高速鉄道反対派、高速道路を占拠
高速鉄道(TAV)の反対派数百人が、高速道路A32を占拠し、警官、軍隊と対立した(この項、Corriere.
it による)。
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ロイヤル・オペラの公演でモーツアルト作曲、ダ・ポンテ台本の《フィガロの結婚》を観た(2月28日)。
指揮はパッパーノ。演出は、デイヴィッド・マクヴィカー。時代は1830年代へとずらしているが、衣装は時代衣装なので違和感はない。館は、田舎の別荘とのこと。
伯爵夫人のレイチェル・ウィリス=ソレンセンは、ロイヤル・オペラ・デビュー。背が高く、堂々とした体躯で、同じく背が高い伯爵のルーカス・ミーチャムと釣り合いがとれていた。出だしは、緊張のせいかやや固かったのだが、観客の拍手を何度か受け、後半では、声を張り上げ喝采をあびていた。
今回は、指揮のパッパーノの方針か、アリアで1番、2番とあると、1番はストレートに楽譜のメロディーを歌い(CDなどで聞き慣れたメロディーである)、2番では即興風に装飾音をつけたり、アレンジをこらしていた。即興風と書いたのは、毎回その装飾音やアレンジを変えているのか、あるいはその即興風のアレンジが即興風ではあるが毎回同一のものであるかは、一回聞いただけでは確認できないからだ。こういう1番と2番の分け方は巧みで効果的だ。アリア1つで2度楽しめるからである。聞き慣れたメロディーを味わい、今度はどうアレンジするのかという歌手の技巧への期待がふくらむ。
《ルサルカ》でも感じたことだが、ここのオケは状況説明的な音楽の表情づけがうまい。音楽的な鋭利さやコントラストの美の刺激よりも、演劇的な筋の一貫性、わかりやすさが優先される。それが習い性となっている感じである。イギリスの風土的なものなのだろう。
演出も、何が何だかわからないというような場面は一つもない。《フィガロ》では、その部屋に居てはいけないはずのケルビーノが居て、そこへ伯爵がやってきてケルビーノが隠れ、そこへドン・バジリオがやってきて伯爵も隠れるといったドタバタが何度かあるが、どの歌手も演劇的にもうまく演じていた。
お客も、よく笑う。第三幕で、フィガロが実はマルチェッリーナとバルトロの子とわかる場面、次々と Sua madre! といい、Sua padre といって登場人物が仰天する場面では、会場中に笑いが起こった。
第一幕で、マルチェッリーナとスザンナが(その時点ではフィガロをめぐるライバル)丁々発止と相手をやりこめようとする二重唱でもスザンナが eta' (年)とマルチェッリーナが年齢が高いとやりこめるところで大きな笑いが起こった。もちろん、その反応に何の問題があるわけでもない。
こういう場面に対するモーツァルトの音楽は、シンプルでかつ最高にエレガントで、かつウィットに富んでいる。
モーツァルトの重唱、あるいは二重唱、三重唱、四重唱と連なっていくグランド・フィナーレはものすごい力技であるのに、すらすらと、楽しく、諧謔をまじえて進んでいく。音楽的表情の豊かさ、旋律が流麗なだけでなく、ここぞという時に心に響く低音がオケから繰り出される。
ストーリーも愉快で軽妙で、しかも愛についてふと考えさせられ、なおかつ階級対立というようなことも頭をかすめる(演出によってはそれが前面に出る)が、モーツァルトの音楽を堪能すると、ちょうどヴェルディの悪役、敵役のバリトンにも高貴なメロディが割り振られているように、伯爵も単に権力を振り回す貴族(たしかにそういう面はあって、それがフィガロたちの智慧と策略によってコテンパンにやっつけられるわけだが)、もう一方で、一人のあわれむべき人間、男にも見えてくる。モーツァルトの愛の射程は、長く深いと感じた一夜だった。
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http://farm8.static.flickr.com/7003/6748531845_6993125384.jpg
ロイヤル・オペラの公演ドヴォルザーク作曲クヴァピル台本の《ルサルカ》を観た(2月27日)
ストーリーは、ほぼアンデルセンの人魚姫と同じである。
水の妖精が、王子に恋をし、魔女に頼んで姿を人間に変えてもらうのだが、そのかわりに口が聞けなくなってしまう。
一週間一緒にいても、口を聞けないため王子はルサルカに愛想をつかしてしまい、よその王女と親密になってしまう。
王子の愛が得られなければ、ルサルカは水の世界に戻らなければならないが、そのためには人間の生き血であがなう必要があると魔女が言う。
その生き血のために森番と料理人が犠牲になるかどうかは演出によって異なる(今回は逃げるのみ)。
王子はいちどはよその王女と親密になるがルサルカのことが忘れられない。そこでルサルカのところへまたやってくるのだが、そして二人がどうなるのかも演出により様々である。
今回の演出では、ルサルカは王子に捨てられたときに、生き血が必要と言われ、ショックをうけ、自分の腹を切って血まみれになり死ぬ(死んだように見える)。
その後、生き返って、王子に接吻をすると、王子が死ぬ(死んだように見える)。立ち尽くすルサルカで幕
このプロダクションは2008年のザルツブルク音楽祭のものと同じである。現代服で、水の精たちのいる場所にはソファーがおいてあり、水の精たちはミニスカートなのだが、ルサルカは最後までジャージのようなパンツ(ズボンです)をはいているのは冴えなくて歌手に気の毒だった。
あらかじめDVDを3枚ほど観たが、どれもまったく演出が異なる。こうしたアレゴリカルな民話は演出の可能性、幅が広げやすいと言えるだろう。
うしろにスクリーンがあって水の世界を映し出すのは効果的だったと思う。水の精や、ルサルカおよびWater Goblin 役などの服装および室内の内装がもう少しすっきりしていればと思った。また、そこにマリア像らしきものや十字架が置いてあるのは、意味不明というか、かなり無理のある解釈だと思う。
歌手はタイトル・ロールが Camilla Nylund (発音が判らないので原語で記します。以下同様)
Water Goblin (男の水の精、ルサルカの父的役割)アラン・ヘルド。魔女Agnes Zwierko.
王子ブライアン・ハイメル。指揮はYannick Nezet-Seguin .
オーケストラの合奏能力はものすごく高いとは言えないのだが、曲やフレーズに表情をつけるのがうまい。語り口がうまいのである。ここがどういうセリフか、どういう場面かがよく判るように音楽的表情をつけていく。劇音楽の経験が豊かというのはこういうことか、とも思う。
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モンティ内閣の閣僚が、昨年の収入と資産を公開した(2月22日、Corriere della Sera).
オンラインで公開された情報によると、モンティ首相の2011年の収入は150万ユーロで2010年どは100万ユーロ。ただし、資産が1100万ユーロある。
閣僚の中で最も収入が多かったのは、法務大臣のパオラ・セヴェリーノで700万ユーロ。
首相は、95年のランチャ・デドラと98年のランチャ・カッパの他に、インテーザ・サンパオロ銀行とBNPパリバ銀行の株、ミラノの家、ヴァレーゼに9つの住居(unita' abitativa)と一件の商店、ブリュッセルに妻と共同で一件のアパートを所有している。
首相は妻エルサ・アントニオーリの資産も公開した。ミラノの4つの住居を50%ずつ所有。ノヴァーラ県に別荘、130万ユーロの公債、株価指数連動投資信託(Etf)および現金を所有している。
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インドのコーチで、イタリアの海兵隊2名が逮捕された(2月20日、Corriere della Sera).
事件の全容はいまだ解明されていないが、逮捕されたのは、サンマルコ大隊の2人の海兵隊。
地元の当局から、先週水曜日に漁船セント・アントニー上で死亡した漁師に発砲した疑いがもたれている。
海兵隊は、マッシミリアーノ・ラトッレとサルヴァトーレ・ジローネで、タンカーのエンリカ・レクシー号に対する海賊取り締まりにあたっていた。
事件には3つの謎がある。1.事件がいつ発生したのか 2.イタリア側の船の位置 3.もう一隻の小舟の可能性 である。
イタリアとインドの間で外交問題に発展している。
(お断り:2月26日より3月24日まで、都合により更新が不規則または不可能になります。あらかじめご了承ください)
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タヴィアーニ兄弟監督の作品「チェーザレは死なねばならない」がベルリン映画祭で金熊賞を受賞した(2月19日、Corriere della Sera).
ストーリーは、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー(ジュリオ・チェーザレ)』の焼き直しである。
ベルリン映画祭での金熊賞は、イタリアにとっては、マルコ・フェッレーリ監督の『微笑みの』以来、21年ぶり。
この映画には、囚人が役者として出演している。
ナンニ・モレッティが3月2日から配給する。海外では、イギリス、ブラジル、コロンビア、スカンディナヴィア、オーストラリア、ポーランド、イランとイスラエルなど15カ国が買い付けた。
兄ヴィットリオ・タヴィアーニは82歳、弟パオロ・タヴィアーニは80歳の快挙である。
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二期会公演《ナブッコ》の初日を観た(2月17日、東京文化会館)。
素晴らしい公演だった。若き指揮者バッティストーニが天才的指揮者であることがあらためて確認された。カーテンコールでの拍手も、ソリストを越えて一番多かったし、終演後の出待ち(サインをもとめて楽屋口で待っていること、あるいはその人たち)もバッティストーニお目当ての人が多かったようだ。
彼の指揮ぶりについては、基本的には、ゲネプロの感想に書いた通りである。ナブッコという曲は、ヴェルディがベルカントオペラから、つまりはドニゼッティやベッリーニから様々な語法を受け継ぎつつも、そこから大きくはみ出して、とんでもない曲、独自の響き、リズムを作り出してしまった曲である。
その独自の激しさ、爆発的なリズムに対しては、バッティストーニはこの上ない集中力と瞬発力で激しく燃焼する。そして、テンポもこれ以上オケがついていけないというギリギリまで追い込む。あらためて、東フィル(東京フィルハーモニー交響楽団)の演奏能力の高さに脱帽である。合奏能力としては、イタリアの本場でもここまでの演奏能力を持つオケは片手の指ほどではないだろうか。
無論、イタリアのオケは、あるいは音楽祭のオケでも、オペラを演奏している回数が多く、また身体へのなじみ方が違うので、それまでバラバラだったオケがここ一番の勘どころで、うならせることもままある。
それにしても、日本のオケはこれだけ演奏能力が高いのだから、すぐれた指揮者が振れば素晴らしい演奏ができるという当然といえば当然のことが立証されたわけだ。しかもバッティストーニが2月6日に来日したということで、10日ほどの練習でここまで出来るのか、ということに対して、指揮者に対しても、オケに対しても、驚きを禁じえない。練習初日、2日目、3日目とどのような化学変化が起こったのか、記録があればぜひ聞いてみたい、観てみたいものである。
同様に素晴らしかったのは、合唱団。合唱団の能力も大変高い。スカラ座は別格としても、イタリアの一流の歌劇場にまったくひけをとらないと思う。序曲が終わって、第一幕の冒頭、あんな早いテンポのナブッコはCDでも聞いたことがない。しかも僕の感覚では、ゲネプロよりも一層テンポが早かったが、合唱は見事に指揮についていった。合唱が単に音を正確に出すだけでなく、指揮者の意図を理解し、かつフレクシブルに変幻自在の指揮についていっているのだ。
オーケストラも合唱も、天才とは言え、若いエネルギーがはじける瞬間についていくのは目が回る思いのすることもあったろうと推察する。特に、木管楽器で細かいフレーズを繰り返すところなど、同情の他はない。しかしながら、《ナブッコ》のような曲で、特に、奔馬のように駆け抜けるフレーズでは、オケが楽々、やすやすと弾いていたのではエクサイティングではないのだ。もうギリギリ、とか、指が回りきれない、その感じが欲しいのである。これはちょうど、ロッシーニでブッフォな役がものすごく早口で口がまわりきれるかどうかのギリギリのところで歌うのを聴く快感にも似ている。
歌手はタイトルロールの上江隼人は発音が明晰であった。テノール・イズマエーレの松村英行は、ビブラートがかかる声(たとえば女性ではあるが、アントニエッタ・ステッラのように)で、独特の叙情性のある声。バス・ザッカリーア(ザッカ—リアではない、念のためZanichelli などの辞書で確認ずみ)はジョン・ハオ。堂々とした声。ソプラノ・アビガイッレの板波利加は、音域によって音色の変わるドラマティックな声でメゾ的な声である。その他メッゾ・フェネーナの中島郁子も好演。
今回の公演では、指揮者が超一流で、東フィルとの邂逅は、1954年のカラヤンとN響との出会いにも匹敵する事件だったと考えるが、東フィルは見事にその事件を生きた。快挙である。また、そこに最上の花を添えたのは、合唱団であった。ナブッコは、主要人物もさることながら、合唱がもう一つの登場人物のように重要な役回りを演じるのだ。Va pensiero も見事であったが、終幕までまったくだらけることがなく、通常、最終場面はふと気がぬけてしまうのだが、そこでも充実した音楽を聞かせてくれた。
このような公演に出会えたことは本当に幸運なことであった。感謝。
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ハロルド・アクトン著/柴野均訳『メディチ家の黄昏』を読んでいる。
メディチ家と言えば、筆者も言うように、通常、コジモ・イル・ヴェッキオやロレンツォ・イル・マニフィコのようにルネサンス期にフィレンツェを支配し、芸術家のパトロンとして活躍した15世紀のメディチ家が取り上げられることが多い。
しかしこの本はフェルディナンド2世、コジモ3世といった17世紀のメディチ家の最後の世代を描いている。なじみの無い人の話でつまらないかと思いきや、これが面白い。
フェルディナンドの時代、フィレンツェでは性的逸脱行為(同性愛のことです)がさかんだった。フェルディナンドの母の大公妃は、そういった行為にふける者たちを厳罰に書する決意で長いリストを息子に見せた。
フェルディナンドはそのリストをじっくりと読んで、このリストは十分ではない。といって自分の名を付け加えた。母は、罪人を救おうとしてそんなまねをしても彼らを懲らしめますからね、と言い張る。フェルディナンドは、どんな罰を考えていますか、と尋ねると、母は「火刑に処せられるべきです」。
フェルディナンドは、リストを火の中に放りこんで、「ほらこの通り、罰せられました、お母様」。
ハロルド・アクトンは1904年生まれのイギリス人である。といってもフィレンツェに生まれて、教育は英国でうけて、オックスフォードを卒業している。というわけで、イギリスのいわゆる1930年代詩人W.H.オーデンやルイ・マクニースが1907年生まれであるのと近い。
イギリスには、伝記文学の伝統があるのだが、これもその優れた一冊と言えるだろう。抽象的な議論ではなく、具体的なエピソードを積み上げて行ってその人となりを理解させる。対象に対してべたべたした愛情ではなく、突き放してユーモアやアイロニーを交えて描く辛口の愛情にあふれている。
メディチ家の黄昏は、立派に歌舞いているなあ、という感じである。
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労働憲章18条をめぐる話し合いが再開される(2月13日、Corriere della Sera).
エルサ・フォルネーロ労働相と三大労働組合Cgil, Cisl, Uil の代表との話し合いが13日から再開される。
若者のためのContratti di apprensidtato (見習い契約)については合意に近づきつつある。
雇用に関する社会的緩衝器(ショックアブソーバー)は、現在は、分野が限られているのだが、労働組合と雇用者側で、それをどこまで拡張するかは意見の一致をみていない。
労働憲章18条では、15人超の雇用のある会社では、正当な理由無く解雇されたものは現状復帰させることを義務付けているが、その改革が大きなテーマである。
18条を改革することによって、海外からイタリアへの投資を促したいとしている。
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二期会の公演のゲネプロである。なんといっても注目は、指揮者のアンドレア・バッティストーニ。
昨夏に何の予備知識もなしの状態で、イタリアのマチェラータの夏の音楽祭で『リゴレット』を聞き、若い(24歳)のにとても優秀な人がいると強い印象を受けた。その場にいた日本人何人かともお話したのであるが、みな高い評価であった。まさに、衆目の一致するところというわけだ。
イタリア人もそう考えたことがわかるのは、彼のスカラ座デビューが決まったことだ。1987年生まれであるから、24歳あるいは25歳でのスカラ座デビューとなる。
グイド・カンテッリ、クラウディオ・アッバード以来の天才指揮者あらわる、ということであろう。
さて、二期会の『ナブッコ』であるが、オーケストラは、東京フィルハーモニー交響楽団。通常、日本のオケは、合奏能力は優秀なのだが、イタオペのノリ、とりわけリズム感が弾けないことがあるのだが、今回は違う。素晴らしい演奏である。指揮者の指示が的確であれば、もとの合奏能力が高いだけに、リズム良し、テンポ良し、ダイナミズムがあって、しかも縦の線もこれだけ早いテンポの部分があるのに崩れない。
バッティストーニの指揮は、一言で言えば、とても心地よくメリハリが効いている。朗々と伸びやかに歌わせるところと、集中して熱のこもった強音、また、ナブッコ特有のタッタカ、タッタカというリズムにのって馬が駆けるようにアッチェレランドで盛り上がるところ、それぞれ鮮やかに使い分ける。
オーケストラも歌手もいつも手綱がきついわけではなく、歌いたいように歌わせているところもある(ように見える)。巧みなのは、アリアでゆったりとしても、アリアとアリアをつなぐパッセージでさっとテンポをあげ、決して音楽がだれないことである。また、盛り上がったところで、旋律部分だけでなく、伴奏部分のリズムの刻みを非常に大事にして活かすのがうまい。リズムの刻みを大事にして、テンポが遅くなるのではなく、必要とあれば、ものすごいスピードで刻んでいくので、生理的にエクサイティングであり壮快な快感が聴くものの身体を駆け抜ける。
『ナブッコ』が、百年以上前の古典というよりも、今ここで書き上げられたばかりの音楽として蘇っている。まさに、同時代の音楽だ。
こうした壮快なリズム感、駆け抜けるテンポは、バッティストーニの前の世代よりは、むしろ1950年代、60年代に活躍した指揮者たちのそれに近いと思う。
歌手は、18日と同じキャストだったと思われる(確認はしていない)。ザッカリーアの斉木健詞が大健闘。
ナブッコは、ストーリーが、日本人にとってはやや判りにくいかもしれない。二つのグループが対立している。
一つは、バビロニア側。もう一つは、エルサレム側。こちらがユダヤ人で、捕虜となって、いわゆるバビロン捕囚にあって、故郷を思うわけで、合唱の名曲Va pensiero (行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って)は、とらわれの身のユダヤ人たちが故郷を思って歌う。この名曲、今回の公演ではビスを前提とした演出されているらしい。一度目と二度目で、合唱団の配置、並び方が全く異なるのである。それによって、声の広がり、響きが異なるのが一聴瞭然なのだ。どう異なるのかは、観てのお楽しみとしておこう
バビロニア側の王がナブッコ(ネブカドネザル)。娘が二人いて、アビガイッレとフェネーナ。
ここからがいかにもイタリアオペラの常道ですが、アビガイッレもフェネーナも、あろうことか、敵方のユダヤ側のイズマエーレのことが好きなのだ。イズマエーレは、エルサレム王の甥で、フェネーナと愛し合っている。当然、アビガイッレは横恋慕して、三角関係。
だからストーリーとしては、バビロニアとエルサレムが戦う、それは政治的な争いでもあり、宗教的な対立も含んだものとなっている。
ザッカリーアは、ヘブライ人(ユダヤ人)の大祭司である。バスで迫力のある歌がいくつもある。
主人公のナブッコは、バビロニアの王で、ユダヤの神など何するものぞと、宗教的な敵意をユダヤ側(エルサレム側)に抱いて、俺を王ではなくて、神と思え、というと雷に打たれてしまう。ナブッコの青山貴は、ブルゾンを思い起こさせる端麗な声。
アビガイッレも、横恋慕、嫉妬、野心に燃える激しい性格を岡田昌子が、熱く歌っていた。
アビガイッレといえば1980年代にスカラ座がムーティの指揮で日本公演をしたときのアビガイッレは
ゲーナ・ディミトローバでスカラ座のオケが大音量で鳴らしても、スカラ座合唱団がフォルテで歌っても、そこを突き抜けて響き渡る驚嘆のほかはない声だった。
しかし、今回の二期会の『ナブッコ』は、1988年のスカラ座公演にまさるとも劣らない素晴らしい公演であると思う。
演出は、ダニエレ・アッバード。舞台装置は、パルマ王立歌劇場のものとのこと。
この若き指揮者の指揮ぶりを日本でこれほど早く実際に観られるのは、幸せという他はない。二期会関係者の慧眼に敬意を評したい。
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アメリゴ・ヴェスプッチの没後500年を間もなく迎える(2月6日、Corriere della Sera).
ヴェスプッチは、1454年3月9日にフィレンツェで生まれ、1512年2月22日にセビリアで没した。メディチ家の宮廷で成長し、哲学者や科学者と交流した。
その過程で、地理や宇宙学に興味を持つようになり、セビリアに移住し、少なくとも三回の探検航海に出た。そして、クリストーフォロ・コロンボ(コロンブス)が見いだした巨大な大陸がインドではなくて、『新世界』であるという認識を持った。
没後500年を記念して2月22日にフランコ・カルディーニとマリーナ・モンテサーノ著Amerigo Vespucci が出版される(240ページ、38ユーロ、Le Lettere).
ヴェスプッチの父ナスタージョは地味な公証人だったが、後に、領主の公証人となった。ヴァザーリによれば、ギルランダイオがオンニサンティ教会にヴェスプッチを描いたはずである。
彼はロレンツォ・ディ・メディチの時代の人だが、むしろロレンツォの従兄弟のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチと近かった。ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコは、ボッティチェッリの春でなぞめいたメルクリオとして描かれている人である。非常に洗練された人で、ポリツィアーノやマルシリオ・フィチーノの友人だった。
ボッティチェッリの春やヴィーナスの誕生は彼のための作品だったし、『神曲』のイラストも依頼していた。
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第16代大統領のオスカル・ルイジ・スカルファロが亡くなった(1月30日、Corriere della Sera).
スカルファロは、1918年ノヴァーラ生まれ。12歳で Azione Cattolica に加入。1941年に大学を卒業し、1946年の憲法制定議会に選ばれている。
1950年代には、マリオ・シェルバの元で働いた。1960年代には、社会党との連携に反対した。
1983年にクラクシ政権のもとで内務大臣を1987年までつとめた。
1992年、第16代大統領に選出された。
スカルファロは熱烈なカトリックであったため、「オスティア」(聖体拝領の聖体)とか「オスカル・マリア・ゴレッティ」(マリア・ゴレッティは聖人となった女性)というあだ名がついていたほどだ。しかしながら、司教に対してひざまずきその指輪に接吻する(baciamano)ことは決してなかった。教皇に対してすらそうしなかった。それは大統領であるということは、非宗教的な人(laici)をも代表していると認識していたからだ。
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