アメリゴ・ヴェスプッチ没後500年
アメリゴ・ヴェスプッチの没後500年を間もなく迎える(2月6日、Corriere della Sera).
ヴェスプッチは、1454年3月9日にフィレンツェで生まれ、1512年2月22日にセビリアで没した。メディチ家の宮廷で成長し、哲学者や科学者と交流した。
その過程で、地理や宇宙学に興味を持つようになり、セビリアに移住し、少なくとも三回の探検航海に出た。そして、クリストーフォロ・コロンボ(コロンブス)が見いだした巨大な大陸がインドではなくて、『新世界』であるという認識を持った。
没後500年を記念して2月22日にフランコ・カルディーニとマリーナ・モンテサーノ著Amerigo Vespucci が出版される(240ページ、38ユーロ、Le Lettere).
ヴェスプッチの父ナスタージョは地味な公証人だったが、後に、領主の公証人となった。ヴァザーリによれば、ギルランダイオがオンニサンティ教会にヴェスプッチを描いたはずである。
彼はロレンツォ・ディ・メディチの時代の人だが、むしろロレンツォの従兄弟のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチと近かった。ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコは、ボッティチェッリの春でなぞめいたメルクリオとして描かれている人である。非常に洗練された人で、ポリツィアーノやマルシリオ・フィチーノの友人だった。
ボッティチェッリの春やヴィーナスの誕生は彼のための作品だったし、『神曲』のイラストも依頼していた。
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