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2011年11月13日 (日)

《アンナ・ボレーナ》

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ドニゼッティのオペラ《アンナ・ボレーナ》を観た(東銀座・東劇)。

ニューヨークのMETの公演を映画館で上映するライブ・ビューイングである。

2007年にベルガモのドニゼッティ劇場の引っ越し公演を観て以来である。

この作品のリブレットは、フェリーチェ・ロマーニ。この当時、ドニゼッティとベッリーニはライバルで、どちらもロマーニの脚本、ジュディッタ・パスタという歌手によってドニゼッティは《アンナ・ボレーナ》をベッリーニは《夢遊病の女》を上演したのである。

ドニゼッティもベッリーニも、ロマーニによい脚本を書いてもらおうと必死だった。

主演のネトレプコは、出産後ふくよかになっていた。前半では、彼女の歌唱スタイルとベルカントオペラとの組み合わせがどう調和しているかが気になるところもあった。また、指揮のアルミリアートの解釈は、かなりヴェルディ寄りで、重いのである。

たしかにこの話、16世紀の宗教改革期のヘンリー8世とアン・ブリンの話(ご存知のように、ヘンリー8世は、離婚を認めないカトリック教会と対立して、結局、カトリック教会から離脱してイギリス国教会をつくったし、王妃となった女性だけで6人という破天荒な王様でした)で、しかもアン・ブリン(アンナ・ボレーナ)が捨てられて、王の心はアンナの侍女のジェイン・シーモアに移っていく、そしてアンナと彼女を慕う男がぬれぎぬを着せられて処刑されるという話なわけで、話じたいも重い。

しかし、ドニゼッティでは、そしてヴェルディでさえも、なぜか暗い重い話のなかに、ふと明るく、舞い上がるようなメロディーは出てくるのであって、そこは軽やかに、蝶が舞うように演じ、歌うべきなのである。

しかし、そういった細部は後半になると気にならなくなってきた。ネトレプコとヘンリー8世を演じるイルダール・アブドアザコフの熱演に引き込まれていく。終幕の狂乱場面は、ネトレプコの歌、演技ともに圧倒的な存在感を示していた。地母神的などっしりとした存在感を示しながら、王の寵愛の移り気に翻弄されるはかなさをも同時に表現し、演劇的に音楽的にもスリリングであった。

このオペラがドニゼッティに大成功をもたらしたことに納得のいく演奏だった。


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