カヴールの告解をした修道士
カヴールの死の直前に、告解をほどこした修道士の手紙が公開された(4月20日、Corriere della Sera).
1861年6月に、カヴールはフランチェスコ会のジャーコモ・ダ・ポイリーノにより告解を受けた。カヴールは、教皇領のイタリアへの併合に際して、破門されていたのだが。
この教皇ピオ9世の措置によって、カヴールは公的な撤回がない限り、秘蹟は受けられないはずであった。しかし修道士ジャーコモはそれを求めずに告解をほどこしたので、教皇庁から説明をもとめられた。
この時、修道士ジャーコモがピオ9世に書いた手紙が最近発見され、教皇庁の新聞オッセルヴァトーレ・ロマーノに掲載された。
修道士ジャーコモは聖務停止の措置をうけ、それが許されたのは1882年であった。修道士ジャーコモが自らの過ちをみとめ、新たな教皇レオーネ13世から許しを得たのだった。
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