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2012年5月12日 (土)

《マノン》

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MET のライブビューイングでマスネの《マノン》を観た(東銀座/東劇)。

ライブビューイングは、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の上演を、ハイヴィジョンで録画し、上映するもので、本来は、ライブの中継であるため、休憩時間には、主演歌手へのインタビューやカーテン裏の舞台転換の様子が映し出される。

マノンはネトレプコ。デ・グリューは、ベチャワ。ネトレプコは、ブーシェ的というかルノワール的というか豊満な身体からクリーミーでリッチな声を放つ。

というと、熟女的でマノンの若さがないかと思われるかもしれないがさにあらず。彼女は、顔の表情づくりが大変に巧みで、第一幕冒頭の、田舎からパリへ出てきた山出しの少女はぴったりな感じの役作りであった。必要に応じてあどけない表情や、機敏な動きができる人なので、歌手として声質が典型的なマノン役と比べると、豊かではあるが重く、コロラトゥーラで軽やかに声が転がらないといった面がなくはないのだが、画面で観ると、演技力、顔の表情などで、見せてしまう。

マスネの《マノン》は、同じくマスネの《タイス》と比べると、台本にドラマティックな山場がいくつもあり、音楽もそれにあわせて躍動して、聞いていて退屈しない。

プッチーニにも《マノンレスコー》という作品があるが、原作はプレヴォーの小説『マノン・レスコー』で同じである。ただし、リブレットにする段階で異なったストーリーとなっている。最大の違いは、マスネではマノンが賭博場でつかまって、アメリカ送りとなるのだが、その前にフランスの港で息絶えるということだ。

それに対して、プッチーニの方は、プッチーニがなかなかリブレッティスタと調整がうまくいかず最終的に5人ものリブレッティスタが関わることになったのだが、マノンのアメリカ行きにデ・グリューがその義務はないのに自らの意志でついていって、アメリカでも騒ぎをおこしてアメリカの荒野でマノンはデ・グリューにみとられて死ぬという点である。

その他、マスネの場合、マノンの従兄が出てくるが、プッチーニではマノンの兄となっている。

こういった細部はプッチーニの方が原作に忠実である。しかしながら、リブレットを一つの作品としてとらえた場合には、脚本としてのまとまり、流れの良さという点では、マスネ作品のリブレットの方がすぐれていると思う。オペラ全体の評価となると、またこれに様々な要素が加わってくるので、一言では言えない。

ともあれ、ストーリーといい、音楽といいマスネの《マノン》は見応え、聞きごたえのあるオペラであり、今回の上演は、やや抽象度の高い舞台装置、あっさりとした衣装ではあるが、レベルの高いもので大いに楽しめた。

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