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2012年3月30日 (金)

モンティ内閣の連続性

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首相夫人エルサ・モンティがベルルスコーニ内閣とモンティ内閣の連続性について語った(3月28日、Corriere della Sera).

エルサ夫人が週刊誌Chi に語ったところによるとそれはネクタイである。

エルサ夫人「ずっと前からネクタイは私が選んでいました。空港で買うこともよくありました。今は、ベルルスコーニ首相がマリネッラのネクタイを何本もくださいましたので。お分かり?ベルルスコーニとモンティの間には、少なくともネクタイには、連続性がありますのよ!」

「皆さんがメルケル首相やサルコジ大統領と夫がなぜあんなに親しいのかと思ってらっしゃるけど、私は思わず微笑んでしまいますわ。夫は彼らと20年以上の知り合いなんですもの。サルコジの前夫人セシリアも知り合いでしたわ」。

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2012年3月29日 (木)

モンティ首相講演会

モンティ首相の講演会があった(3月28日、大手町・日経ホール)。

会場は満員だった。

個人的にはモンティ首相の話をイタリア語で聞いてみたかったが、後半の鼎談が英語で行われたので、通訳の都合などがあったのかもしれない。

首相の話は、穏やかな口調、理路整然としたものだった。しかし、今回、学者としてではなく、首相としてやってきたことが判るのは、次の論点だった。

日本の機関投資家は、ユーロ危機に際してイタリア国債を売却した。売却は理由のないことではなかったが、もはや危機はほぼ(このほぼという点に日経の論説委員太田氏が鼎談の時に説明を求めたのは適切だった)終息したので、再び投資する環境はととのっている。(つまり、またイタリア国債を買うべき状況がととのったという意味である)。

鼎談のなかでは、あのユーロ危機でイタリア国債を買っていたら大儲けだったでしょうねと、ユーモラスな口調ながら言っているのもさすがであった。しかし決して下品な感じにはならない。

また、もう一つ印象的だったのは、ギリシアに対する態度で、ドイツや IMF などの強硬な態度は実現がほとんど不可能と言っていた点だ。モンティ氏は意外なほどギリシア寄りの姿勢を見せていた。また、こうなった歴史(かつて独仏もGDP3%の赤字の枠を破ったこと)をふまえて対処すべきだとも述べていた。


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2012年3月27日 (火)

モンティ首相、アジア歴訪

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25日、モンティ首相は、エルサ夫人をたずさえアジア歴訪の旅に出た(3月26日、Corriere della Sera).

まずカザフスタンを訪れたが、韓国、日本、中国を4月2日まで訪れる。

この歴訪の目的は、イタリア製品を売り込むことと、また日中両国にイタリアが投資するにふさわしい国だと説得することにある。

モンティ首相は、韓国のあと27日には日本を訪れ野田首相、安住大臣、経団連首脳と会談する。

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2012年3月26日 (月)

タブッキ、死す

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作家のアントニオ・タブッキが亡くなった(3月26日、Corriere della Sera).

タブッキは1943年9月24日ピサの生まれ。小悦を書く一方で、ポルトガルのフェルディナンド・ペソアの研究者・翻訳家でもあった。

デビューは1975年の『イタリア広場』。成功作は1984年の『インド夜想曲』で映画化もされた。

1992年にはポルトガル語で書かれた『レクイエム』も出版された。1994年には『供述によるとペレイラは。。。』が出版され、これもマストロヤンニが出演し映画化された。

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モンティ、労働問題でひかず

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モンティ首相は、労働市場問題で改革を擁護した(3月25日、Corriere della Sera).

民主党の書記長ベルサーニは変える必要があるとし、Pdl のアルファーノは内閣は弱体化したとしている。

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2012年3月18日 (日)

《ラ・ボエーム》

リセウ劇場でプッチーニの《ラ・ボエーム》を観た(バルセローナ)。

リセウ劇場は、バルセローナのもっとも観光客の集中するランブラス通り(数年前に比べ、レストランやバルの客引きが増えたような印象を受けた)にある。

1994年に全焼し、再建したもので、そういう点ではヴェネツィアのフェニーチェ劇場と似ている。こちらも出火の原因が電気的なものか放火なのかよく判らないようだ。

1階のサークル席で観たのだが、一幕でロドルフォとマルチェッロが舞台向かって右側で原稿を焼いたりする場面はまったく、あるいはほとんど見えない。フェニーチェもそうだが、リセウも伝統的な馬蹄形の構造を守ってつくっているので、平土間やパルコでも舞台正面の席からは舞台全体が見渡せるけれども、舞台の両脇からは見えないあるいは見えにくい場所があるのである。興味深いのは、20世紀末に建て直すときに、それでは全部の席から舞台が見えるような構造に建て直そうとはどちらもしていないことだ。

フェニーチェの場合、平土間(プラテア)以外はまったく伝統的な個室のます席になっているのに対し、リセウは馬蹄形の円周上にある席も低層階は壁のしきりがない。ただしやや上にいくと席に行くためにはドアを開けなくてはならず、しかもそれにはチケットをかざさねばならないという仕組みになっていた。おおまかに言えば、ロイヤルオペラとリセウが劇場の構造は似ている。

それにしても、フェニーチェもリセウも近代的で視覚的には合理的な劇場構造を採用しないのはなぜか?一つには、出火前のもとの劇場への愛着、伝統への愛着が大きいことがあるだろう。また、視覚的にはともかく、馬蹄形での響きには、日本などの合理的劇場にはない独特のホールが鳴っているという音響面での強みがある。さらには、歌劇場は社交的な場でもあるので、誰々が来ているということが他の客から見えることが重要であるが、日本のような劇場構造は多くのひとが前を向く構造になるのに対し、馬蹄形劇場では、舞台両脇の席はちょうど真正面に相対して互いによく見える。

そういった複数の理由があいまって、視覚的な不自由さを知りつつ、馬蹄形が再び採用されているのだろう。

実際、この日の終演後のカーテンコールで、ミミ役のアンジェラ・ゲオルギュが出てきた時、最大の拍手とブラボーが沸き起こったのだが、劇場全体がわんと鳴り響いた。一日だけで判断するのは危険かもしれないが、少なくともこの日の観客は、ロンドンの観客よりもはるかに熱い拍手を送っていた。

出演者は、ミミがゲオルギュ。ロドルフォはSaimir Pirgu. 素直な歌唱ぶりで好感が持てた。マルチェッロはアンヘル・オデナ.彼は声量も豊かで、歌い回しも的確。拍手も多かった。

ムゼッタはAinhoa Arteta. なかなか良かった。ショナールはGabriel Bemudez. コッリーネはカルロ・コロンバーラでさすが終幕の外套の歌は巧かった。

指揮者はビクトル・パブロ・ペレス。彼はカーテンコールで拍手と同時にブーイングを一番もらっていたが、判らなくはない。細部に思い入れが強く、そこで音楽の流れが中断しがちなのである。さあっと視界が開けるように、気持ちよく音が広がるのを期待しているところで、細やかな表情に執着して流れがよどんでしまうのだ。

そのかわり、弱音部やディミニュエンドで消え入るような部分はオーケストラの能力もあいまって繊細な美しさを遺憾なく発揮していた。プッチーニのスコアは感情表現は十分書き込まれているので、あんなにも感情込めてもらわなくてもといった面もあった。観客の反応はそれを反映していたのかとも思う。

ゲオルギュは、ややくどいくらいの演技と歌唱だが、安定しており、貫禄で、最大の拍手喝采をあびていた。

演出はジャンカルロ・デル・モナコで、これはすでにマドリッドの劇場でのものがDVD化している。古典的な演出であり、奇をてらったものではない。第一幕のおわりで、群衆がものかげから出てきていて、ミミとロドルフォが退場すると、明るくなってそのまま第二幕になだれこむところが新鮮だった。

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2012年3月15日 (木)

労働大臣と労働組合の話し合い

労働市場改革について労働大臣と三大労働組合の書記長の話し合いが最終段階にはいってきた(Corriere.it)

Cgil のカムッソ書記長は、ポジティヴなことも出てきたと好意的な評価を示している。


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2012年3月 5日 (月)

アヌンツィアータ、ダッラを批判

ジャーナリストのルチーア・アヌンツィアータが、テレビ番組の中でルーチョ・ダッラがゲイであることをカミングアウトしなかったことを批判し話題になっている(Corriere.it )

アヌンツィアータによれば、ダッラはずっとゲイであったのにそれを明らかにせず、またそのため、亡くなってから大聖堂での葬儀がいとなまれていること、イタリア社会の同性愛との向き合い方をふくめて批判している。

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2012年3月 3日 (土)

《ルサルカ》

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ロイヤル・オペラの公演《ルサルカ》を見た。

今回は、平土間で見たが、平土間はOrchestra's Stall とこの劇場では呼んでいる。

前回は、桟敷席(厳密にはボックス化していないので、独特の構造であるが)の1階席で聴いた。ほぼ正面である。指揮者とオケは同じなのであるが、この劇場の場合、案外、平土間の方が響く。

ヨーロッパの馬蹄形で桟敷席で聴くと上の階でも音はよいのである。しかし、ロイヤル・オペラの場合、1階の桟敷は音が少し迫力に欠ける気がする。

2回見て、1回目で英語字幕を読み損ねていたところが結構あることに気がついた。座席の場所が低いと、舞台と字幕(surtitleというー舞台の上につくから)を見るときの角度が大きくなるので、演出が気になったりして舞台に注目すると、字幕を読み損なってしまうのである。

このオペラは、素材としては民話を材料として「人魚姫」に似ているが、音楽はヴァーグナーの影響を受けてアリアとレチタティーヴォが截然とは分かれず、音楽は切れ目なく続いていく。

台本は、「人魚姫」と比較すると大人向けと言える。

ドボルザークの音楽は雄弁で、男女とも聴かせどころがある。今回の上演は、タイトルロールだけでなく、魔女や Water Goblin などの脇役が強い声で、聞き応え十分だった。

演出は、好き嫌いの分かれるところだろう。

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2012年3月 2日 (金)

ルーチョ・ダッラ、突然の死

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歌手ルーチョ・ダッラが亡くなった(Corriere.it)

スイスでツアー中の出来事だった。朝食後、突然、気分が悪くなり、心臓発作のため死亡した。

ダッラは、自作に歌っているように、1943年3月4日生まれ。


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2012年3月 1日 (木)

《ドン・ジョヴァンニ》

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ロイヤル・オペラの公演《ドン・ジョヴァンニ》を観た。

驚いたのは、舞台で本物の火が大々的に使われていること。所変われば品変わるで、日本では消防法の関係で、電気仕掛けの火(に似せた灯り)がほとんどだろう。

今回の《ドン・ジョヴァンニ》では、マゼッタが仲間をひきつれてドン・ジョヴァンニをつかまえにくる場面でみなが松明を持っているというところと、あとはドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面である。こちらは派手な仕掛けで、地獄の業火として舞台のあちこちで燃えさかるのだが、もう一つある。

そもそも石像が出てくる前に、舞台の奥に等身大よりはるかな指がブランコのように揺らめいている。その指とおぼしき巨大な指が炎につつまれて舞台の前方にいきなり空中ブランコのように現れるのである。度肝を抜かれる演出である。

ドン・ジョヴァンニが地獄に落ちたあと、薄い幕がおりて、残りの登場人物の重唱となる。ここでも、ドンナ・アンナがわたしは気持ちを鎮めるのに1年かかるとか、ドンナ・エルビーラが修道院へ行くとか、マゼッタとツェルリーナが友人とご飯を食べにいくとかいうたびに笑いが起こる。最後に悪いやつは地獄へ落ちるのだと皆で歌って終わると、薄い幕があがって裸のドン・ジョヴァンニが裸の女性を抱いている場面が一瞬見えて、幕。これも笑いが起こって、のち拍手喝采。

この見事な演出は、フランチェスカ・ザンベッロ。

指揮はコンスタンティノス・カリディス。ハーディング以降のモーツァルトはこうなるのだなという速めのテンポ。いや速めどころか、部分的には、目の回るようなテンポで、歌手の言葉が聞き取れないし、歌手をまったく楽器のように扱っているようで、おやと思うところもあった。しかし、なかばからは、案外、常識的なテンポでしみじみと聴かせる場面も増えて、ややスタイルとしては混成的・折衷的な感じである。

タイトルロールはアーウィン・シュロット。立派な体格で、レポレッロのエスポジトとの掛け合いも見事だったし、ドン・ジョヴァンニが女性論を展開するところでは、舞台のそでに行って、桟敷席の女性に向かって語りかけるのが様になっていた。

今回の演出でよくわからないのはドン・オッターヴィオの扱い。この人は誠実だけど、まあそれだけで、最後のドンナ・アンナのせりふからも熱烈に愛されているわけではないことが丸見えな、気の毒ながらブッフォな人物であるが、今回は彼のアリアをしみじみとした感じで聴かせるため、そのへんの人物像がどうなっているかやや曖昧だった(もっともこの点は、演出に責任があるのか、指揮あるいは歌手がそう歌わせたかった・歌いたかったのかは不明だが)。

歌手はバランス良く、歌もよく、演技もさまになっていた。ドンナ・アンナはカルメラ・エミージョで彼女のロイヤル・オペラ・デビュー。

騎士長はラインハルト・ハーゲン。ドン・オッターヴィオはパヴォル・ブレズリク。ドンナ・エルビーラはルクサンドラ・ドノセ。庶民のカップルは、ツェルリーナがケイト・リンゼイ。マゼットがマシュー・ローズ。

リブレット(脚本)の段階で考えると、《フィガロの結婚》とくらべ、《ドン・ジョヴァンニ》は小さいエピソードがつなぎ合わされている。フィガロの方が近代的戯曲を原作として持っているのだから当たり前と言えば当たり前のことなのだが、にもかかわらず、演出の工夫により退屈することはなかった。

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