの父は敵同士なのだ(なんで敵なのかは重要でないので、示されない)。

ふとしたことから、フロルヴィッレは、ガウデンツィアはブルスキーノ氏の息子とソフィアを結婚させようとしていることを知る。さらに、ブルスキーノの息子が宿屋フィリベルトに400フランもの借金があり、軟禁されているのを知る。

フロルヴィッレは一計を案じ、ブルスキーノ氏の息子になりすます。フロルヴィッレは借金を半分はらいフィリベルトから息子の書いた手紙を入手する。周囲の人間にブルスキーノの息子と信じ込ませ、そこへブルスキーノ氏との対面になるが、当然ブルスキーノ氏はこんなの息子ではないという。するとガウデンツィアは、息子がろくでなしのためにこういう発言をしていると誤解する。

ブルスキーノ氏は、怒って警官を呼ぶのだが、筆跡鑑定で決めようということになって、先述の手紙が功を奏し、フロルヴィッレはブルスキーノの息子だということが「証明」されてしまう。

ブルスキーノ氏は自分は頭がおかしくなったかといぶかしむが、 ブルスキーノの息子(フロルヴィッレ)とソフィアの結婚がすすむ。そこへ、宿屋のフィリベルトがやってきて、フロルヴィッレがブルスキーノの息子ではないことを明かす。

ブルスキーノ氏は、とうとうフロルヴィッレの正体を知るが、彼が後見人ガウデンツィオの敵の息子だと知り、ガウデンツィオの鼻を明かしてやろうと、かえって結婚を承諾する。

最後はガウデンツィオも彼の正体を知り激怒するが今や遅し、しぶしぶ認め、めでたしめでたしとなり幕。

若者のフロルヴィッレはテノールのダヴィド・アレグレート。バルセロナ出身、非常な長身で好演であった。ソフィアはマリア・アレイダ。キューバ出身。細い声で声量はもう一歩の面もあるが、アジリタ(高音部の早いパッセージ)はきれいにまわっていたと思う。

しかし何と言っても、ロッシーニのブッフォで肝心なのはバス。後見人ガウデンツィオはナポリ生まれのカルロ・レポーレ。彼はメッサジェーロ紙へのインタビューで、ガウデンツィオとブルスキーノ(父)のコンビは、トトとペッピーノを想起させるものだ、と語っている。トトは言うまでもなく往年の大喜劇俳優。誤解をおそれずいえばエノケンのような人で、映画もたくさんあるのだが、日本にはほとんど紹介されていないのが残念。喜劇の方が、言葉の壁が厚いのである。

ブルスキーノ氏(父ーーちなみに息子は最後の最後にちょっと出てくる端役にすぎない)はロベルト・デ・カンディア。‘che caldo' (なんて暑いんだ)を連発するのだが、演技が巧くあきさせない。バス2人は演技も歌も達者で、歌も聞き応えがあった。強いて比較すれば、レポーレの方がほんの少しあらいところがあるかもしれない。

オーケストラはオーケストラ・シンフォニア・G・ロッシーニ。ボローニャ歌劇場のオケと較べるのは気の毒というものだ。しかし、ダニエーレ・ルスティオーニの抜群の指揮により、実にいきいきとしたロッシーニを聞かせてくれた。

ルスティオーニを聞いたのは僕ははじめてだが、大変な才能である。リズムといい、テンポといい、重唱における歌とオケのバランス、また重唱のなかでの巧みなアッチェレランド(テンポをあげていく)も実に見事で効果的だった。つまり、スタイル、様式としてロッシーニを完璧に理解し、それを表現できている。文句なしに素晴らしいロッシーニであった。彼は29歳である。才能というのは恐ろしいもので、20代であろうがもうここまでの高みに登ってしまうのである。


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演出は、テアトロ・ソッテラネオという30代の若者5人の集団、2004年に結成された。テーマ・パークでこのオペラが出し物として上演されていて、それを観客(舞台の上に現代服でいる)が観ているという劇中劇の構造。劇中劇の演出は、はやりのようですね。

そのせいか、ブルスキーノ氏やガウデンツィオ、フロルヴィッレの服装はどこかキッチュで、かつらもわざとけばけばしい色で塗りたくってある。この話は作り話なんだよ、ということを強調しているわけだが、そうすることの効果はあまり判然としなかった。

ただし、面白い点もあって、後見人ガウデンツィオはセグウェイという自動でうごく変わった乗り物に乗って登場するのだが、音楽の動きにあわせて軽快に動いてみせる、音楽が不意に変な方向へ進むと、セグウェイも意外な動きを示すというのは効果的だった。つまり、歌手の動きが、音楽の理解に、演劇的に楽しませながら貢献しているのである。

演劇的には、ソフィアが人形を持っていて、釘のようなものを指したりすると、離れたところにいるブルスキーノ氏がうめき苦しむというのも観ていて面白かった。

全体として、指揮者の采配、テンポ、リズム、きびきび感がよく、バス2人が達者で、おおいに楽しめる上演であった。

(追記)
舞台装置は、Accademia di Belle Arti di Urbino の学生たちが担当している。演出のテアトロ・ソッテラネオとの協力関係も素晴らしいものだったとのことである。

ロッシーニ・オペラ・フェスティバルは、新たな試み、新たな人材の発掘などに非常に意欲的に取り組んでいる。演出なども新演出も自由にできるのだが、一つだけ枠があって、それはスコアと台本を変えないということである。これは、このオペラ・フェスティバルがロッシーニ財団の研究成果を取り入れて、たとえば新しいエディションが出来た時に、そのエディションに基づいた演奏をすることを考えれば当然の枠組みと言えよう。

しかしながら、すべてが学術的、守旧的というのでは全然ないのであって、新しいロッシーニ像、ロッシーニ演奏家を求めているということなのだ。


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《マティルデ・ディ・シャブラン》

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ロッシーニのオペラ《マティルデ・ディ・シャブラン》を観た。ペーザロのアドリアティック・アレーナというやや郊外にある体育館のような建物である。会場まではシャトルバスが無料で提供される。体育館とはいえ、反響板などをうまく配してあり、音響的には満足のいく環境を提供している。

《マティルデ・ディ・シャブラン》は、テノールのフローレスがこの人ありと世に知られるきっかけとなった作品である。彼は最初はロッシーニ・オペラ・フェスティバルで端役があっただけだったのが、《マティルデ》のコッラディーノ役の歌手が降り、何人かが候補にあがったがうまくいかず、わずかな時間しか残されていない中でころがりこんできた大役であったが、それを見事にこなし世に出たのである。

それが1996年のことで、その8年後の2004年には再び《マティルデ》をロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)で歌い、さらに8年後の今年に再演となったわけである。

今回は指揮はミケーレ・マリオッティ。日本でも去年《清教徒》を振っている。33歳の若さだが、すでにボローニャ歌劇場の首席指揮者である。彼は、しっかりとオケをコントロールしているのだが、レガートな部分はあくまでエレガントで、一方すぱっと切るスタッカートの切れ味が小気味よい。さらに重要なのは、ロッシーニでは息の長い、それこそ15分もそれ以上も続く重唱、来んチェルタートなどがあるわけだが、それを少しも緊張感を緩めることなく最後まで、しかも音楽的な味わいを大切にしながら、持って行く術を心得ている。

無論、指揮者だけの手柄ではなく、オーケストラの技量の高さ、歌手たちのアンサンブル力の高さがロッシーニの音楽を光り輝かせていた。

《マティルデ・ディ・シャブラン》はセミ・セリエとも言うべきオペラで、シリアスな要素とコミカルな要素が入り交じっている。

ストーリーを簡単に紹介すると、コッラディーノ(フローレス)という暴君がいて、鉄の心を持っているといわれている。獰猛で、用もなしにこの町にやってきたら頭をかち割るなどと触れ書きを出している。そこへナポリから放浪の
詩人がやってくる。この詩人は明らかに《セビリアの理髪師》のフィガロに似ている。この詩人イシドーロを歌ったのはパオロ・ボルドーニャ(バリトン)で、闊達な芝居を見せてくれた。歌も良い。彼はあらたまった場を除いてはナポリ弁でしゃべる。せっかく字幕が出ているのだから、自分にもうちょっとナポリ弁が判ったら、と思わずにはいられなかった。会場でイタリア人が笑っていても、なぜ可笑しいのか判らない時がままあるのだ。無論、こういった場合、演技によってそれはかなり補われるのだが。

詩人イシドーロは医師アリプランド(ニコラ・アライモ)の取りなしもあって、死はまぬがれ牢屋にいれられる。

この後、コッラディーノは二人の人物と会見する。一人は戦い破れ虜囚となっているエドアルド(メゾソプラノ、アンナ・ゴリャチョヴァ)。彼は、コッラディーノと対面しても自分の敗北を認めようとしない。もう一人は、マティルデ・ディ・シャブランである。彼女の父が死の間際にコッラディーノに彼女を託したのだ。

ここからこのオペラの調子が次第にコミカルなものに変わる。マティルデは鉄の心を持つというコッラディーノの心をわたしの女の魅力で溶かしてみせようと意欲まんまんである。一方、コッラディーノには伯爵令嬢の婚約者がいて、この女性二人のライバル関係が面白おかしく描かれて行く。コッラディーノは、自分に対して平然とふるまうマティルデに惹かれていき、恋の病いに落ちる。このあたり、フローレスはコワモテから恋にへにゃへにゃとなる様子をコミカルに演じていて、しかも演じるのを楽しんでいる様子がありありとうかがえた。
マティルデはソプラノのオルガ・ペレチャツコ(ちなみに、8月末に、指揮者のマリオッティと結婚する)。アルコ伯爵令嬢はメゾ・ソプラノのキアラ・キアッリ。
 
そこへ戦いの報せ。エドアルドは父を想い涙にくれる。マティルデは、同情してコッラディーノにエドアルドの助命を求めるが、コッラディーノはかえって嫉妬心をかき抱くところで第一幕が終わる。

このオペラは、通常のオペラに較べて異様に第一幕が長い。第二幕の倍以上あるのだ。

第二幕は詩人イシドーロが、自分が素晴らしい戦争詩人だという詩をあれこれ構想しているところから始まる。彼はほら吹きでありもしない自分の武勲を誇ったりもする。自由になったエドアルドが戦場で父ライモンドと遭遇し、喜ぶ。そこへコッラディーノがやってきて、エドアルドが自由の身であることにショックをうけるが、エドアルドはマティルドのおかげで自由になれたという。実はこれが伯爵令嬢の仕掛けたわななのである。コッラディーノは怒り、マティルデに死刑を宣告する。

イシドーロがマティルデの死の模様を言葉を尽くして微にいり報告する。そこへエドアルドが来て、自分が解放されたのは実は伯爵令嬢の差し金だったと明かす。コッラディーノは激しい悔悟の念に襲われる。コッラディーノは自分も死のうとするが、そこへマティルデが登場。マティルデが死んだというのも、詩人イシドーロの作り話だったのだ。コッラディーノはマティルデの足下に身を投げ許しを請う。暖かい心を持ち、ライモンドと和解することを条件に、マティルデは許しを与え、イシドーロは女性は「勝利し、支配するために生まれてきた」と歌い、全員がそれに和して幕。

演奏は、実に息の長い重唱が、緊張が途切れることなく、音楽的に、うねるように続いて行くもので、しかも、フローレスだけが突出してしまうのではなく、アンサンブルとして見事な達成をなしていた。ROF ならではの、時間をかけたプロダクションだから到達可能な高みなのであると見た。すべての面で深い満足を与えてくれる上演であった。


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2012年8月12日 (日)

《アイーダ》(アレーナ・ディ・ヴェローナ)

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ヴェローナのアレーナでオペラ《アイーダ》を観た。

そもそもアレーナ・ディ・ヴェローナは1913年にこのオペラで開幕したのであり、上演回数も他のオペラと較べて断然多い。そしてまた、アレーナという特別な舞台にぴったりはまるオペラだと言えよう。

演出は長らくゼッフィレッリのものが使われていたが、今日の舞台の演出はジャンフランコ・デ・ボジオのものだが、1913年の上演を再現することをめざしたものである。来年は新演出が登場する。

2013年の演目はすでに決まっており、《アイーダ》も当然のように含まれているのだが、2種類の上演があって、1つはラ・フーラ・デルス・バウスにより新演出で、もう1つは今回観たのと同じ1913年の再現を目指すもの(rievocazione)である。1913年当時の演出家、出演者は生存していないわけだが、演出を準備する段階でのスケッチ、写真などの資料をもとに再現を目指すものと思われる。

さて、今回の上演に話を戻そう。
指揮はマルコ・アルミリアート。《アイーダ》は上演回数が多いので、指揮者は3人いる。ダニエル・オレン、プラシド・ドミンゴ、マルコ・アルミリアートである。

ちなみにドミンゴは、来年のアレーナでは、《ナブッコ》のタイトルロールを歌うそうである。

配役は王がアンドレアス・マッコ。王女アムネリスがエカテリーナ・セメンチュク。彼女はメゾだが、身体は小柄なのだが身振りが舞台ばえし、歌も低い声がしっかりぼんと放出され決まる。囚われの身となっている(実は王女)アイーダはルクレシア・ガルシア。この人はいざとなると馬力はでるのだか小回りのきかない排気量の大きな自動車のような感じだった。発音がやや不明瞭なところがあり、ヌーミ・ピエタ(神々よ、お慈悲を)とかパトリア・ミア(わが祖国)といった決め台詞のここぞというメロディをぴしっと決めきれない。


アイーダの恋人ラダメスはヴァルテル・フラッカーロ。巨漢であった。ランフィスはマルコ・スポッティ。アイーダの父アモナズロがアンブロージョ・マエストリ。この人は大変口跡が良く、舞台がぐっとしまる。ヴェルディの場合、この単語、このフレーズに思い切り心情がこもっているというところがあって、それがロマンティシズムの一つの特徴をなしているわけだが、だから、歌詞というかリブレットはきわめて重要になってくるのだ。

全体としては、エキストラは大勢でてきて、ちゃんとした衣装をつけているし、装置も巨大で迫力満点、アイーダ・トランペットも左右に別れて鳴らすと、舞台が大きいのでステレオ効果が遺憾なく発揮される。

指揮のアルミリアートは、スマートなというか熱がこもりすぎない、そつない指揮であった。


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《バビロニアのチーロ》(上演評)

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ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで《バビロニアのチーロ》(Ciro in Babilonia)を観た。

ペーザロはロッシーニの生まれ故郷であり、彼はパリで亡くなった後、遺書により、自分の手元にあった楽譜をすべてペーザロ市に寄贈したのである。ペーザロには Fondazione Rossini (ロッシーニ財団)があって、ロッシーニの音楽についての学問的研究を自筆稿に基づいて行っている。改訂などの問題もふくめ、流通しているエディションだけでなく、様々な楽譜を照合して、クリティカル・エディションを作っているのである。昨年は、その成果が、《セビリアの理髪師》の新しいエディションという形で結実し、このエディションは校訂者ゼッダ(日本でも名高いロッシーニの世界的権威である)の指揮によって上演されたのでご存知の方も多いであろう。

今年は、《タンクレディ》の新たなクリティカル・エディションが完成し、それに基づいたコンサート形式の上演が行われる。

このようにペーザロのロッシーニをめぐる活動は、学術的な研究と、オペラの上演が有機的に結びついている。さらには、ペーザロにロッシーニ音楽院があって、歌手や音楽家たちを養成する機関もそろっている。
また、Fondazione は図書館を持っていて、研究者や学生の便宜をはかっているという具合である。ペーザロはいわばロッシーニのメッカなのである。

さて、《バビロニアのチーロ》の上演であるが、一種の劇中劇の構成になっている(演出はダヴィデ・リヴェルモア,Davide Livermore , トリノ生まれ)。最初、現代服の人たちが出てきておやっと思うのだが、彼らが無声映画を観る。そのスクリーンのなかで、古代バビロニアでのストーリー(前項のあらすじを参照してください)が展開するという仕組み。

最初は、手前の映画の観客と、無声映画の世界(最初はスクリーン上に映っているが、次には紗幕をへだてて、人物が動くーー当然ですよね。でないと、肝心の古代バビロニアの登場人物が歌えない)が截然とへだたっているのだが、あるところからは、互いに入り交じる。つまり、現代人と古代人が入り交じる不思議な舞台となる。

大道具は最小限で、たとえば、第二幕でチーロが地下牢に閉じ込められている場面も、周りの壁はスクリーンで映し出されたものであるが、その壁が形成される様がまるでテレビゲームのような形で、巨大な石が自動的に動きながら壁が観客の眼の前で出来上がって行く。こういう劇中劇的な手法は、知的な想像力を多いに刺激し、チーロたちの世界に対する異化効果を発揮するわけだが、それは同時に、彼らの世界にストレートに感情的に没入することをさまたげることにもなり、もろ刃の剣である。僕は、個人的には面白いと感じた。

というのも、チーロと妻アミーラが愛の場面を演じている時に、その奥のスクリーンには、無声映画風の二人の愛の場面が映し出されるなどの工夫が随所に凝らされていて、観ていてあきないのである。しかも、ドラマの展開にそって繰り出されるため、ストーリーがわかりにくかったり、うるさいと感じることはなかった。

歌手はタイトルロールのエヴァ・ポドレス(アルト)が圧巻。高い声から低い声まで自由自在に駆使し、しかも一音ごとに一オクターブ以上が交互に行き交うパッセージを、軽々と制覇していく。迫力あり、歌い回し良しで、当然ながら、一番の喝采をあびていた。妻アミーラを演じたジェシカ・プラットも良かった。彼女は華麗な衣装に身をつつみ、古代の美女になりきって、同時に無声映画時代のハリウッド美女をも演じていた。歌も演技も巧みであった。

衣装はジャンルーカ・ファラスキだが、白と黒を基調にして、しかも王は王らしく、妃は妃らしく、侍女は侍女らしさが一目でわかり、しかもエレガントで、素晴らしいものだった。バルダッサーレはマイケル・スピアーズ(スパイアーズ)。テノールで熱演。ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルはデビューである。

指揮はウィル・クラッチフィールド。丁寧な棒であるが、リズムがもっさりしていた。オペラ・セリアであってもロッシーニの場合、シャンペンの泡がはじけるような輝き、煌めき、疾走感が欲しい箇所が出てくる。そこをどう振るのかが彼の大きな課題であろう。


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2012年8月11日 (土)

ロッシーニ《バビロニアのチーロ》(あらすじ)

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ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルがオペラ《バビロニアのチーロ》で開幕した。

めったに上演されない演目であるので、あらすじを説明する。長くなるので、この項はあらすじのみとします。

古代バビロニアとペルシアで両国が対立しています。
バビロニアの王バルダッサーレとペルシアの王チーロが敵対している。
チーロが優勢で、バビロニアを包囲していたんだけれど、バルダッサーレ(バビロニア王)は逃げる途中で、なんと敵王の妻アミーラとその子、侍女アルジェーネを捕まえることに成功。
形勢逆転です。
アミーラとアルジェーネは、もちろん美女。あろうことか、バルダッサーレはアミーラに結婚を迫ります。アミーラが拒絶すると、殺すぞと脅したりする。
一方、バルダッ サーレの部下である将軍アルバーチェもアルジェーネ(アミーラの侍女)に夢中。主従ともに、敵方の女性が好きなんですね。
アルジェーネは女性たちに頼まれ、アミーラの夫チーロに入れ知恵をする。

チーロが使者に化けて、バルダッサーレと会見し、アミーラ母子とアルジェーネを解放したら、バビロニアの包囲を解くという交換条件を出す。
しかしバルダッサーレは子供は解放してもいいけど、アミーラは駄目という。(彼女への執着見え見えです)。
そこで使者に扮しているチーロは私がアミーラにあなた(バルダッサーレ)との結婚を説得しましょうという(そうすれば妻と子に会えるから)。
妻と2人になると、妻は変装をみやぶり、私はバルダッサーレなんかと結婚しない、愛しているのは あなただけ、と言おうとするが、チーロは王が立ち聞きしているのを察してにせの説得を続ける。アミーラは察しが悪く自分の真情を吐露してしまうので、チーロが使者ではなく、ペルシア王であることがばれて、逮捕、投獄されてしまう。
ここで一幕が終わる。

全体は二幕です。

さて、第二幕。地下牢で思いをめぐらすチーロ。そこへ妻のアミーラがやってきて愛の二重唱。不意にバルダッサーレ(バビロニア王)がやってきて、二人を引き離し、死刑を宣告。
バルダッサーレは宴会を開くが、傲慢にもエルサレム神殿の聖具を使用している。
そこへ雷が落ちる。(神罰の典型です)。
人々おそれるなか、不思議な手があらわれ Mane Thecel Phares という謎の言葉を記す。
バルダッサーレは僧侶たちにこの言葉の意味を解き明かすよう命じる。
僧侶たちとともにヘブライの預言者ダニエッロ(旧約聖書のダニエル)がやってくる。
ダニエッロの解釈では、バルダッサーレやその民が「アブラハムの神」(ユダヤの神)に
対し恩を忘れ、さらに神殿まで破壊したのでアッシリア王国はメデアとペルシアに分割されバビロニアは
消滅するだろう、バルダッサーレも敗北の日に殺されるだろう、と言う。
僧侶たちは、この不吉な予言を払いのけるには、チーロ、妻アミーラ、息子カンビーセを神々(こちらはユダヤではないほうの神々)に生け贄にしましょうと進言する。
バルダッサーレはアミーラだけ は生かしておきたかった(まだ未練が。。。)がしぶしぶ承諾。
バビロニアの広場でチーロ、アミーラらの処刑の準備がされ、バルダッサーレがやってきて処刑を急ぐよう命じる。
バルダッサーレが王宮へ帰ったところで、敵軍(チーロの軍)が攻めて来て、バルダッサーレは捕われてしまう。
チーロは「アブラハムの神」(ユダヤの神)の願いにそって、バルダッサーレとその一族を皆殺しにする。
侍女アルバーチェは、将軍アルバーチェの愛を受け入れようとしている。
敵も味方も、チーロの凱旋を祝って幕。

以上があらすじである。

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2012年8月 9日 (木)

《トゥーランドット》(アレーナ)

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アレーナ・ディ・ヴェローナで《トゥーランドット》を観た。

プッチーニの遺作である。今日の指揮は、イタリア若手指揮者のアンドレア・バッティストーニ。去年のマチェラータでの《リゴレット》、日本での《ナブッコ》は鮮烈な印象を残したが、ヴェルディではなくて、プッチーニはどうなのだろうという期待をこめた想いでのぞんだ。

舞台装置は定評あるゼッフィレッリのもので非常に豪華絢爛たるもの。衣装は和田エミ。衣装も素晴らしいのだが、なぜかカラフの衣装だけが歌手のせいなのか、あまり格好よく見えなかったのが残念だった。

歌手は、トゥーランドットがジョヴァンナ・カゾッラ。ティムール(カラフの父)がマルコ・ヴィンコ。
カラフはカルロ・ヴェントレ。リューはアマリッリ・ニッツァ。カーテンコールではリューが一番拍手が多かったかもしれない。《トゥーランドット》はタイトルロールはトゥーランドットなのに、メロディーの点から言えば、リューの方が心に沁みるメロディーがある。トゥーランドット姫はストーリー上、最終場面までは、愛を知らぬ氷の心を持った女性であるから、ものすごい高音で、他人を思いやる心などないという人物であるから当然メロディーも冷たい心を反映したものとなり、現代的ではあるのだが、観客に愛される歌とはなりにくい。

カラフはアリア「誰も寝てはならぬ」ではビス(同じ曲を二度歌うこと)をした。もちろん、指揮者もそのつもりなのである。

バッティストーニの指揮はまことに見事なものであった。プッチーニはそもそもオケが雄弁であるが、《トゥーランドット》はオリエンタルな響きがあること、そしてそれに乗じて現代的な響き、オーケストレーションが随所にあることが明らかになる演奏だった。不規則な転調や、不協和音の使用なども同様である。

指揮者のおかげで、ふだんは流して演奏されあまり意識が集中しない箇所でも、バッティストーニはいかにプッチーニが創意工夫をこらしているかを次々と明らかにし、まったく退屈しない。逆に最終場面で、弟子が書いた部分のオーケストレーションの弱さが露わになった。それまでのプッチーニのマジックによるオケの輝きが精彩を欠くのだ。マエストロと弟子は似て非なるものなのだ。絵画であれば、一目瞭然だが、音楽でもこういう高精度の演奏をきくと一聴瞭然であった。コントラバス一つとっても、プッチーニはいろんな場面で奏法を変えて、登場させ、見事な心理的効果をあげていることがわかった。

この指揮者の演奏は、決して分析的な方面で優れているのみではなく、緊張すべきところと、リラックスしてゆったりテンポの交換が適切で生理的に気持ちがいい。また、この曲では、音で大伽藍を描いて行くところが何カ所もあり、オーケストラ、合唱がフルに鳴り、歌うのだが、そういう場面での大きな塊の捉え方がまたくっきりとして、単に大音量というのでなく、リズムやリタルダンドが構築的かつ音楽的だ。

彼はまた、すべての歌詞を覚えており、指揮しながら歌手と一緒に歌っているのだった。若くて勢いがあるだけではない、実力のともなったマエストロであり、会場の拍手もひときわ大きかった。

(追記)プッチーニの音楽の現代性を先にふれたが、これはリブレット(台本)の現代性とも付合している。たとえば、有名な「誰も寝てはならぬ」の歌詞は、《ラ・ボエーム》のロドルフォのアリア「冷たい手」と較べると、はるかに定型詩の基本からはずれているのだ。「誰も寝てはならぬ」が韻をまったくふんでいないわけではないが、その回数はとぼしく、またここぞという盛り上がりのところで効果的に用いているとはいいがたいのである。1行の音韻数も不規則である。

つまり、歌詞も現代詩のフリーヴァース的な傾向を持っている。つまり、韻を規則的に踏んだり、1行の音韻数が整っているということを捨てて、定型詩の痕跡は残しているものの、現代的な要素を持っているのだ。それと前述したオーケストレーションの現代性はみごとに照応しているのだ。そして、プッチーニが偉大なのは、それがことさらの前衛性をひけらかすのでなく、甘いメロディーにのって、観客をうっとりさせてしまうところである。このリブレットの性格は、作品ごとに異なるが、初期の傑作がイッリカ、ジャコーザのコンビであったのに対し、トゥーランドットのリブレッティスタがジュゼッペ・アダーミであることも寄与しているだろう。

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アレーナのオペラ博物館(AMO)

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アレーナ・ムゼオ・オペラ(AMO)を訪れた。

ヴェローナでは1913年からアレーナでオペラが上演されているが、今年2012年6月24日にアレーナのオペラ博物館が誕生したのである。正式名は Arena Museo Opera (略称AMO)である。

場所は、ピアッツァ・エルバ(午前中、市がたつところです)からほど近いパラッツォ・フォルティという館である。ここは去年までは現代美術館だったそうだ。

入場料は、アレーナでのオペラのチケットを提示すれば半額(5ユーロ)になる。

展示は、5つのコーナーに別れていて、それぞれのコーナーでマルチ・メディアを駆使しているところはいかにも2000年代に誕生した博物館らしいところである。

最初のコーナーは「リブレット(台本)」。《トスカ》の台本の一葉ではリブレッティスタ(台本作家)のイッリカが書いたものに、作曲家のプッチーニが書き加えたり、削除を指示したりしているものが展示してあった。

第二のコーナーはスコア(総譜、partitura)である。これもヴェルディやプッチーニの自筆稿が展示されていて興味深い。

第三のコーナーは、舞台装置。第四は舞台衣装。第五は上演ということで、過去の上演をヴィデオでみることが出来る。また、舞台衣装がどうやって作られているかのヴィデオもある。

案内係の人の話では大急ぎで開館したため、たとえばヴィデオの中に古い歌手の写真が出てきた際に名前が記されていない場合があったがこれから整えていく予定とのことであった。

1950年代、60年代以前の資料がどれくらいあって、見られるようになるのかを尋ねている人がいたが、態勢を整えている段階であり、まだ詳細は不明のようだ。

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2012年8月 8日 (水)

イタリア、リセッション

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イタリアはリセッションに入っている(8月8日、Corriere della Sera)

Istat によれば、2012年の第2四半期の国内総生産は、前年比でマイナス2、5%となっている。第1四半期とくらべるとマイナス0、7%となっている。

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ヴェルディ生誕200周年の予算

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2013年のヴェルディ生誕200周年のための予算が下院を通過した(8月7日、Corriere della Sera).

ヴェルディ200周年のための予算は650万ユーロ。200周年のさまざまな行事、催しに使われる。これを確保するための法案が下院を通過した。上院を通過すれば法律となる。

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《カルメン》(アレーナ)

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ヴェローナのアレーナ(古代闘技場)でオペラ《カルメン》を見た。

このオペラの作曲者はビゼー、原作の小説がメリメということは良く知られているが、リブレット(オペラの台本)は誰が書いたのだろう。リブレッティスタは二人いてルドヴィク・アレヴィとアンリ・メイヤックである。この二人はオッフェンバックの《うるわしのエレーヌ》というオペレッタのリブレットもものしている。僕自身の反省を含めてだが、リブレッティスタについての情報はまだまだ流通していない。

久しぶりのヴェローナであるが、古代闘技場はあらためて巨大である。スフェリステリオとは比較にならない。無論、オペラ上演のための劇場というのは大きいほうがよいというわけではなく、むしろ逆の要素が多くある。小さい劇場ならより自然に声の表情の変化がつけやすい。観客と歌手が物理的に近いから、身振りだけでなく、顔の細かい表情も見えるなどなど。

ヴェローナのアレーナは、むしろその巨大さを逆手にとってスペッターコロ(スペクタクル)として見せる。たとえば、今回の上演の演出は、ゼッフィレッリなのであるが、オーソドックスでこれがカルメン?というような奇をてらったものではまったくない。しかし、本物の馬が何度も出てくるし、彼らしく群衆の扱いが巧みかつ効果的である。

しかし、驚いたのはプラテア(舞台近く)の席は空席だらけだったことだ。半分も埋まっていなかったと思う。階段席はまあまあ入っていた。プラテアにいるのはドイツ人が多かったように見受けられた。ヴェローナの客は国際的なので、その時々の経済状況を反映するのであろう。空席が目立ったのは、もしかすると、ドン・ホセを歌うはずのアルバレスが健康上の理由で交代となっていたからなのかもしれないが、良くわからない。

上演は一幕ごとに休憩が入るので、夜9時すぎに開演で、終演は夜中の1時をまわっていた。

《カルメン》というのは不思議なオペラである。架空のスペインなのであるが、それが実際のスペインのロマ(ジプシー)なりフラメンコなり、闘牛とまったく無関係かというとそうでないところが厄介なのである。嘘の中にある真実とでもいうべきか。さらに以前にも書いたが、アリアや曲の構成が、有機的とは言いがたく、次から次へと美しい耳に残るメロディーが繰り広げられ、しかも巧みなオーケストレーションで盛り上がる。たしかに盛り上がるのだが、ドラマの展開との有機的関係は納得しがたいというか、理解しがたいところがあるのだ。無論、そんなことで、オペラ《カルメン》の世界的人気にいささかの傷が生じるものでもないのだが。

(追記)この日の指揮はジュリアン・カヴァチェフ。実にこなれた指揮で、観客を楽しませるつぼをこころえている。カルメンはアニータ・ラチュヴェリシュヴィリで圧倒的な声であった。声も舞台上の存在感も他を圧倒していた。ミケーラはエルモネーラ・ヤホ。カルメンとは対照的な存在として描かれるキャラクターだが、彼女は芯の強さを表現する歌唱を展開し、多くの拍手と共感を得ていた。ドン・ホセはアレハンドロ・ロイ。アルバレスの代役で、健闘したと言えよう。アレーナの舞台は左右も広いので、右端と左端では、ダンサーがフラメンコ調の踊りを踊っていた。

エスカミリョは、アレクサンダー・ヴィノグラドフで、独特の歌い回しで、スペイン的かどうかはともかく(そもそも前述の通り、ビゼーの《カルメン》がオーセンティックなスペインを描いているとは言いがたいわけだが)、しっかりキャラが立っていた。これは劇の展開には重要なことで、エスカミリョの存在感が薄弱では、カルメンが彼に走り、それに逆上したホセがカルメンを殺してしまうという物語の核心そのものが真に迫らなくなってしまう。

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2012年8月 7日 (火)

シュヴァルツ、ドーピング

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ロンドン・オリンピックで、イタリアの競歩選手がドーピング検査で失格となった(8月7日、Corriere it)

失格になったのは、アレックス・シュヴァルツ選手で、7月30日の検査でエポという薬物が検出された。

シュヴァルツ選手は自らの過ちを認め、『僕のキャリアは終わった』と語っている。彼は北京オリンピックで50キロ競歩の金メダルを獲得しているが、今回のドーピング検査でエポが検出されたため、ロンドン・オリンピックの競技には参加しない。


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《ラ・ボエーム》

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マチェラータのスフェリステリオ野外劇場で『ラ・ボエーム』を観た。

演出によって登場人物たちは20世紀後半とおぼしき世界に生きている。ロドルフォやマルチェッロが住んでいる部屋にはヘンテコな自転車マシーンがあるし、第二幕で出かけるカフェ・モミュスはディスコ(クラブ)のような感じである。
 第三幕のアンフェール門の場面では、出入りをチェックする兵隊たちが妙にものものしい存在として描かれていたし、何より驚き、当惑したのは、最後にミミが死ぬ場面で、複数の看護師と医師が出てきて、死亡が確認されるとさっさと舞台から死体が運びだされ、ロドルフォが「ミミ!」と絶叫する時には、ミミの遺体はそこにはないのである。これはプッチーニのセンティメンタルな面を異化したり前景化したりする意図があると思われるが、その意図はまったく指揮やオーケストラとの連携を欠いていた。
 指揮者パオロ・アッリヴァベーニは、非常に遅いテンポで、嫋々たるプッチーニ節を繰り広げる。経歴を見ると海外が長く、海外で振るときはこういうくどくどと表情を拡大したほうが受けがよいのかもしれないが、セリフが判るイタリア人にとっては、テンポが一定以上遅くなるのは致命傷である。
 というのも、プッチーニはヴェリスモ一辺倒ではないのだが、ヴェリスモ(真実主義、フランスの自然主義に相当)の影響を非常に強く受けており、いわゆるレチタティーヴォとアリアの区別がない。だから歌うようにレチタティーヴォ的なところがあるところでは話すのとほぼ同じテンポで歌うと自然に聞こえるのである。あまり遅いと、回転を間違えたレコードのようで、不自然に聞こえる。イタリア語が理解できない人が対象であってもそれはよろしくないと思うのだが、イタリアでの上演ではなお一層いかがなものかと思う。
 そもそもプッチーニのオーケストレーションは過剰なほど表情づけがしてあるので、強調してくれなくていいよ、という気になる。
 しかも演出は、異化効果をねらっているのだから、そぐわない。
 ああいう演出を認めるのだったら、思いっきりセッコ(ドライ)な音楽をやってもらいたかった。プッチーニはどこまでいってもセッコにはならないかもしれないが。
 ミミはカルメン・ジャンナッタージオ。ロドルフォはフランチェスコ・メーリ。二人とも歌唱力も演技力もあるので、もう少しきびきびとして若さあふれるミミとロドルフォだったらと惜しまれる。
 マルチェッロはダミアーノ・サレルノ。ショナールはアンドレア・ポルタ。コッリーネはアンドレア・コンチェッティ。ムゼッタはセレーナ・ガンベローニ。
 演奏会場にはマエストロ・ゼッダとマリオッティ総裁(ペーザロ・ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルの)が来ていた。

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2012年8月 5日 (日)

《ラ・トラヴィアータ》

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マチェラータのオペラフェスティヴァルで《ラ・トラヴィアータ》を観た。

演奏開始前に会場が真っ暗になり、おやっと思うと、舞台面からむくむくと壁のような面が立ち上がる。しばらくして、ある角度がつくと、その面は鏡であったことがわかる。床には、大きな絵が描かれた絨毯のようなものがしかれていて、それが巨大な鏡にうつるのである。

場面が変わると、この絨毯が引かれて、下から別の絨毯があらわれる。その絨毯には別の絵が描かれているので、鏡には別の絵がうつり、舞台転換に相当することが起こる。

この演出は、La traviata degli specchi (鏡のトラヴィアータ)という名で良く知られているということがあとで調べて判った。マチェラータの音楽祭にずっと来ている方の話でも過去に数回それが上演されたとのこと。今回は、絨毯の絵が少し変わったようだ。

《ラ・トラヴィアータ》すなわち《椿姫》の主人公ヴィオレッタは、第一幕のパーティで、アルフレードに会うわけだが、ヴィオレッタは高級娼婦である。その場面では、巨大な女性の裸体が鏡に映し出され、ヴィオレッタのいる館が快楽を追求する場所であることが示される。

例によって、スフェリステリオは何十メートルもある巨大な壁面が観客席の前にたちはだかっていて、
その中央で舞台が繰り広げられるのだが、その壁面の左右にイタリア語字幕が出る。昨日のカルメンのようにフランス語で歌っていて、イタリア語字幕を追うのはかなりつらいことが判った。《椿姫》の場合は、歌手が歌う歌詞と、字幕は完全に一致するので、そういうストレスはない。おそらく、イタリア人にとってはイタリア語が母語であるから、《カルメン》での言語のずれも、われわれが日本語字幕をおうようなもので特にストレスにはならないであろうが。

第一幕でよく言われるのは、舞台に娼婦をあげたということがスキャンダラスだったということだが、それだけではない。ヴィオレッタがコロラトゥーラで高い声を転がしながら、私は性の快楽を追い求めるわ、と高らかに宣言しているのも、驚くべきことだ。
当時、ローマで上演しようとした際には、教皇庁(当時は、ローマからイタリア中部の相当をおおう教皇国家だった)から検閲が入り、歌詞をずたずたに変えられ、ヴェルディが激怒したエピソードが、無料配布のパンフレット(他に、有料のパンフレットもある)に紹介されていた。

《椿姫》に限らずあまりにも有名になって上演回数の多いレバートリー作品は、慣れ親しんでしまったあまり、かえってその作品が本来持っていた衝撃、革新性、挑発的なところが理解しにくくなっているのではないかと思った。今回の鏡の《ラ・トラヴィアータ》の演出では、第一幕の過激さが絨毯に描かれた絵画によって巧みに表象されていた。

ヴィオレッタはギリシア出身のミルト・パパタナジウ。眉目麗しく、好演であった。アルフレードはイヴァン・マグリ。かなりよいのだが、ソット・ヴォーチェを使いすぎるのが気になった。
パードレ・ジェルモン(パリ郊外のヴィオレッタとアルフレードの愛の巣にやってきて、ヴィオレッタにアルフレードと別れてくれというアルフレードの父。ブルジョワの勝手な理屈を振り回し、神まで持ち出す鼻持ちならない人物なのであるが、ヴェルディはこういうバリトンの悪役にいいアリアを書いている)はルカ・サルシ。立派な歌いぶりだったし、拍手も多かった。観客もオペラ好きの人が多いと見えて、単に出番の多さだけで拍手の量が決まるわけではない。

快楽の館でのパーティには踊りや合唱団もパーティの人物群として出てくるが、今回はそういった人たちの演技、表情がいきいきとして、セクシーかつチャーミングでおおいに楽しめた。

また、快楽の館から、逆説的な純愛に目覚めるヴィオレッタ、ブルジョワ・モラルをかざすアルフレードの父、ヴィオレッタの死と、舞台は様相をめまぐるしく変えるのだが、ヴェルディの音楽というものは、リブレットの言葉とともに、その変化をまさにドラマティックに表している。トレモロ一つで舞台の表情が変わる。また、後にジョルダーノが《アンドレア・シェニエ》の中でジェラールの「祖国の敵」で用いるようなオーケストラが短く奏する合間に、レチタティーヴォ・パルランテが挿入されていくという手法も、《ラ・トラヴィアータ》でジョルダーノほど派手にではないが、十分効果的に用いられている。

指揮はダニエーレ・ベラルディネッリ。丁寧だが遅めのテンポで、オーケストレーションのテクスチャーを丹念に描き出すタイプの指揮だった。

個人的には、《ラ・トラヴィアータ》の上演(CDではなく)で、もっとも納得のいく公演であった。


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イタリアで最も売れている新聞

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イタリアで一番売れている新聞はレプブリカ紙である(8月4日、la Repubblica)

Ads (Accertamenti diffusione stampa)によると、6月に最もうれた新聞はla Repubblica だった。

ラ・レプッブリカ 34万9563
コッリエーレ・デッラ・セーラ 34万7685
ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト 24万6327
ラ・スタンパ    20万6948
コッリエーレ・デッロ・スポルト 17万6887
イル・メッサジェーロ 16万6448
イル・レスト・デル・カッリーノ 12万7166
イル・ソーレ24オーレ 12万6737
イル・ジョルナーレ  11万938

となっている。
 年間を通じての平均では、コッリエーレ・デッラ・セーラが首位を保っている。


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木、金、株価乱高下

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イタリアの株式市場は、ヨーロッパ中央銀行ドラーギ総裁の発言を受けて、木曜日は下落し、金曜日は上昇した(Corriere.it)

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2012年8月 4日 (土)

カルメン

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マチェラータのスフェリステリオ劇場でビゼーのオペラ《カルメン》を観た。

スフェリステリオ劇場は、もともとは球技場であったため、細長い楕円をまっ二つにしたような形で、長い直線の部分が舞台となっている。そのため舞台は奥行きはせまく、幅が左右にとても長いのが特徴である。

また、野外劇場であるため天候に左右されるのだが、現在のイタリアはとても暖かく、夜9時に開始で終わったのは12時半であったが、まったく寒くなかった。

総合監督のピッツィが、おそらくは予算の関係で再任されなかった。今回のカルメンの舞台も簡素なものだった。カルメンが最初に出てきたときにズボンをはいていたのには多少驚いた。他の女工たちはスカートをはいていたので何らかの意図があったのだろう。

演奏は指揮がドミニク・トロッテン。やや丁寧すぎる感じの指揮。もう少しめりはりがあってもよかった。カルメンはKetevan Kemoklidze, ミカエラはアレッサンドラ・マリアネッリ。ドン・ホセはロベルト・アロニカ。エスカミリオはGezym Myshketa.

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2012年8月 3日 (金)

フェンシング女子、フレールで金メダル

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ロンドン・オリンピックでイタリアの女子フェンシングは、フレールの団体で金メダルを獲得した(8月2日、Corriere.it)

男子カヌーは銀メダルを獲得した。

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モンティ首相、オランド大統領と会談

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モンティ首相は、フランスのオランド大統領と会見し、ユーロの防衛で意見が一致した(8月1日、Corriere della Sera).

モンティ首相は、2日フィンランド首相と会見するが、これはもっとも困難な会談となるだろう。イタリアの失業率は、10、8%に達している。

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2012年8月 2日 (木)

独・米、西・伊の努力を評価

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ドイツのショイブレ蔵相とアメリカのガイトナー財務長官が会見し、スペインやイタリアの努力を評価した(7月31日、Corriere della Sera).

またドイツはヨーロッパ中央銀行がユーロ圏の国の国債を買い入れることを承認した。

(都合により、8月2日から9月19日まで更新が不規則または不可能になります。あらかじめご了承ください)。

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2012年8月 1日 (水)

外国人児童のまじったクラスへの準備ととのわず

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外国人児童・生徒がいるクラスへの準備ができている教師は50%にすぎない(7月29日、Corriere della Sera).

Fondazione Agnelli が新たに教員になった3万2000人を対象に調査をした。

それによると、48%の教師は、情報機器に関する能力が不十分だと考えている。

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