« ヴァティカンと国家(7) | トップページ | モンターレとスヴェーヴォ »
ヴァティカンと国家のつづき(9月20日、Corriere della Sera).
1974年 離婚に関する投票
1948年以降は、Dcは絶対多数を獲ることが出来なかった。60年代は社会党と連立していた。しかしDcのヘゲモニーは1974年に打撃をこうむった。
カトリック勢力が離婚法を廃棄しようと試みたが59%のNOにあって拒絶されたのである(離婚法は存続することになった)。同様のことが1981年の中絶法でも生じ、68%のNOで拒絶された。
2011年10月 5日 (水) イタリア | 固定リンク Tweet
名前:
メールアドレス: (ウェブ上には掲載しません)
アドレス(URL):
この情報を登録する
コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。
内容:
この記事へのトラックバック一覧です: ヴァティカンと国家(8):
コメント