『ラ・ボエーム』再び
今回は、キャスティングが異なる。今回はロドルフォ(テノール)が Sebastien Gueze, マルチェッロが Seung-Gi Jung, ショナールはArmando Gabba,コッリーネが Luca Dall'Amico
女性はミミがLilla Lee, ムゼッタが Ekaterina Sadovnikova.
今回のほうが国際色豊かな配役となっている。マルチェッロのJung は良く声が出ていた。ロドルフォは、良く通る声なのだが、ときどき泣きの入る歌いかたであった。
ミミは、今回のほうが声量はあったが、前回のセレーナ・ファルノッキアは、詞にのせた情感が細やかで、ビブラートにも適切な表情がそなわっていた。プッチーニは、詞に徹底的にこだわった作曲家であり、またその歌詞にふさわしいメロディー、リズムをつけている。
そういう点を考慮にいれると、歌手の技量として声量や高い声が出るといったこともさることながら、歌詞にふさわしい表情づけがもとめられる。アリアのなかでも悲しい一辺倒ではなく、曇りの中にふっと薄日がさしたり、また日が陰ったりといった表情の変化は、歌詞にそった形で表現されているのであり、それを丁寧に歌いあげてくれればこちらもそれだけ感情移入がしやすいわけである。
もう一つ、パルコすなわち桟敷席を経験したのでこれについての感想を記しておく。僕がすわったのは、2階で舞台に近いほうから8番目の桟敷。
4人がすわれる。当然前の2人のほうが舞台が良く見える。僕はうしろの列で向かって右側だったのだが、ここからは舞台の3分の2くらいしか見えない。うしろの列の左側はもっと見えなくなる。つまり、桟敷を区切っている壁と柱がじゃまになるのだ。
舞台に一番近いところの桟敷席は、壁がなくとなりと行き来ができるようになっている。ヴィスコンティ監督の映画『夏の嵐』の冒頭の場面はフェニーチェ劇場(当然、火事の前)が舞台である。リソルジメントの時期で、地元ヴェネツィアの貴族とオーストリア将校が同席して。。。という展開だ。
フェニーチェの前売り券には、solo ascolto (聞こえるだけ)とか scarsa visione (舞台はよく見えない)といった比較的安い席がある。
平土間は、当然だが、舞台がすっかり見えるのである。
この日は、指揮者が登場し、さあ幕があくぞと身構えると、イタリア国歌(Inno di Mameli)が演奏され、会場の人々は起立し、歌った。
ヴェネツィアは1000年も続いた独立国だったが、ナポレオンによって倒され、ナポレオンの没落にともなってオーストリアの支配下に入った。リソルジメント(イタリア統一運動)によりイタリアという国家が成立して今年は150年、3月17日が初代国王がイタリア王国を宣言した日であり、その日が近いので国歌が演奏されたのだと思う。
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