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2011年8月 5日 (金)

マッテオ・リッチ(1)

Matteo_ricci_lg  マチェラータ生まれのマッテオ・リッチについて知りえたことを少し書いてみる。(この項は、イタリアのニュースとは関係ありません)。

マチェラータのドゥオーモに行ってみると、ファッチャータの前にマッテオ・リッチの銅像がある。彼はこの町に生まれて、北京でなくなったのだ。1610年が没年のため、昨年は没後400年でその時のポスターや横断幕が見られる。

マッテオ・リッチは1552年10月6日にマチェラータで生まれた。しかし、生まれた家がどこなのかは不明なようで、チェーザレ・バッティスティ広場に、この場所に生まれたというプレートがあるが、やや曖昧な書き方である。

1572年にローマで法学の勉強をしていたのを中断し、イエズス会(Compagnia di Gesù)の修練士(noviziato)となる。同年5月25日に最初の誓願を立てる。

1578年3月24日リスボンからインドに向け、13人のイエズス会の仲間とともに出港。1582年8月7日に中国のマカオに着く。

1580年ゴアで司祭に叙せられる。

1583年中国にミケーレ・ルッジェーリとともに入り、肇慶(Sciaochin)に住む。

1584年中国語で初の世界地図を出版。

1589年しょう(音プラス召)州(Sciaoceu)に移住。

1595年最初の中国語での著作『交友論』(Trattato dell'amicizia)を出版

1598年9月7日はじめて北京を訪れる。

1599年南京に住む。

1601年万暦帝に呼ばれ北京に1月24日に戻る。

1610年5月11日北京で死す。皇帝は、中国の歴史で初めて外国人の埋葬に土地を譲渡した。

生涯のあらましは以上のようになる。

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